キタジマ先輩の奇矯な高校時代(閑話)
うむ。これはいい。やはり正面に座って見るのが一番だ。
いや、ほんとに。この子が必死な感じで書いては考え、書いては考えする様子は、猫が無心に前足を舐める様子にも似て、愛らしいな。
「おい、ちょっと待て。ここを見なおしてみろ」
このように親切に指導することによって、この子のオレに対する尊敬の念も、いやがうえにも増すに違いない。
後輩のこの子・・・仮にムラサキちゃんとしておこう、ムラサキは、生徒会副会長であるこのオレが、職権を正当に濫用し、文化祭実行委員の中から生徒会執行部に一本釣りしてきた子である。
職権濫用を更に進めれば、執行部員をオール女子で固めることもできなくはなかったが、現二年のムラサキの学年では、女子はこの子だけである。
執行部員は、文化祭前などは学校側に内緒で泊まり込み作業、なんてことになるため、正直言って男子の方が扱いやすい。それに、美人生徒会長と噂の姫川が、女子にいじめられた経験でもあるのか、執行部に女子が多いのを嫌がったという事情もあったのだ、残念ながら。
いうまでもなく、オオカミの群れの中に羊を一匹放り込むようなヘマをするオレではない。ムラサキ以外の執行部員男子の人選は、人畜無害なタイプであるかどうかを選定基準とした。これらのボンクラ男子諸君には、オレの卒業後も手下として、ムラサキの情報を流してもらう所存だ。
と、まあ、ここまではよかったが。問題はこの子が若干、鈍いということである。
オレがこれだけアピールしているにも関わらず、この魅力のすべてが伝わっているかどうかが、はなはだ心もとない。先代の生徒会長、速水先輩なんかは、「おまえは考え方がジジむさいし変態だ」などと失礼なことを言っていたが、こう見えて、体育祭なんかでは黄色い声援が飛んだりするのだ、ムラサキ以外の声帯からは。
もうちょっとこう、「せんぱぁーい、ムラサキ、おべんと作って来たから食べてね?」みたいな展開にならないものか。
これまでのところ、いつだって先に話しかけるのはオレの方だ。
「先輩、聞いてますか。これでどうでしょうか」
ったく、ボケるにはまだ早いんじゃないですか、というようなつぶやきが聞こえたのは気のせいだろう。
「うむ、うまく修正できている。いいだろう」
そう言うと、ムラサキはほんのわずか、ふくれつらをしてジト目でにらむようにオレを見た。
うむ。いい。この顔はいい。
これで今夜もばっちりだ。
さて。
次なる指導を熱心に行おうと身構えていたオレの情熱に気付かず、ムラサキは「これ会長に提出してきます」と、書類を手に立ちあがってしまった。
ムラサキは、生徒会長の姫川に何やら憧れをいだいているようである。まあ、姫川は美人だし成績も優秀だが、ムラサキとはまったく違うタイプだし、憧れてもしようがあるまい。
だからオレこそが、ムラサキにムラサキ本人が持つ魅力をわからせてやる必要があるのだ。
立ちあがったムラサキに、慌てて声をかけた。
「ムラサキは、猫みたいだね」
相当な勇気を動員してこのように褒めてやったところ、ゴミ箱のフタを見るような目で見られてしまった。
「わたしはどっちかっていうと、自分を犬だと思ってますけど」
しまった。犬派だったか。褒め方を間違えた。
そこへ当の姫川が、書類をかかえてやってきた。
「ちょっと北島君、防災面で揉めそうだから、一緒に来てくれる?」
「はいはい、ただいま参ります。じゃ、おまえ今日は、この辺であがっとけ」
ムラサキがタイミングを失って持ったままになっていた書類、それを手を出して受け取り、後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、姫川にしたがって歩きだした。
ムラサキがオレを、というか姫川を、目で追っているのがわかった。
こういうとき、この子はひどく心細いような顔をするのをオレは知っている。
もしムラサキが望むなら、ずっとムラサキの隣りにいて、ムラサキの魅力について、のべつ幕なしに教えてあげるのに。あんな心臓に悪い表情はさせないのに。
でも、望まれてないんだよなぁ、オレ。ゴミ箱のフタだもんなぁ、オレ。
先代の生徒会長、速水が卒業するまでは、ムラサキが目で追っていたのは、姫川でなく、むしろその彼氏である速水の方だった。まあ二人いっしょにいることが多かったから、両方を視界に入れてヤキモキしていたのだろうが。
速水・・・、あれはあんな顔して、悪魔のようなヤツだ。惚れてはいかんと、何度注意しようと思ったことか。
あれは去年、まだムラサキが初々しい一年で文化祭実行委員、速水が三年で生徒会長、オレと姫川が二年で副会長を務めていた頃のことだ。
放課後、たまたまムラサキと鉢合わせしたので、その機会を的確にとらえ、副会長としての自分の凄さをアピールしてみた。このとき既に、ムラサキはかなり気になる存在になっていたのだが、ムラサキの方からは特に反応が返って来なかった。しかたなく、
「気をつけて帰りたまえ」
と、さわやかな先輩ぶりを見せつけてから、リリースした。
ふと気がつくと、ハンカチが落ちていた。
うむ。ムラサキのものであろう。
いくら二次元がもてはやされる昨今であっても、もちろん、ここでこの匂いをかがなければ、高校生男子として変態である。
というわけでハンカチを拾い上げて堪能していた。ところを、速水に目撃された。
悪魔のような速水は、それを他言しない代わりに、自分の卒業後も含めて今後、姫川の虫よけとして完璧に機能すること、次期生徒会長として立候補するはずの姫川の仕事をサポートすること、この二点をオレに約束させたのである。
うむ。まあこれも、青春というヤツであろう。こうして幾多の苦い経験を積みながら、オレはますます素晴らしい人間に成長していくのである。
だから待っててね、ムラサキちゃん。