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(2)金魚のこと

 そもそも、大都大学最難関の法学部の入試を突破した北島先輩を追いかけて、わたしは同じ大学に入学したのだった。法学部は成績的に無理だったし興味もなかったので、文学部で。

 こんな男を追いかけて大学まで決めてしまうとは、なんて浅はかな若気の至りか。後悔しきり、ふんだりけったりだ。家計だって楽ではなかったのだから、地元の専門学校や短大、あるいは就職という道を探るべきだったし、実際この男に出会わなければ、そうなっていただろう。


 執行部員時代のわたしは、よく働くコマとして、この男にわりと目を掛けられていた。

 わたしが何のために、ムキになって執行部の仕事や、さかのぼって文化祭実行委員の仕事ごときをこなしていたかなんて、気付くような甲斐性はもちろん先輩にはない。あんなに尻尾を振って、従順な犬みたいに、いつもその姿を探していたわたしの気持ちなんて、先輩にとっては、道に落ちてるアイスの棒みたいなもの。


 それでも、大学入学が決まったときに恐る恐る連絡をとってみると、昔のよしみで喜んでくれ、その後はときどき、食費にも事欠くわたしを食事にさそってくれるようになった。

 あわよくば同じサークルに、と思っていたが、司法試験を受ける予定という先輩が入っていたのは法学研究会とかいうお堅いサークルで、わたしなんかはお呼びじゃなかった。

 だからその場所が色気も何もなく、女子学生の姿すら珍しいような安っぽい定食屋や居酒屋ばかりであっても、いつだって食事が済むとハイ、サヨナラという素っ気なさであっても、おごってもらうばかりの気まずさがあっても、わたしは先輩に会えるその時間のために、大学に籍を置いているようなものだった。


 その食事にしたって、いつでも先輩と二人きりというわけでなく、先輩の友人の男子学生が何人か一緒のことも多かった。そうだろうが何だろうが、誘われればいつだって、ホイホイとついていった。

 アジフライ定食なんかを食べながら、先輩は得意げに教授秘話やなんかをとうとうと披露する。二人だけのときは、高校時代の思い出話が出ることもある。でも不自然なほどに、姫川先輩や速水先輩の話題は避けられていた。

 相変わらずよくしゃべる人だ、やはり弁護士なんかには向いてるのだろうか、でも実は気弱な性格が露見して、費用を踏み倒されたりするんじゃなかろうか、などなど思いつつ、だいたいにおいてわたしも呑気に話を聞いていた。

 もうこのままの関係で十分幸せじゃないか、そう思い始めた頃。先輩周辺に一人の女子学生の姿が見られるようになった。


 それまで大学では、先輩のまわりに女の人の気配を感じもしなかった。だから気にしてなかったけど、考えてみれば、その意気地無しで弱虫で卑怯な本質がバレなければ、けっこうもてるはずの外見はしている。おまけに口だけは達者だ。

 もしくはごく稀に、例えばわたしみたいに、意気地無しで弱虫で卑怯でもまあいいか、と思う人もいるかもしれない。

 この女子学生の名を、仮に月影さんとしておこう。月影さんは、悪いことに、姫川先輩と雰囲気が似ていた。姫川先輩よりだいぶ明るく積極的な感じはするが、立ち姿なんかがよく似ている。

 北島先輩に話しかけるその姿を一目見たときから、わたしは今までの心地よい関係はもう終わるのだ、ということを悟った。

 どの道、心地よいけどこんな嘘っぽい関係はいつか終わると、はっきりしていたはずだ。だからいっそ、月影さんに感謝してもいい。しないけど。

 月影さんは先輩と同じ法学部で、学年はわたしと同じ一年生だったが、それまでその存在を知らなかった。多分行動範囲があまり重ならないのだろう。もし見た事があれば、すぐ気付いたはずだ、先輩に会わせたくない人だと。


 わたしは二人が親密になっていく様子を、ただ黙って見ていた。先輩からの食事の誘いは以前同様にあったし、わたしも何食わぬ顔をしてついていった。その席で本人から月影さんの話題がでることはなかった。でも他の男子学生がからかう様子から、月影さんが熱心に働きかけてそろそろ王手をかける寸前、先輩がのらりくらりと対応していることが見て取れた。

 もう、はっきりしてくださいよ先輩。蛇の生殺しはやめてよ。

 自分のことを棚に上げ、わたしはまったく自分勝手に、先輩の相変わらずの煮え切らなさに苛立った。



 さすがにもう無理だ・・・そう思ったのは、アパートの小さな水槽で腹を上にして浮いていた金魚に気がついたときだった。

 この金魚は唯一、わたしが先輩からもらったものだった。

 あるとき二人で食事をした後、店を出たところで小学生らしき女の子に話しかけられた。どこぞで金魚すくいをしたらしく、金魚が一匹入ったビニール袋を持っていた。家では飼えないからお兄さんどうにかしてくれと、初対面のその子がいう。

 それを先輩がにっこり笑って受け取り、その後で結局わたしに下賜されたというわけだ。そう、もらったというより、押しつけられたといった方が正しい。


 でも、これあげるよ、大事に飼ってよと、先輩が言ったのだ。わたしがもらわないわけないじゃないか。


 それから慌てて金魚の飼い方やえさのやり方をネットで調べ、思った以上に弱い生き物であることを知り、それこそ大切に飼っていた。人には言えないが、夜には主に先輩に関する話題で、話しかけたりなんかしたりして。


 その金魚を死なせてしまった。いつから餌をやっていなかったか覚えていない。昨日今日死んだのではないかもしれない。それにすぐ気付かないくらい、わたしは心がおろそかになっていた。北島先輩と月影さんの姿ばかりが頭に浮かんで。

 大学には、数は多くないが信頼できる友人もいる。友人もその頃には、顔色が悪いと心配してくれていた。

 友人の一人、ここでは仮に美奈と呼ばせてもらおう、美奈には、わたしが高校時代からずっと、先輩に思いを寄せていることも、先輩の豆腐の角みたいな性格も、話してあった。だが、月影さんのことまでは話してなかった。

 ただ、わたしが知らなかっただけで月影さんは学内にファンクラブがあるほど有名な人だったらしいので、わたしの落ち込みを見た美奈も状況を察していたかもしれない。



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