(8)涙と鼻水と虹と
でも、わたしはどんな形であれ、また先輩に会うことができて、嬉しかったんだ。
「先輩・・・ありがとう」
「なんだよいきなり、気味が悪い」
「気味が悪いのはこっちです!」
「とにかく、この経験を糧にして、おまえも前に進んでけ。なんだかオレもすっきりしてきた」
「ダメです先輩、姿がうすくなってきてます。やだ、いなくならないでよ」
「いや、いい気分になってきた。今のセリフ、後半だけもう一度、繰り返してもらおうか。ま、いなくなるけど」
「先輩!」
「一生のお願いだ。わがままばっかり言って悪いが、気持ちよく送り出してくれ」
「やだ。一生のお願いってギャグですか」
外で激しく、雨が降りだす音が聞こえてきた。
「最後にもう一つ教えてあげよう。執着から解放するのも愛である。愛とは執着しないこと、と言い換えてもよい。うん決まった。また一つ悟ったな、オレ」
「・・・先輩ってほんとにもう、しようがない人ですね」
「というわけでよろしく」
ため息ひとつ。
「こんなに頼まれちゃったら、しようがないから、わたしも前に進んであげます」
「うん。草葉の陰から応援してるよ」
「先輩。大好きでした」
先輩は、にっと、わたしの大好きな微笑み方でちょっと笑った。それからふっと空気に溶けこむように、見えなくなった。とてもあっけなく。
ああ今度こそ、永遠にさよならだ。もうあの下らない話を聞くこともできない、唯一もらった金魚もいない。とうとう手も握ってくれなかった。
もっと先輩にやさしくすればよかった。もっと早く、先輩に好きって言えばよかった。
でもしようがない。約束させられちゃったから、これからはあんまり、うじうじあなたのこと考えるの、やめてあげるよ。
顔に涙と鼻水をくっつけたまま、わたしはまたその場に倒れるように眠ってしまった。
夢の中で、誰かのへたっぴな子守唄が聞こえた。
翌日、目を覚ますと、もう昼の十一時だった。ひどく頭痛がする。今日はバイトはないから、思い切り自堕落に過ごそう。
そう思って窓を開けると、雨が上がってきれいな虹が出てた。
よかった。そんなに雨が嫌いじゃなくなるかもしれない。
部屋の中はひどい状態だった。テーブルはズレて、コーヒーカップは落ちてラグにしみがついてるし、グラスも割れてる。きれいにしてから消えればよかったのに気の利かない、まあでもすり抜けちゃうから無理なのか、ほんとに最後まで世話の焼ける人だったなどなど、ぐちゃぐちゃな頭で思いながら、掃除をはじめた。
そのとき、わたしがグラスをぶつけたあたりに、汚い文字で何か書いてあるのに気が付いた。
「愛して失ったほうがいい、まったく愛さなかったよりも アルフレッド・テニソン」
先輩。やっぱりあなたはどうしようもない人ですね。未練たっぷりじゃないですか。しようがないから、小野寺君か、またはそれ以上の人を、掴まえてあげます。文学部もがんばるし、ご飯もモリモリ食べます。でも残念ながら、あなたのことは忘れません、少なくともしばらくは。
忘れなくたって進める程度には、しっかりしてるんですよ。わたしは誰かと違いますから。
窓の外を見ると、虹は空気に溶けて、なくなっていた。
そのかわり、すっきり青い空が目にうつった。
読んでいただいてありがとうございます。
ここまでで先輩中心のお話はいったん終了ですが、
このあとは、オノデラ君との話で、
(同時期のほんとに短い小話を挟み、)
一年後ぐらいの二人の話が少しだけ続く予定です。
多少雰囲気が変わるかもしれませんが、
その話まで含めて完結となる予定ですので
もうちょっとだけおつきあいいただけると、嬉しいです。