(1)いきさつは一本釣りで
「おまえ全然わかってないよ。あのね、だから愛っていうのは・・・」
今日もまた、口だけ達者なこの人の愛に関する説教もしくはゴタクがむなしくひびく。
ここは何もどこかの講堂などではない。通っている大学の近くにわたしが借りた、古びたアパートの一室である。
こんな珍妙な事態をどうしろというのか。よりによって愛についてのゴタクを、なんでこの男からくどくど聞かされているんだろう、わたしは。神様おしえて。
目の前の男に最初に出会ったのは、この男が高校二年、わたしが同じ高校の一年のときだった。
一年生のとき、わたしはクラスを代表して文化祭の実行委員になった。別に積極的な性格だったというわけではない。クラスに希望者がいなくてくじ引きになり、四十分の一の確率のそれを引き当ててしまったのだ。
そう、昔からやっかいごとを引っ張ってくる素質があったのだろう、と今にして思う。
文化祭実行委員は、会長をはじめとする生徒会役員や執行部の指示を仰ぎつつ活動する。当時、生徒会の副会長だったのがこの男なのだ。
ちなみに、生徒会役員は選挙で選ばれるが、生徒会執行部員は、自薦他薦に話し合いというあいまいな基準で選出され、人数もその年によって違う。というか、一般の生徒にとって、誰が執行部員を務めているかなんてことは、意識せずに済む話である。
その上、執行部員のほとんどが、生徒会役員によって文化祭実行委員の中から一本釣りされてくるなんてことは、ほとんどの人が知らないはずだ。わたしも知らなかった。
そしてわたしは、二年生のときは文化祭実行委員にはならずに済んだ、かわりに、生徒会執行部に所属するはめになった。一本釣りされてしまったのである。
要は、文化祭実行委員と生徒会役員の接触が多い文化祭の準備期間中に、使い物になりそうな人間に役員が目星をつけるのだ。
この場合、使い物になりそうな人間というのは、何か指示を与えられるとそれをやらずにいられない、という人種で、カリスマ性やリーダーシップはもちろん不要だ。要領はいい方がいいのだろうが、要領がよければうまうまと釣られることもないわけだから、自然と要領の悪い人間が多くなる。事実、その学年の執行部員は女子はわたしだけだったが、男子は見事に全員、人のよさそうなタイプだった。
この男はわたしが二年、本人が三年のときも連続して副会長を務めた。三年になるときは会長に立候補するのではと思われていたが、会長に立候補して見事その座を射止めたのは、前年この男と同じく副会長を務めていた女子の先輩だった。
この人を仮に姫川先輩としておこう。姫川先輩は、凛とした雰囲気をまとった美人だった。優秀な人でもあったが、やや人見知りのところもあり、あまり人の上に立つのは得意ではなさそうだった。
だから姫川先輩が生徒会長だった期間、実質的にその役割を担い、影に日向に会長を支えたのは、この男だった。
そういう性格の姫川先輩がなんだってまた生徒会長に立候補なんてしたのかというと、先代の生徒会長の強力なプッシュ説が有力で、多分正解でもある。先代会長を仮に速水先輩としておく。速水先輩は姫川先輩のさらに一つ上の学年、つまりわたしが一年のときの三年生だった。
この姫川先輩と速水先輩というのが、後々語り継がれるような美男美女、成績優秀カップルで、「お互いを高めあうおつきあい」をしているとかで、教師からも公認のお墨付きをもらうような間柄だった。速水先輩の卒業後も、もちろんその交際は続いていた。
速水先輩が姫川先輩を推したのは、その人見知りを克服させるため、というのが専らの噂だった。他に適役の立候補者もいないとなれば、一般の生徒としても美人を会長にかかげるのはやぶさかではない。ということで、賛成圧倒的多数で彼女が会長に選出された。
凛とした美人で成績優秀、しかし実は人見知り。最強である。
速水先輩は、この男(もう面倒なので便宜上、北島先輩と呼ばせていただく)、北島先輩が会長職をうまくサポートするだろう、というところまで見切っていたはずだ。
北島先輩が姫川先輩に叶わぬ思いを寄せていたということまで、速水先輩が知っていたかどうかは定かでない。でも、案外知っていたのかもしれないと思う。
そう、北島先輩は姫川先輩が好きだとか、姫川先輩に振られた、とかいう噂が、ひそかにささやかれていた。当の北島先輩は、そんな噂を気にする様子もなく、副会長の仕事ぶりにも私情をはさむ様子は見られなかった。だから、それは根も葉もない噂だという人もいた。
でも、北島先輩が姫川先輩を好きだったというのは事実だとわたしは知っている。
だってわたしは見てたから。ずっと北島先輩を目で追ってたから。
だから、好きだという噂は本当でも、振られたという噂は嘘だということも知っている。もし実際に思いを伝えていれば、まず振られただろうと思うけど、それができるほどの度胸はない人だった、この男は。
昔からずっと、北島先輩は意気地無しで弱虫で卑怯だった。
そういうわたしも、高校時代には自分の思いを伝えることができなかった。
しかし、大学生になってから、わたしはきっちり北島先輩に思いをぶつけようとした。えらい。よくやった。自分を褒めたい。
ただしその長年の思いは玉砕した。それも先輩得意の逃げの戦法によって。
たくさん泣いて、体重も一か月ほどの間に5キロぐらい減った。そして、少しずつでも、ふっ切れるように頑張ろう、ダイエットばんざい、最近ようやくそう思えないこともないようになってきた。
それがどうなんだ、今になってこの事態。