9話
「…ルーン?」
ふと、ルクレティアはつぶやいた。無意識の行動だったが、彼はここにいない。
当たり前だ。彼は地方視察に行っているのだから。
分かっているのに、何故か不安になる。
もう一ヶ月も会っていないから?
それとも、あの早急すぎた面会に、未練があるのだろうか。
ルクレティアは立ち上がった。部屋を出ようと振り返って、そこに人が立っているとはじめて気付いた。
「殿下?」
「セイデン公…」
彼がいることに、今まで気付かなかった。セイデン公爵シャーロックは、いつもと変わらぬ美しい蒼の瞳でルクレティアを見た。
だが、その表情はわずかに暗い。
何かあったの、とルクレティアが訊く前に、彼は言った。
「殿下。申し訳ございませんが、お話が」
「――――――セイデン」
シャーロックの声は、さえぎられる。
はっとルクレティアは表情を固くした。扉から現れたのはティエアル公デュクス。
怖い、と思った。その端正な横顔に、感情の欠片も浮かんでいない。
「ティエアル公、殿下の前です」
シャーロックの言葉をデュクスは無視し、ルクレティアの前に出た。
「ティエアル、公?」
ルクレティアの問いに。
「リュデュキオは死んだ」
彼は、そう、言った。
「…………え」
「リュデュキオ公爵ルーナルティア=ディオクレス=レアンディは死んだ」
彼は告げた。とりたてて、なんの感傷も抱いていないようだった。
だから。嘘だと思った、冗談だと思った。
ルーンが。ルクレティアの愛する人が、そんな。
「残念ながら本当です、殿下」
セイデン公が言う。そらおそろしく、むなしい言葉。
「う…そ。うそに決まっているわ」
誰か、と言いかけて、ルクレティアは気付く。
「そ……うよ。クレオンは? リュクレクス公爵は?」
瞬間、厄介な、とでも言いたそうな顔にデュクスはなる。
「彼を呼んで。彼に訊くわ」
「リュクレクス公は、今はお会いできません」
どうして、とセイデン公を見る。
「治療中です。腹部の出血が激しくて、生命の危険も」
「な」
「リュデュキオに直接手をくだしたのは、リュクレクスだからだよ。名誉ある死でもリュデュキオを殺せなかった」
「――――――」
それでもなお、王女ルクレティアは声を荒げることをしなかった。セイデン公が内心感心していたことを、知るよしもないが。
「――――――誰がそんなことを言ったの。わたしが、お兄さまが、ルーンを処刑してほしいと言ったの?」
「いいえ、殿下」
皮肉げにティエアル公は言った。
「だがお忘れなく。リュデュキオの処刑を立案実行したのは俺とリュクレクスだ」