8話
しばらくして、クレオンが来た。デュクスが何やら合図をして、それから高らかに開始が告げられた。
歓声が、次の瞬間いっきに静まる。姿を表わしたのは、遠目にもみごとな銀の髪。のばせばいいのにとシャーロックは思った。よく似合うだろう。
「セイデン。ディオクレスは、あの傷は動けるほど軽かったのか?」
デュクスは、ふと思い、かたわらのシャーロックに訊ねた。地下の牢で見たときは、生死すら危ぶまれるような傷に思えた。もちろん、あの傷が三日で完治したはずもない。ということは、程度はわからないが、無理をしているはずだ。
シャーロックはデュクスを見た。
「いいえ。立っているのも辛いはずです」
躰中に差し込まれた針、剥がされた皮膚と爪、何本か指も折れている。さすがに足の腱までは切られていなかったが、代わりに左腕の筋が痛めつけられていた。あれがもし自分なら……とシャーロックは思う。どうにか歩くことはできても、剣を持って闘うことは、まず無理だろう。
「化け物だな」
デュクスはつぶやいた。シャーロックには、それがディオクレスの、何を示しているのかは分からなかった。
彼は―――ルーナルティア=ディオクレスは―――傷付いた肉体を隠す、美麗な衣を纏っていた。血の汚れが付けば目立つだろう、白の上着。金の刺繍をあしらったシャツと脚衣。底に滑り止めのついた革の長靴に、鮮やかな飾り紐。デザイン自体は瀟洒であったが、それゆえに彼の美しさを引き出している。こんなに美しい男だっただろうか、とシャーロックは思った。誰もがディオクレスを見ていた。視線をそらすことのできる者の方が、珍しいだろう。
そうこうしているうちに、それは始まった。一方的な虐殺である。
むらがるような数の人間相手に、ディオクレスは剣を振り回し、走り出した。
その動きは無秩序なように見えたが、彼の前には道が開ける。銀の髪が風に乗って、きらきらと輝いた。
それからが凄かった。
ディオクレスは手にした得物が駄目になるたび、倒した人間のものを奪い取り使った。剣、短刀、中剣、槍。得物を振るう動きはなめらかで自然だったが、クレオンはそのなかに小さな断続を見つけた。ハッとしてディオクレスを注視すると、白の衣装には、おそらく敵のものだけではない血の染みが広がっていた。
「……動けるのか。まだ」
「血をさほど失っていないからでしょう。筋や骨には、大きな異常もありませんから」
「そうか。クレオン、俺も行ってきていいか?」
「やめておけ」
冷たくクレオンは言った。
「いくら今の弱ったあいつでも、貴様なら殺すことは造作もない」
デュクスは心外だと言わんばかりに片眉をあげた。クレオンには敵わないとしても、そこまで弱いつもりもない。
そんなデュクスに対し、クレオンは何か言いたげに口を開きかけた。が、その言葉よりも先に、会場からどよめきがあがった。
ディオクレスが、賓客席にはね飛ばされたのだ。いや、とデュクスが呟く。嬉しそうに。だが、立ち上がったのはクレオンの方が早かった。
クレオンは躊躇なく、デュクスの腹に拳をたたき込んだ。回避できなかったデュクスがよろめくのを見もせず、彼は自身の剣を掴むと、身軽に階下へ飛び降りた。
「リュクレクス様!」
シャーロックの制止。
だがクレオンは、それを無視する。
「ディオクレス」
クレオンはその名を口にした。その声は、叫んだわけでもないのによく響いた。
ディオクレスはクレオンをふり返った。二対の瞳が相対するのを、シャーロックは確かに見た。
ふたりの距離、わずか三十歩ほど。
「クレオン―――」
「ディオクレス。私はここにいる」
言いざま、剣を抜き払う。鋭い銀の刀身。
「来い!」
クレオンは駆け出した。ディオクレスも。
そして。
――――ふたりは。