シュシュの眼差し
現代社会の女性にとっての社会進出と家庭の所有について切り込みました。あまり社会人の営みについて鮮明な表現はできませんでしたが、主人公の内面推移には力を入れたつもりです。みなさんが色々考えられるような作品になれたら幸いです。
新幹線のチャイムが鳴ると、突然に緊張が増した。数えきれないほどに流されたであろうこの機械音が、試練の開始を告げるように、今から始まる新生活の見えない行く末へ、もう後に戻れず進まねばならないという意識は、思ったよりも重いもので、胸のリズムに乗るがまま、あるいは背後に迫る仏頂面のサラリーマンと思われる男に押されるがままに駅に降り立つ。そこから国立までへの数十分の旅についてはその記憶は消え去り、次に出てきたのはまさに苦学生ならぬ、苦社会人に相応しい安アパートの安っぽい一室の中で、この拙い修飾を冷笑するような趣で私の前にドンと現れた。おそらく場面がそこに映ったのは、その一室もまたブラックボックス化した新生活を意識させる試練の場であったからで、そうこう誰とも共有できない独り言を心に抱えているうちに、案外と新生活には馴染むことができた。入社式から初期研修までは自分なりには上手くいったと思う、ーと言わないでこれから生きていくのが辛いという一面は置いといて、なんとか一社会人として、つまらないサラダボウルの具材として入りえたようだった。
自分が社会人だなんてのはいつまで経っても慣れぬ形容詞ではあったが、やはりそれは何らかの心地よさを感じさせるもので、数年前まではーというものの訪れたことは数えるまでもないほどだが、他人事として連立していたビルが、今ではすべて自分にとってのお隣さんのように感じた。この感覚は地元の小蠅が飛んでやまない山林域でのものに該当するものだろうか。かつては自分に何となくシンパシーを感じる、あるいは感じているように自分に思い込ませた、一本の木にキリンなんていう自身のユーモアの最大限をなすりつけたこともあるが、その瞬間に周りの木々がすべて何らかの関係性を持ったもののように感じたことがある。物事の関係の構築は、私の中ではきまってこう行われるのだろうか。私の両親は高齢であったため、私は社会人としてメキメキするよりも愛嬌振り撒く可愛い可愛い女房となってもらうことを願ったのだろうか、あるいはそれが今には気づかない幸せだと考えたのだろうか、後者を建前とした前者にしか思えないのはまさに後者の口実になるのだろうが、その体裁と思われる体裁の上で、光沢の目立つちびっこい球体のポツポツと添えられた、黒いシュシュを、旅立ちの数日前に渡された。古めかしさを感じずにはいられなかったものの、やはり両親を感じさせるということでそれは心地よく、カジュアルな場にはきまってつけていくことにしていた。
いかんせん、そのような親の期待にはどうしても抗いたい節が、これは娘というものの現れで、男なんてクソ喰らえと、大学時代の経験を脳裏に固定させながら、ジワジワとやれることをやってきたつもりだ。しかし、それが既に自身に課した、あるいは課されたステレオタイプの一種であり、どうにも未来に明るいものは見出せずにいられない。先日も、企画書の是正のお説教を頂いた際の、男上司の視線がまばらで、口元の緩みを隠さず、時折に同期の男社員らへ目配せをする態度は憤慨ものであったが、そう思っているうちは自身の成長を止めると心に言い聞かせ続け、男職場でいかにも馴染めていない自分が部署の花だと言われていることも堪らなかったが、それすらも自身の初めてのキャリアだと捉えることで消化してきた。地元の友人は暇そうであったので時折電話で喋ることもあったが、仕事の話題になった際にはきまって自分を高く見せるように心がけていた。昔から成績や運動なんかの自慢で自分を誇示する人には碌なことがないと言い聞かせていた自分ではあったが、今では自分を卑下することは一種の成長の歯止めになりかねないんだと、自分の中での思考の転換をはたらかして、自分なりに研鑽を続けてきたつもりだ。少なくとも、自身の職場の愚痴をこぼすまねなどはしなかったし、相手の愚痴を聞くたびに、自身の選択の正しさを証明した気になるようにしていた。
年末の繁忙期の真っ只中、いつも通り数十分の電車に揺られる際にふと家族の談話が耳に流れ込んできた。そして、私はその会話を盗み聞きしながら、自分に問いかけを投げずにはいられなかった。その奥さんはどんな人生を送ってきたのか。社会に出たことはあるのか。どうやって旦那さんと出会い、結婚、出産へ至ったのか。迷いはなかったのか。社会へ取り残されるとは思わなかったのか。今、本当に幸せなのか。頭の中に疑問が増えていくと、眠くなるものだ。自宅の最寄駅のアナウンスで起きるまでに、その家族は既にいなくなっていた。私は帰路についたが、腑に落としきれないわだかまりが離れることはなかった。
年明けから少し離れた帰省の際には、お盆に帰省しなかったのもあって両親は盛大に迎えてくれて、同級生が修行中である、寿司屋からの出前が用意されていた。ふと、母の少食が気になったので口に出してみたら、少しの沈黙の後で、姉がこの秋に腸に癌を貰ったことを話した。姉が結婚後少し実家にいるという話は電話をした時に聞いたが、そういえばその理由は聞かされていなかった。私は両親になぜ話してくれなかったのかと問い詰めたが、母が視線を虚にさせながら、
「だって、恭ちゃん、頑張るんでしょう」と言った。続けて父が、
「美代子、やっぱ、由香理に迷惑かけるわけにはいかんや。雄二さんも、彼は素朴だか、笑ってゆるしとうくれるけど。俺は、恭子に少し帰ってきて欲しいんだ。」と言ったが、私がそれに返すこともできないまま、母は、
「茂さん、あんたは何も言わんでええのよ。康太君もよう泣くから、由香ちゃんも、あたしがいたほうがいくぶん楽だと言ってくれてるよ。そら雄二さんには申し訳ないが、恭ちゃんは恭ちゃんで、会社にもほら、迷惑でしょう」と諭してくれ、その場はなんとか収まった。私は母の言葉に複雑な思いを抱かずにはいられなかったが、姉がこちらを見て目をやさしめてくれたので、いくらかわだかまりをなじませられた。
その晩、どうも寝つきが悪かったのでリビングへ降りると、エレベーターガールとして働いていた頃の母の写真と、私と同じような、ー黒柄の、シュシュが置かれているのを見た。闇夜の中で月影に照らされた粒が少し光るのが見える。写真のフレーム付近は、それは私の記憶がない頃から置かれていたもので少し埃っぽい手触りであったが、その中にある目はどこか遠くを眺めがちであるような、そんな目であった。台所付近に置かれた麦茶をコップに移し、ふとそのシュシュをもう一度見る。そして、自分の手につけていたシュシュと比べ合わせる。その瞬間、どこか居た堪れない思いを感じたので、急いで自室に戻り、貼ってあったその時勢の俳優のポスターの、顔の輪郭をなぞりながら、色々考え事をした。そのうち、頭の中がこんがらがってきたので、フェードアウトしていくように眠りへとついていった。
翌日は、学生時代からの友人と出会う約束をし、久しぶりのショッピングを楽しんだ後、喫茶へと赴いた。会話のタネは当然にかつての同級生の行方で、私は聞く一方になっていたが、みなそれぞれが思っていたよりも充実していて、ー特に、バカで仕方がないと思っていた男が、今はここら辺で小企業の社長を務めているのは寝耳に水で、わずか23になる代であったのに、そこまで彼が大成するものなのかと驚くを隠せなかった。都会移りという共通点からか、あるいは聞き続けた出演者へ話を移すトーク番組の司会者のような心がけからか、ー話の主導権が自然と私のもとへ回ってきた。当然に私は近況について誇示する動きに出たが、リアルベースでの対話では日本人の矜持故なのだろう。謙遜を交えようと、この度の帰省が繁忙期明けの皆に被せたもので会社に空きが大きく出ることとなり、それについて不満を漏らされたのだと、先ほどよりも声高に愚痴を漏らしてみた。友人たちは日本人コミュニケーションに乗っ取り会話を続けてくれたが、その一方で私は、不満を漏らされたのが同期の男であり、その後に休みを申し出た私が何の躊躇いもない軽い頷きの上で受理されたことに苛立ちを覚えたことを思い出し、そのままにその日の、同部署の繁忙期明けを記念した、ささやかな憩いとして位置づけられた飲みの場への誘いを断ったことその光景が脳裏を巡り続けることになった。次の場面転換では、夕日のさすリビングの中、私の目の前に母のシュシュが現れた。大きくため息をついた後で、リビングのものと、私のものと、シュシュを交換してみた。その瞬間、遠くを見つめていたようなかつての母と、目があったような気がした。
その翌日、帰宅の予定をズラし、朝に上司の不満がちな口調の電話を若干強引に切り、休みの連絡を入れた上で、社長となった彼の会社へ訪れてみた。3階建ての小さなビルの一階をテナントとしている彼の会社は、小さくはあったが熱意の漏れるもので、受付もいないドアを強引に開け、窓際に座る社長へ久しぶり、と明る気に声をかけた。彼は驚きながらもすぐに私を認識し、席を離れ談笑へ移ってくれた。すっかりこなれた喋りを得た彼は学生時代の可愛げのあるほっぺたがシュッとした輪郭に成り変わった、一社会人であり、思わず彼の頬を手でなぞってしまうままに、憎き男上司や同僚たちが寂しく感じるフリを、心の中でしてみた。
東京での自身の非力さを痛感しながらの帰省をした恭子は、地元で昔に見下していた同級生が社長になったことを知る。地位の向上というものに関心が深かった恭子は、興味の行くままに彼の元を訪れる。訪れた彼の職場、彼に触発されたのであろう熱気が充満し、彼自身は、身なり体裁が整えられた好青年となっていた。ここで話を前日までに戻すが、恭子は既に疲弊しきっていた。東京が地元のように馴染みの地になりつつあると思っていたものの、上司や同僚の態度に嫌気がさしていて、それは繁忙期明けの休暇を巡る、上司の同僚と私への露骨な態度の違いにも現れており、遂には彼らとのコミュニケーションを拒むまでにそれは募っていた。この状態では最早東京に温もりなど感じられないだろう。また、ここでいう東京とは23区内の、ビル群の集積する地帯である。恭子の住む国立は住宅街が広がり、そこまでの長い通勤時間の中で東京での仕事、と国立での生活にギャップが常に生まれていたのと、恭子が東京に馴染めなくなっていった要因なのかもしれない。その更なる根本として、恭子は地方の決して裕福でない生まれであり、東京での生活などが既に用意されていなかったことが挙げられる。また、繁忙期の中の家族の会話は既に社会から一度離れたであろう人妻の、恭子が最も自己像から遠ざけしようとしている人物像の、そのあり方を問いかけており、ここには恭子がそういった人間像になることへの一定の関心を持っていることが現れている。その後の帰省の初めでの母ーかつて、恭子のように都会で職に就いたが、茂の家庭へと入り由香理、恭子を産んだ彼女の病気の存在や、それを看病し、家庭を持ち始めた姉の由香理と出会うことで自分の価値観が変わり始める。その翌日の地元の友人との会話の中で一層東京に嫌気がさしはじめ、その上での彼(小企業の社長)との出会いは恭子が彼に陶酔させるのに十分であっただろう。恭子は俳優のポスターを自室に飾るあたりに面食いであり、好ましい輪郭を持つ彼が、自身の求めていた地位の最高峰格の社長という位置に座し、かつ対等な関係で対話を営んでくれることは東京で冷たくあしらわれた恭子にとって特別に嬉しいことで、自らのキャリアを彼に委ね、側で支えることが、自身の上手くいなかった過去を踏まえての、新たな幸福となっていくのではないだろうか。彼女の母、美代子も茂に同じような思いを抱いたのだろう。また、美代子は病気の告白の場面で恭子に社会での活躍を願ったのが、それが彼女のかつての思いの現れであったのは間違いないであろう一方、シュシュを渡したときのように(おそらく、というか確実にこのシュシュの選定、贈呈は美代子によるものである)、恭子の家庭を持つ道での幸福の示唆は美代子の半生を如実に表した言動の過程であり、実際に恭子もまたそのように歩み始めている。国際化と多様化の時代で、女性の社会進出が20世紀初頭から進み始めた今なお、日本での恭子のような、いわゆるキャリアウーマンの諦めと家庭の所有というのは前時代と変わらない部分がある。人間の生物的観点からの照合も混えつつ、女性の社会進出のあり方というのは深く考えていくべきであろう。




