七.盗作騒動
七月下旬。楚月と晋高が連泊するようになり、今日で十七日目。さらに十日間泊まりたいとのことで、追加で料金を受け取っている。
「姐姐! ねえ、知ってる!?」
易者をしに出かけたはずの央央が、老婆の格好だということを忘れ、全力疾走で楓流軒に飛び込んできた。急いで帰宅するということは、一つしか考えられない。
「追加公演のこと?」
月影座の公演は、十四日間の予定だったが、大盛況とのことで七日間の追加公演が決定されたことを、昨夜、座長である楚月本人の口から知らされている。もうすぐお別れだと名残惜しかったので、さらに十日間も滞在すると知り、春鶯は純粋に喜んだ。
央央は真っ先に姉に伝えたかったのだろう。
「なんだ、やっぱり知ってるんだ。謝公子から聞いたの?」
「昨夜ね」
「ちえー。教えてくれたっていいのに!」
「夜遅かったから、あなたは先に寝ていたじゃない」
「それならさ、朝起きたときでもいいでしょ? まぁ、私は追加公演の張り出しで、阿来と一緒に喜べたからいいけどさ」
黙っていたことを悟られ、央央は拗ねて唇を尖らせてしまった。隠そうとしていたわけではなく、演劇愛好家の央央を驚かせるために、ここは本人が気づくまで黙っていようと楚月と話し合ったのだった。案の定、町中で知った央央は、老婆に扮していることも忘れて真っ先に帰ってきた。成功だ。
「ごめんね?」
「どうせ謝公子の提案でしょ? 本当、意地悪なんだから!」
提案したのがどちらだったのか、央央はすぐに勘づいたらしい。妹の直感力には敵わない。
「そんなこと言わないの」
「えー、私の味方してくれないんだ」
「そんなことないわ」
「ふうん? まあいいけどね。そろそろ部屋を引き払うと思ったのに、連泊したままだったから、薄々わかっていたけどさ」
掃除を頼まれなかったので、不思議には思っていたらしい。
「十日間分の代金をいただいているわ」
「よかったね。上房がほぼ一か月埋まるとか、あまりないし」
二十七泊も上房に宿泊する客は珍しい。数年前にも、移動型の劇団座長が泊まったことがあったが、せいぜい二週間程度だ。
「ふふ、そうね」
「楓流軒が繁盛したって、どうせ私たちには一文も入らないけどね!」
央央の言う通り、繁忙期だろうと閑散期だろうと、小遣いとして渡される額は固定だ。春鶯は、受付や清算を担当するので気前のよい客から、いくらか心付けを受け取ることはあっても、楚月のように六百文も一度に受け取ったことはない。せいぜい、二、三文程度だ。
小遣いだけで足りない分を、央央は易者をして自分で稼いでいるとはいえ、人口の多い帝都には同業者もそれなりにいる。客を奪い合うことは日常茶飯事だ。そんな妹も、十二歳で始めた当初は、半日外にいても一人もつかまらず、客を探すだけでも一苦労していたという。今では、そこまで苦戦していないようだが。
「明日からの三日間は休みだから、そのときに脚本を覚えるって言ってたよ」
「まあ!」
「絶対観に行こうね! 楽しみだね!」
要件を伝えて満足したのか、央央はまた元気に楓流軒を後にした。
次の日。月影座の追加公演は三日後とのことで、その間は稽古に明け暮れるという。
央央は、久しぶりに別の劇団の公演を観に行けると張り切っていた。二週間はほぼ毎日、楚月から受け取っていた招待券を使っていたため、浮いた分で別の演劇を堪能できると本人は喜んでいた。
数年前から、帝都に劇場を構えている人気劇団の公演を、福来と半月ぶりに観ると言って出かけて行った。そんな央央が、一時辰後に焦った様子で帰宅したのはつい先ほど。
「今日は阿来と、夕餉も済ませて来るんじゃなかったの?」
「それがね、姐姐。落ち着いて聞いてほしいんだけど……」
深刻そうな表情で切り出され、俄かに信じがたい話を耳にする。なんでも、央央が福来と観に行った「百花繚乱」の公演内容が、春鶯にも物覚えのある話だったのだ。
三蔵一行が旅をしている最中、酔っ払いに絡まれていた若女将を助けると、そのお礼に象牙の箸が贈られたという。次に立ち寄った旅館で、またその若女将に遭遇し、孫悟空、猪八戒、沙悟浄の弟子三人も高価なはずの象牙の箸を贈られ、あとは春鶯が書いていた通りの展開だったという。
「そんな……」
数日前に紛失した皮紙や竹紙が、何者かの手によって、月影座と競い合っていた劇団「百花繚乱」の者の手に渡った可能性が浮上してきた。
「すぐに謝公子に伝えなきゃ……!」
偶然、似たような話を脚本家が書いた線も捨てきれない。しかし、春鶯が書く前は、どこの劇団も、象牙の箸が絡むような演劇は行っていなかった。月影座が真似をしたと言われてしまえば、後々面倒なことになりかねない。
「あ! そういえば、姐姐には言ってなかったんだけど、百花繚乱の座長と、趙美らしき人物が、数日前に高級茶楼にいたところを、阿来が見たって言っていたの」
「まさか……」
「でも、ないとも限らないでしょ? 盗んで売ったのかもしれないよ?」
聞いた当初は、央央も本気にしていなかったという。他人の空似という言葉があるからだ。ところが、実際には盗作されてしまっているし、偶然にしては重なりすぎではないかと央央は悔しがる。
「店番、頼んでいい?」
「いいよ!」
柜台を央央に任せ、演劇の練習をしているという楚月を探しに行くことにした。どこで稽古をしているのかは知らないので、片っ端から当たってみるつもりだ。
春鶯が、楓流軒から一歩踏み出そうとした時。何食わぬ顔で楚月と晋高は姿を現した。
「あれ、春鶯。どこか出かけるの?」
「謝公子! 今、丁度探しに行こうとしていたんです。伝えなければならないことがありまして……」
「それは奇遇だね。部屋に来るかい?」
「え、お部屋ですか? あの、その……」
さすがに、宿泊客がいる部屋に従業員が入室するのは誤解を招きかねない。後々、迷惑をかけることになると申し訳ないので返事に迷っていると、隣で真顔になっていた央央がすぐさま突っ込みを入れた。
「ちょっと、私の姉さんを独り占めする気?」
「妹君が心配するなら食堂でもいいけど? なんなら、ここに晋高を置いて、宿屋の仕事を手伝わせてもかまわない」
そう告げると央央は、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「……一炷香だけよ」
「ありがとう。ちょっとの間、春鶯を借りるよ。晋高」
「御意」
「妹をお願いしますね、琳公子」
「任された」
央央一人で柜台の前に座らせるのは心配だが、傍に晋高がいるなら安心だ。無言の圧力で、異性を片っ端から追い払ってくれるのだ。それに、央央はわざと晋高に寄り添うため、向こうが勝手に勘違いして落胆するのだという。
楚月とともにひと気のない食堂へ足を踏み入れると、さっそく本題を切り出そうとした。椅子に腰かけた楚月は、どういうわけか着用していた白い仮面を外してしまった。美しい面持ちが露わになり、顔を合わせると途端に春鶯は緊張してしまう。激しい運動をしたわけでもないのに、心拍数が上がってしまう。
「……あの公子。どうして仮面を外すんですか?」
「邪魔だからだよ」
邪魔だから──。
普段は舞台以外では絶対に外さないのに、なぜか春鶯の前では時々外すようになってしまった。どうして外しているのか理由がわからない。
「あの、仮面をつけてもらえませんか?」
せっかく脚本に問題があったことを伝えたいのに、ドキドキしてしまって話を切り出せない。集中できない。そんな春鶯の様子に気づいているはずなのに、楚月はどこ吹く風といった態度だ。
「どうして?」
「決まってるじゃないですか。恥ずかしいからですよ」
「俺の顔が、醜いってこと?」
「違いますっ! 綺麗な顔が至近距離にあって、ちょっと落ち着かないんですよ」
「きみに慣れてほしいんだ」
「え?」
そう告げてから、顔をじっと見つめられ、春鶯の頬はみるみるうちに真っ赤に染まった。整った顔立ちは央央で見慣れている。けれど、央央は赤ん坊の頃から知っている妹だ。異性ではない。
「俺が、舞台以外だと仮面を欠かさない理由、気にならない?」
「……きっと、阿央と同じなんだろうなって、思ってました」
央央には福来以外の友人がいなかった。せっかく親しくなれそうな子が現れても、気がつけば同性から一方的に妬まれてしまうのだ。義妹の趙美もそうだ。央央と一緒にいると、異様なまでに異性に絡まれ、最初は気を遣って隣にいる女子にも話しかけるけれど、それはあくまで社交辞令だ。明らかに央央に対する反応と違う。その熱量の違いに、せっかく仲良くなれそうな子ができても、いつの間にか避けられてしまうことに長年悩まされてきた。
「謝公子も、外見で嫌な思いをしたことがあるから、だから仮面をしているのかと」
「……うん。この外見で生まれてよかったことは、舞台の上で映えることくらいだよ」
春鶯は、央央や楚月のように、整った容姿が原因で苦労したことはない。以前は、ちやほやされる妹が羨ましくなったことも、なかったと言えば嘘になる。
でも、そんな央央や楚月が、自分に対して分け隔てなく接してくれていることが、とても嬉しかった。平凡すぎると趙眠によく貶されていたので、少しだけでも母親に似た見た目だったらよかったのにと、以前は悩んでいた。けれど、今ではその思いも薄れてきている。父親譲りのこの垂れ目も、自分らしいなと前向きに考えられるようになった。
「綺麗すぎてドキドキするんです。私の心の平穏のためにも、仮面をしてくれませんか?」
「……この顔でよかったと、舞台以外で初めて思えた」
「公子……」
楚月の顔がだんだんと近づいてくる。驚いた春鶯が咄嗟に目を閉じると、間髪容れずに、天真爛漫な妹が割り込んできた。
「はーーい、そこまで! 二人っきりのお時間は終了でーーーーす! お疲れさまでした!」
「阿央!」
「それより、ちゃんと話したの? 象牙の箸を絡めた新作が、他の劇団に盗作されている可能性があるって」
「ま、まだよ」
「ええー? せっかく一炷香もあげたのに、まだ話してないのぉ?」
央央は不満げに唇を尖らせた。
「妹君はせっかちなのかな? まだ五分も経ってないだろう」
「経ってますよーだ! というか、いい加減、妹君って呼び方、やめてくれません?」
「それなら、妹妹の方がいいか?」
「あんまり変わらないよ?」
楚月は、やれやれと言わんばかりに央央の背後にいる晋高に視線を向けたが、小さく首を振られるだけだった。食堂に様子を見に行くという央央を制御しきれなかったのだろう。
「伝えるのが遅くなってごめんなさい。阿央が今日、見た演劇の内容が、私が書き上げた内容と似ていたそうなんです」
「それで、俺たちの練習場所を知らないはずなのに、伝えに来ようとしてたんだね」
「はい。これからのことを考えると、早い方がいいかと思って」
三日後に上演するはずの作品が、急遽取りやめになる可能性が浮上したというのに、楚月は怒ったり憤慨したりせずに冷静だ。目を離した隙に紛失したと打ち明けたときも、不機嫌になることはなく、心配してくれていた。
「代替案はなにかある?」
「そうですね、他の作品とかけ合わせるのはどうでしょうか?」
「例えば?」
「月影座は、西遊記の他に白蛇伝が人気ですよね。だから、白蛇伝の登場人物が、西遊記の世界に迷い込む……とか」
「うんうん」
さすがに毎晩、通うことはなかったが、数日前の夜公演で観た白蛇伝を思い浮かべる。象牙の箸のように、組み合わせられるのではないかと考えた。
「楚月さんは、西遊記の三蔵法師と、白蛇伝の許仙を演じているので、白蛇伝で妻の様子がおかしいと怪しんだときに、旅の三蔵法師に相談するんです」
二役なので楚月は大変だが、三蔵法師は坊主の被り物をしているので、それを取っ払えば許仙になれる。着物は数着用意し、場面転換の都度、裏方が素早く引っ張り着替えさせれば、どちらもこなせるだろう。
蛇の正体を突き止めるのは孫悟空たちで、今後どうしていきたいか相談した結果、蛇である妻を受け入れて暮らしていくという最後にする。
その日の観客を見て、若い男が多ければ、妻との場面を増やして尻に敷かれた内容にし、子どもが多ければ、孫悟空が暴れて、蛇を退治しようとする第三勢力を撃退する。女が多ければ、三蔵法師と許仙の妻との会話を増やし、妖艶な雰囲気を作る。
春鶯がいくつか提案すると、楚月は大きく頷いた。
「紙と筆を取ってくるよ!」
「え、自分で行きます!」
「いいから待っていて。今晩はじっくり、作品について語り合おう」
「は……はい」
楚月は率先して紙と筆を取りに行き、夕餉の始まる時間ぎりぎりまで食堂にて新作を練っていた。他の宿泊客の迷惑になるので、人が少なくなった後、また食堂に集合して、夜遅くまで相談することになった。
提案を面白いと受け入れてもらえただけでなく、夜が更けても、ああでもない、こうでもないと意見を出し合うのは楽しかった。つい熱中しすぎて、央央に何度か仲裁されたが、日付が変わる時間帯まで続いた。




