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眉目清秀な劇団座長は、宿屋の平凡娘になぜか弱い。  作者: ゆずまめ鯉


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六.趙眠の企み

 数日後。楓流軒を騒がせていた閑古鳥騒動もようやく落ち着きを取り戻し、客足は以前のように戻りつつあった。仕掛けた張本人である趙嬌は、当初こそ悔しそうな表情を浮かべていたものの、連日の盛況ぶりを見て、自分に入ってくる収入も増えることに気づいたらしい。それからは、客足に直接影響するような嫌がらせは影を潜め、楓流軒には穏やかな日々が戻ってきた。何度も他の宿屋へ客を誘導しようとしても、自分になんの利益もないと理解してもらえただけでも、不幸中の幸いと言えるだろう。

 申の正刻である十六時を迎え、小腹が空いたので、厨房まで包子を取りに行くか行かないかで迷う頃。春鶯が柜台の前へ座ろうとしたその時だった。珍しく慌てた様子の楚月が、いつも連れ立っている晋高を伴わず、一人で宿に戻ってきた。三階の自室へ駆け上ったかと思えば、すぐに一階へ降りてくる。なにか忘れ物でもしたのだろうか。春鶯は不思議に思いながら、楚月の様子を窺った。


「春鶯。今日も俺の部屋に入ってる?」

「ええ。いつものようにお部屋の毛巾(もうきん)を取り替えるために伺いましたが、なにかありましたか?」


 楚月と晋高が宿泊している部屋には、毎日、顔や体を拭いた後の毛巾を新しいものと交換するために、春鶯が入室している。そのついでに、寝具を簡単に整えたり、床を軽く掃いたりする程度の最低限の清掃も行っている。今日も昼公演へ二人が出かけた後の正午前に部屋へ入ったはずだ。


「ああ、うん。実は、いつも身につけていた玉佩(ぎょくはい)が見当たらなくてね」


 楚月は少し困ったような顔で言った。昼の公演が始まる前、玉佩がないことに気がつき、公演後に慌てて探しに戻ってきたという。


「部屋のどこかで見かけなかった?」

「ええ……申し訳ありません。見かけてないです」


 春鶯は正直に答えた。楚月は連泊であり、隅々まで念入りに確認する必要がないため、普段から部屋の内部の様子を注意深く観察していなかった。どちらかといえば、素早さを重視して業務をこなしていたのだ。楚月と晋高の部屋は、いつ入ってもあまり乱れていないため、入室したと言っても束の間だ。一炷香(いっちゅうこう)(三十分)も長居していない。


「そうか、見てないか」


 少しだけ、残念そうな表情を浮かべている楚月を目にして、春鶯は肩を落とす。


「……ごめんなさい」


 なぜか申し訳ない気持ちになった。いつも通りに注意深く室内を見ていれば、困っている楚月の役に立てたはずだ。


「どうして春鶯が謝るんだ? 宿屋での盗難騒ぎは、残念ながら珍しいことではない。気にしなくていいんだよ」


 一応、楓流軒の宿泊条件にも、宿屋内では貴重品は各自で責任を持って管理すること、万が一紛失や盗難などの騒動が発生した場合でも、宿屋側は一切責任を負わない旨が明記されている。けれど、それが他でもない楚月の持ち物となると、春鶯は「はい、そうですか」とやり過ごすことがどうしてもできなかった。胸騒ぎが止まらないのだ。


「私のこと、少しも疑わないのですか?」


 意を決して楚月に尋ねた。今のところ、入室したのが春鶯だけなら疑われても無理はない。


「きみが盗ったって? ハハッ、もしも犯人が春鶯なら、俺はいくらでも喜んで贈るよ?」


 楚月は面白おかしげに笑った。


「公子!」

「そんな子じゃないって信じているから。目をキラキラと輝かせて、物語を楽しそうに語るきみが、自分よりも妹を大切にするきみが、そんな卑しい真似をするはずがない。俺はね、人を見る目だけはあるんだよ」


 楚月は、真剣な眼差しで春鶯を見つめている。自信に満ちたその瞳に、春鶯は勇気づけられた気がした。


「……ありがとうございます」


 楚月の力強い言葉が、春鶯の胸に熱いものを呼び起こした。住み込みで働いているため、疑われても仕方のない立場なのに、楚月は迷うことなく自分を信じると言ってくれた。春鶯は、込み上げてくる嬉しさを、どうにか抑えようと努めた。

 以前、楓流軒の客室内で窃盗騒ぎが起こった際、真っ先に疑われたのは春鶯だった。二階に上がってすぐの部屋で事件が起きたこと、その時間帯には他の宿泊客はおらず、春鶯の定位置である柜台から、階段を上った先にその部屋があり、誰にも見られず入ることができるというだけで、安易に決めつけられてしまった。

 もちろん、春鶯は身に覚えがないと必死に訴えた。身体検査でもなんでも応じると答えた。

 しかし、頭に血の上った客に、「お前しかありえない」と騒ぎ立てられてしまえば、どうすることもできない。紛失騒動が起こっても、宿屋側は関与しないと書いているのに、客は大金を所持していたんだと喚き散らかした。

 そんな春鶯にとって、唯一の味方となったのは妹の央央だ。機転を利かせた央央は、午前中は客の送り出しと、真冬の閑散期だけありそれほど清掃に時間を要さず、客が在室の時間帯には、姉と一緒に買い出しに出払っていたことを証言し、実際に立ち寄った店の店主を連れてきた。ところが、宿泊客はそれでも納得せず、断固として主張を曲げなかった。

 継母である趙嬌や、義弟の趙眠、義妹の趙美は、これぞ好機とばかりに春鶯を攻撃し、客側を大げさなまでに擁護した。父親と言えば、ただおろおろしているだけでなんの役にも立たなかった。

 結局は客側の勘違いで、盗まれたと騒いでいた金品は無事に客室内から見つかり、春鶯が憲兵に突き出される事態は免れた。

 だが、こちら側に一切の落ち度はなかったにもかかわらず、客は最後まで謝罪することはなかった。一貫して太々しい態度だった。

 そんな経験から、嫌な気持ちだけが春鶯の心に深く残ってしまった。苦が過ぎる記憶だ。それがきっかけで、一時期、宿屋で働くことに怖さを感じていたが、継母である趙嬌に、好き勝手されて楓流軒の評判を落としたくなかったので、自らを奮い立たせて仕事に励んだ。

 その心の傷を、楚月は優しく拭い去ってくれたのだ。楚月の言葉のおかげで、春鶯の心は温かい光に包まれるように、じんわりと温まっていくのを感じた。


(……阿央の好きな人なのに)


 それでも、どうしても楚月のことが気になってしまう。妹である央央に対し、言いようのない罪悪感が、春鶯の心に一斉に押し寄せてきた。


「もちろん、妹君のことも疑ってないよ」


 楚月は、押し黙ってしまった春鶯を安心させたかったのか、微笑みながら付け足した。こうして気遣ってくれる。こんな素敵な人を、好きにならないわけがないのだ。


「……はい!」


 春鶯は、少しだけ胸の奥でズキズキと疼く痛みを感じながら、努めて明るく返事をした。


「一緒に探してくれる?」

「ええ、喜んで!」


 どんな形の玉佩だったのか、色やついていた房のことを竹紙に書いてもらう。まず初めに上房を探し、それから今日、歩いた道を辿ることにした。

 三階から一階へ戻り、私塾に通っているはずの時間帯だというのに、趙眠の後ろ姿が視界にちらついた。楚月と目を合わせ、無言で頷くと、気配を消して後を追う。趙眠がなにか手にしているのが見える。


(……あれは、謝公子の玉佩に似てないかしら……?)


 趙眠はきょろきょろと左右を確認し、厨房の奥にある小さな板の間に侵入しようとしていた。けれども、趙嬌が勝手口付近で誰かと井戸端会議をしているらしく、それを気にしてか、立ち止まっていた。


「……謝公子」

「……うん。きみはそこに隠れていて」


 春鶯が声をかけると、物陰で待機するように告げてから、楚月は素早く距離を詰めて趙眠の腕をひねり上げた。


「うわあ、な、なんだ!?」


 突然の出来事に直面し、趙眠は動揺している。暴言を吐こうとしたところ、自分をひねり上げている相手が、上房に宿泊中の仮面の男──謝楚月だと気がついたのか、明らかに目が泳いでいた。


「この玉佩、趙公子が拾ってくれたのか?」

「へ? あ、ああ、そうだ……そうです」

「探していたんだよ。見つけてくれてありがとう。返してくれるかな?」

「……はい」


 頭一つ分背の高い楚月に圧倒され、趙眠は、大人しく手にしていた玉佩を楚月に渡した。玉佩を受け取ると大事そうに撫でつけ、確認している。


「趙公子」


 冷や汗を浮かべた趙眠が、後ずさりしようとしたところで楚月は呼び止めた。


「な、なんですか?」


 普段、春鶯や央央に見せている不躾な態度とは打って変わって、大型の肉食獣に遭遇した草食動物のように怯えている。央央がこの場面を見学していたら、手を叩いて大いに喜んでいたはずだ。


「次同じことがあったら容赦はしない。真っ先に憲兵に突き出すから、そのつもりで」

「なっ……! お、俺はただ、拾っただけで……!」

「どこで拾った?」

「…………か、階段、です」


 先ほど以上に目が泳いでいた。嘘をついていることは明白だ。楚月が居ぬ間に部屋に侵入し、寝台に置かれていた玉佩を手に取ったのだろう。身に覚えがなければ、ここまで態度に現れることはないはずだ。


「それなら、どうして厨房の奥の部屋に入ろうとしたんだ。そこは李姉妹の寝室だろう?」


 楚月にそう突っ込まれ、趙眠はたじたじになっている。まさか、春鶯と央央の寝室がある場所を、客人が知っているとは思っていなかったらしい。必死に脳内で言い訳を考えている最中なのか、趙眠は口を開いては閉じることを繰り返す。そんな趙眠に助け舟を出したのは、溺愛している趙嬌だった。


「あの、公子。うちの阿眠がなにか?」

「……母上!」


 息子が詰め寄られているからか、怪訝そうな表情をしている。厨房に客が立ち入っているのを咎めたいものの、上房に宿泊中の客だということは把握しているので、強くは出られない、といったところだろうか。


「……なんでもありませんよ。ご子息が、《《私が部屋に》》忘れた物を、わざわざ拾ってくれたので、そのお礼をしていたんです」

「まあ、そうでしたか。ほら、早くこっちに来なさい、阿眠!」

「う、うん!」


 楚月は「《《わたしがへやに》》」とわざと強調したものの、趙嬌は素知らぬ顔をした。

 母親の助け舟にほっとしたらしき趙眠は、足早に趙嬌の背後に逃げ込む。本当のことをばらされないだろうかと、母親の背中に隠れてこちらをちらちら窺っている。


「ここは、お客様をお通ししている場所ではないので、お引き取りください」

「……用事が済んだので、失礼」


 小さく一礼した楚月は、趙嬌と趙眠親子の前から堂々とした態度で戻ってきた。春鶯と合流し、二人は柜台の前へと向かう。座るように目で促されたので、春鶯は椅子に腰かけた。


「お疲れさま、春鶯」

「私は、なにも……。それより、義弟はなんのために、私たちの寝室に入ろうとしたんでしょうか……」


 小さな板の間には、客室と同じように横木を差し込み閉められる(かんぬき)はついているが、あれは内側から使うものだ。部屋の中にいない場合は誰でも出入りできてしまう。


「考えられるのは、窃盗の罪を擦りつける……とかだろうね」

「……あ」


 趙眠は、央央が自分に対して素っ気ない態度を取ることに不満を募らせ、やきもきしているので、十分考えられる嫌がらせだ。楚月に犯人だと疑わせ、微妙な空気になったところ、自分がかばって仲裁する筋書きを立てていたに違いない。私塾に通っているわりに真面目に勉学に励まないので、趙眠はどこか楽観的すぎる節がある。それもこれも、母親の趙嬌が甘やかして育てたことが原因だろう。十六になるというのに、中身は十年前と大差ない。幼稚なままだ。


「先ほども伝えたように、仮にきみたちの部屋から玉佩が見つかったとしても、俺はきみに贈ったって言い張るから心配いらないよ」

「はい……!」


 落ち込みそうな心を何度でも勇気づけてくれる。楚月の優しさに触れ、春鶯の胸ははち切れそうなほどに満たされた。


「よし。じゃあ、俺はそろそろ夜公演の打ち合わせが始まるから、行くね」

「行ってらっしゃい」

「ありがとう、また夜に!」


 腰に玉佩をつけた楚月は、口元に笑みを浮かべて楓流軒を後にした。




 それから少し経ち、現在時刻は酉の初刻、十七時。我慢できずに食堂で包子を一つ食べ、柜台の前まで戻ってくると、先ほどまであった皮紙と竹紙が消えていた。席を離れたのはほんの数分だ。一炷香(三十分)すら経っていない。それなのに、書きかけだった竹紙と皮紙がなくなっているので、風で飛ばされただろうかと周辺を探すが、見当たらない。


「どこにいったのかしら……?」


 以前、月影座の夜公演後に走り書きした象箸玉杯を用いた物語を、別紙に清書している途中だったのだ。一緒に置いていた原本もない。楚月に渡すために、こつこつと作業していたのに、ほんの一瞬で忽然と消えてしまった。台の下や、開けっ放しの正面、石畳と範囲を広げても見つからない。


「どうしたの? なにか探しもの? 私も手伝おうか?」


 勝手口から帰宅したであろう央央が、一階にいない姉を心配して外まで顔を出す。


「阿央。柜台の上に置いていた紙を知らない?」

「さっき帰ってきたばかりだから、見てないよ」

「そう……」

「またなくなったの?」

「客簿ならあるわ。でも、書きかけだった紙がないの」


 ほんの四、五分の出来事だと伝えると、央央も不思議そうにしている。裏口から帰宅した央央は、誰にも遭遇していないという。


「風で飛ばされて、誰かが拾って持って行っちゃった……とか?」

「わからない。内容は覚えているから、今から書き直すわ」


 手元からなくなったのなら仕方ない。忘れないうちに、もう一度書き起こせばいいだけだ。柜台の前に戻り竹紙を用意する。


「なんの話だったの?」

「この前の夜公演後に書いた話よ」

「ああ、象牙の箸のやつか! あれ、早く月影座でやらないかなー?」


 今日中に、楚月に渡したかったので、普段は頼まないが央央には一緒に柜台の前にいてもらうことにした。宿泊客の対応を任せる。ただし、絡まれぬよう面紗で顔を隠している。それでも目元の美しい央央に興味を示し、長居しようとするものはちらほらいるけれど、易者のときと同様、お得意の老婆声を発すると面白いくらいに客は逃げていくので、央央は楽しそうに接客していた。

 妹の協力の甲斐あってか、なんとか楚月が戻ってくる亥の刻、二十一時までに完成させることができた。


「おかえりなさい、謝公子、琳公子。こちら、頼まれていた脚本です」

「完成したのか、ありがとう。お疲れさま!」

「あ、そうだわ。それで、この原稿なんですけど、今日、書き上げている途中で紛失してしまったので、急遽書き直したものになります」

「紛失?」

「……ええ。ほんのちょっと目を離した隙に、なくなっていたんです」


 経緯を簡潔に説明すると、楚月は心配そうな表情になった。


「それは気になるな……。覚えておくよ。脚本は確かに受け取りました」

「手直しが必要な場合、すぐに取り掛かるので遠慮せずに申してくださいね」

「わかった」


 自分の創作を、初めて脚本に起こしたので問題なく演じられるようになっているのかは自信がない。それでも、最後まで書ききったという達成感が心地よかった。

 その日の夜も、楚月に夕餉を食べさせてから就寝した。

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