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眉目清秀な劇団座長は、宿屋の平凡娘になぜか弱い。  作者: ゆずまめ鯉


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五.新たな疑惑と妨害

 朝餉の準備から提供、片づけ、清算に見送り、部屋の清掃と今日も忙しく働いていると、数日前に紛失したはずの客簿が、どういうわけか柜台の上に無造作に置かれていることに気がついた。掃除に入る前にはなにもなかった。見つかったのならやることは一つだ。春鶯は算盤を取り出し、宿泊費と飲食代、馬の世話や馬車の保管料、そして食材の仕入れ値など、わかる範囲で先月分の収支を計算してみることにした。

 六月分の収入は銀二百五十七両(257万円)、支出は銀百十一両(111万円)、利益は銀百四十六両(146万円)。九割ほど部屋は埋まっていた。冬場の閑散期だとよくても六割くらいなので、利益は銀八十七両(87万円)といった程度だろう。


「先月の利益から考えると、父上は銀四十両、趙夫人は銀三十両くらい取っているはず。でも私は、朝から夕方まで働いているのに銀三両だし、妹なんて銀一両よ。残りは修繕や予備資金だとしても、四年前からは雇人を二人減らして余裕があるはずなのに、なぜ宿泊費を上げるなんて言い出したのかしら?」


 そんな折、柜台の前で創作していると、外壁修繕を請け負っているという職人が、偶然にも訪問した。修繕の収支を調べる絶好の機会だ。継母を呼びに行く前に、食堂へ通して冷えたお茶を差し出した。最近の天気のことや、帝都が賑わっていることなど、差し障りのない世間話を交えつつ、春鶯は本題を切り出した。


「外壁を塗り直すのって、私は室内で働いているので直接見たことがないんですけど、どのくらいの費用や日数がかかるんですか?」


 するとあっさり答えが返ってきた。


「ここだと、そうだな、銀十五両くらいだよ。三年前から値段は変わってないよ。日数は二、三日で終わるかな」

「そうなんですね! 参考になります。では、趙夫人を呼んできますね」

「よろしくー」


 別棟まで呼びに行くと、居間にいた趙嬌は、帳簿を前に算盤で計算している最中だった。算盤を弾いては溜め息を吐いている。覗きたいところだが、警戒されるわけにはいかないので、見ないふりをして声をかけた。


「趙夫人。お客様がお目見えですよ。外壁を修繕する職人さんです」

「わ、わかったから、あっちに行ってて頂戴!」

「はい」


 慌てた様子で春鶯を部屋から追い出し、どこかに帳簿を片付け、慌てた様子で食堂にやってくる。春鶯は、そこから立ち去るふりをして聞き耳を立てるつもりが、たまたま通りがかった趙美に見られ、残念ながら追い出されてしまった。

 仕方なく柜台の手前に座り、創作しようとしたものの、そんな気にはなれず、箒を手にして掃き掃除することにした。




 今日も一日働いた。もうすぐ父親と交代するので厨房へと足を運ぶと、調理をしている父親の隣に誰かがいた。趙嬌だ。先ほどは失敗したが、今回は慎重に周囲を確認する。


「外壁の修繕は、今回も銀二十五両よ」

「わかった」


 確かに銀二十五両だと言った。聞き間違いではない。日中、職人から春鶯が聞いたときより銀十両も高くなっている。


(……もしかして、横領でもしているの?)


 外壁を塗り替える際に、なにか別なことを頼んでいるのならば費用が嵩んでも不思議ではないが、事前に耳にした職人の口ぶりからは、そういう気配はなかった。子ども二人を私塾に通わせながら、金遣いの荒さを見る限り、修繕の費用を誤魔化している可能性は捨てきれない。

 帳簿を入手できれば早いのだが、趙嬌は誰にも触らせないので厳しいだろう。

 とりあえず、真新しい線装冊子に簡単な帳簿をつけることにした。


***


 七月という絶賛繁忙期のはずが、いきなりの閑古鳥で春鶯は焦っていた。出発する宿泊客のみで、泊まる者は一人もいないのだ。埋まっているのは、楚月と晋高が連泊中の上房一部屋のみ。二十九部屋も空いているのだ。閑散期でもないのに、どうして急に誰も寄りつかなくなったのか、見当がつかない。

 趙嬌がやってきて客簿を覗くなり、


「経営権が私に移れば、もっと繁盛させられるのに!」


 と愚痴をこぼされた。そのためだけに、この状況を作り上げたのだろうか。春鶯は一つの仮説を立てた。


(もしかして、この後、自分で客を呼び込んで、私に自信喪失させるつもりなのかしら……?)


 近頃、立て続けに起こっている数々の嫌がらせを考えれば納得できる。このまま趙嬌の思い通りにはなりたくない。誰かが楓流軒の前を通りがかっても、中に入らず立ち去ってしまう原因を追究したくなった。石畳を箒で掃き清めるついでに、常連が通りがかったら探ってみることにした。


「辛気臭いお前が呼び込みをすると、余計に客足が途絶えるからやめろ! 店先に立たせるなら、美人な小央だろ!」


 普段は寄りつかない癖に、私塾が休みで暇を持て余しているらしく、趙眠に吐き捨てられた。人通りがあるというのに空気が読めないらしい。世間体を一切気にしていない。


「すみません、趙公子。みなさんに申し訳ないので、人前で顔を晒すのは控えます」

「ふん。わかればいい!」


 しおらしい態度を取れば、それ以上言わないことは知っているので、春鶯はわざと頭を下げた。周囲で見ている人々は、ひそひそ話をしている。


「……あら、また始まったわ。あそこの坊ちゃん。いつもああやって虐げているのよ」

「まぁ、野蛮ね……」


 そのような会話が繰り広げられている。でも、耳障りのよいことしか聞こえない趙眠には、自分を批判する声は一切届かない。謝ったら負けだと考えているらしい、母親である趙嬌の教育の賜物だ。

 春鶯は、そんな残念な人間性を持つ親子だと熟知しているので、人前だろうとなかろうと、虐げられても耐えている。大切な人が、自分を誤解することなく信じ、ただ傍にいてくれるだけでいい。強かさも持ち合わせている。


「あれ、姐姐。外にいたの?」

「暇だから掃いているのよ」

「それなら一緒にでかけようよ。昼公演、観たことないでしょ?」


 定位置である柜台の前ではなく、宿屋の外にいる春鶯の姿を目にした央央は、笑みを浮かべて駆け寄ってきた。けれども、春鶯の近くには、偉そうに仁王立ちした趙眠がいる。まさか、大好きな姉の傍にいるとは思っていなかった央央は、存在に気がついた途端、眉間に皺を寄せて心底嫌そうな表情をしてみせた。


「小央。私塾が休みで時間があるから、これから茶楼にでも行かないか? 特別に、俺が店で一番高いものでもなんでも、好きなだけご馳走してやるぞ?」


 普段食べられないだろ、と得意げに付け足した。趙眠の小遣いは自分で稼いだわけではなく、趙嬌から与えられたものだ。それなのに、自分の功績だと言わんばかりに驕り高ぶるので、嫌悪されるのも当然だ。母親も母親なので、誰も指摘しようとはせず、年々酷くなっている。

 央央がいる手前、格好つけたいらしく、必死に背筋を伸ばしているが、趙眠の背は春鶯とそこまで変わらない。滑稽だが、春鶯は見て見ぬ振りをする。


「はあ? 嫌よ、あんたとなんか行かないわ。掃除の邪魔だから、手伝う気がないのなら、とっととどっかに行ってくれない?」

「な、なんだと!?」

「いつまでも遊び歩いてないで、少しは家の手伝いをしたら? 恥ずかしくないの?」

「お前らと違って俺は忙しいんだ! ふん。もう行く!」


 央央にそっぽを向かれた趙眠は、憤慨したのかぷりぷりと怒りながら立ち去った。周囲からは拍手が湧き起こる。少しだけ恥ずかしいが、掃除の邪魔だったのは本当だ。


「はあ、清々した!」

「ふふ。でも、ちょっとやりすぎよ? 阿央」

「いいのよ。傲慢なあいつには、あれくらい言ってやらないと!」


 お喋りしながら手を動かしていると、月に何度か泊まってくれていた常連客が、こちらを見るなり足早に通り過ぎようとした。


「あ、あの、待ってください!」


 箒を央央に手渡して、一目散に追いかける。逃すつもりは毛頭ない。


「え、あ、え、でも、今日は別のところへ泊まるから……その」

「それはかまわないんです。けど、どうしてよそへ行くのか、理由だけでも教えてもらえませんか?」


 春鶯が頭を下げてお願いすると、渋々事情を打ち明けてくれた。やはり継母である趙嬌が一枚噛んでいた。この裏手にある宿屋で趙嬌の名前を出せば、二割引で宿泊できるという。このためだけに春鶯が管理する客簿を盗み、嫌がらせをしつつ、さらに追い詰めようと企んだに違いない。


(やっぱり趙夫人の企みだったのね……!)


 洗いざらい吐き出した常連客は、そそくさといなくなった。


「姐姐。ここは私に任せて」

「え? いいわよ」

「大丈夫。私に考えがあるから。ちょっと行ってくるね」

「阿央!? 行っちゃった……」


 自分の外見を使って客引きすることは絶対にしたくないと言っていたのに、春鶯の呼びかけにも応じずに央央は走り去ってしまった。本音を言えば、すぐにでも追いかけたい。でも、このまま仕事を放棄するわけにもいかないので、掃除に力を入れて妹の帰りを待つことにした。




 それから一時辰。宿屋の外がきゃあきゃあと騒々しかった。なにかあったのか確認しに出ようとしたところ、煌めく恰好をした女子たちがぞろぞろと入ってくる。


「ここが楓流軒で合ってますか?」

「ええ、そうです」

「よかったぁ! 私たち、ここに泊まりたいんです。お部屋、空いてますか?」

「大丈夫ですよ!」


 なんと宿泊したいという申し出だった。化粧を施した綺麗な女子たちだ。年齢は春鶯と同じくらいか、少し上だろうか。


「どうする、どこの部屋にする?」

「あの、四人で上房に宿泊って可能ですか?」

「もちろん、できますよ」

「じゃあ、上房で! あと、食事も四人分お願いします」

「かしこまりました!」


 なんといきなり上房が埋まるとは想像しておらず、春鶯は驚きつつも対応した。


「あのー、すいません! 私たちも泊まりたいんですけど、いいですかぁ?」

「お願いしまーす」

「はーい、ただいま!」


 それからひっきりなしに宿泊客が現れ、なんと二十九部屋すべて満室になってしまった。どうして一気に押し寄せたのか。央央が易者でなにかしたのだろうか。しかし、変装する道具を持って出かけていない。

 何名か断る形になってしまって申し訳なかったものの、明日、また泊まるために顔を出すと言ってくれたので、その時に精一杯、おもてなしするつもりだ。

 春鶯が対応に追われていると、少ししてから楚月が姿を現した。


「どう。空室はなくなった?」

「謝公子。どうしてそれを……?」

「妹君だよ。楽屋まで愚痴を零しに来たんだ。だから、月影座の公演後に楓流軒に泊まることを条件に、観賞代を二割安くするという提案をしたんだ」

「ええっ!? で、でもそんなことをしたら、劇団の売り上げが減ってしまいますよ!?」

「うん。でもね、こういう条件をつけることは、地方公演だと珍しくないんだ。宿屋側から要請されることが時々あってね」


 その時少し損をしてしまっても、宿屋から最大限にもてなされたり、次回の公演や、場所に困った際に融通が利きやすくなったり、次の公演にも繋がるのだという。だから、楚月は誰かに頼まれても断らないそうだ。


「私は……謝公子になにも返せていません」


 楚月が楓流軒に顔を出してからは、施してもらってばかりいる。妹が襲われた際に助けてもらい、食材を台無しにされた際にも尽力してくれ、今回は宿屋に客が戻るように働きかけてくれた。すぐには返せないくらいの恩を、この短期間で受けている。


「そんなことはない。いつも美味しい料理を作ってくれるし、夜なんて夕餉を食べさせてくれているじゃないか。十分もらっているよ」

「そんなこと、しているうちに入らないです。一体、どうお返しすればいいのか……」

「……それなら、あの作品を上演させてくれないかな」

「……え? 本気ですか?」


 あの作品、とはこの前の夜公演で書き綴った創作のことだろう。象箸玉杯と三蔵一行で考えた小噺だ。まさか、楚月がそこまで気に入ってくれているとは信じられなかった。


「うん。春鶯の書いた話で演技がしてみたいんだ」

「……わかりました。でも、あのままだとまだ粗いので、もう少し整えてからお渡ししますね」

「ありがとう!」


 お礼をいうのはこちらの方だ。趙嬌の嫌がらせが失敗に終わったのは、他でもない楚月が機転を利かせてくれたおかげだ。


「今日、宿泊してくださる月影座のお客様には、精一杯おもてなししますね」

「うん。それじゃあ、夜公演の準備があるから、そろそろ行くね」

「ええ、行ってらっしゃい!」

「──いいな、それ。春鶯に毎日言ってもらいたい」

「え? 泊まっている間は毎日言いますよ」

「あ、ああ、うん、そうだね。そうじゃないんだけど……まぁいいか。じゃあ、またあとでね」


 楚月を見送ると、大勢押しかけた女性客に合わせて、胡麻団子以外にも甘い物を二品増やすことにした。




 夜公演を終えたばかりの楚月が、晋高とともに宿屋に戻った途端、たまたま食堂に居合わせた女性客は、みな一斉に「きゃー、座長よー!」と黄色い声をあげた。好きな俳優と間近で会えるのだから、色めき立つのも無理はない。

 仮面をしていても楚月は絶大な人気を誇るらしく、泣いて喜ぶものもいた。


(……やっぱり、宿屋で働く私と、劇団の人気座長では、違う世界に住んでいて当然よね……)


 一泊銀一両もする部屋に十七泊もできるのだから、端から違っていたのだが、劇場での歓声や、食堂での対応を目にしていると、庶民である自分との差を感じてしまった。楚月と視線が合った気がしたが、春鶯は逸らしてしまった。

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