番外編 八.大好き
央央が目覚めてから三日が過ぎた。半月ぶりに姉と会えるのは楽しみだったが、日に日に増す緊張感でどうにかなりそうだった。普段は温厚でも、央央が傷つけられることには人一倍敏感だ。母親代わりでもあったので当然なのだが、晋高に怒りをぶつけることも考えられる。晋高は悪くないと、庇えるだろうか。
楚月と共に現れた春鶯は、愛娘を楚月の実家へ預けたその足で琳家を訪問した。
「姐姐……」
「阿央。体はもう大丈夫なの?」
「う、うん」
再会した姉は、思ったよりも冷静だった。琳家の応接間に通され、琳有が春鶯と楚月の二人に茶を淹れる。お茶菓子を勧めた後は、部屋の隅に立ち、緊張した面持ちで待機している。
「私が会いに来た理由、わかりますか?」
「……央央が、怪我を負ったからだ」
「ええ、そうです」
春鶯と楚月が並び、その正面には晋高と央央が腰かけている。会いたかった姉だというのに、何時にもなく真剣な眼差しをしていた。
「保護対象者である阿央が怪我をした。あなたは保鏢失格です」
「……ああ。一生かけて償うつもりだ」
「姐姐!」
「ですが、悪いのは妹を傷つけた匪賊であって、琳公子ではありません」
央央は、やっぱり自分の姉は気持ちを汲んでくれたのだと、ぱっと顔を上げた。春鶯と視線が合い、力強く頷いてくれた。ここへ来たのは、咎めるためではない。背中を押すためにきてくれたのだ。目頭がじんわり熱くなる。
「だが……」
「琳公子。妹は、あなたのせいで怪我をしたなんて、ちっとも思ってませんよ」
「……」
「それでも、一生、この子に償いたいというならば、阿央とのこれからを考えてくれませんか?」
「これから……?」
春鶯の言葉に瞬きを繰り返した晋高は、ゆっくりと顔を上げた。どんな表情をしているのか、央央はふと気になり隣にいる彼を盗み見ると、目を見開き驚いていた。
「そうよ。償うために離れるだなんて言い出したら、私はあなたを許さない。少しでも好意があるのなら、妹が誰かに傷つけられないよう、傍で見守ってあげて」
「……姐姐……」
思わず涙目になった央央に、春鶯はすぐさま気がついた。妹を勇気づけるためなのか、片目を閉じて合図する。その行動が「心配いらないわ」と言っているようで心強かった。姉に寄り添う楚月も、穏やかな表情をしている。
「琳公子。過去になにがあったのか、私は知らないわ。あなたにとって、大事で忘れられない記憶なのよね。でもね、戻れない日々を憂うよりも、今は、隣にいる相手との未来を見据えてほしいの」
過去を捨てる必要はない。過去を持ったまま、央央との未来を考えてほしいと春鶯は頭を下げた。晋高はどう返事をするのか。やけに長く感じられた。数分、間を置いてから晋高は声を発した。
「…………わかった」
「え?」
「ありがとう、琳公子」
「ええええっ!?」
「落ち着きなさい、阿央」
あれだけ押しても靡かなかった、難攻不落の男──琳晋高が「わかった」と返事をしたので、央央は激しく動揺した。大絶叫した途端、姉から咎められた。
「おめでとう、阿央。それからお兄ちゃん!」
琳有は、手にしていた盆を放り投げて、央央の元へ駆けてくる。おめでとうと言われても、実感が湧かない。
「ふふ。私たちは席を外しましょうか」
「うん。行こうか、耀耀」
「春鶯さん、楚月兄さん。お祝いに、なにか買いに行きませんか?」
「いいわね、行きましょう!」
放心状態の央央をその場に残し、春鶯と楚月と琳有は、応接間から仲良く退散した。二人きりにされてしまった。
「あ、あの琳哥哥。私が言うのもあれだけど、本当にいいの?」
都合のいい白昼夢を見させられている可能性も捨てきれないし、空耳かもしれない。自信がないのだ。
「ああ」
「で、でも、私は性格がよくないし、姉さんと、占いと、極度の演劇愛好家だし、ええと、それから……」
「かまわない」
思わずしどろもどろになってしまったが、一つだけ、訂正したかったので勇気を振り絞って切り出した。
「……償いとかは考えないでほしいの。私が迂闊だっただけで、琳哥哥でも伯父さんでも誰のせいでもないから。女将にも謝られたんだけど、自業自得なの。だから償いは必要ないわ」
「……けど」
「でも、背中に傷があるから、誰もお嫁さんにしてくれないかも……」
結婚相手の母親が厳格ならば、服を脱がせて細部まで確認するかもしれない。健康体な嫁の方が、家のことを任せやすいからだ。傷の状態はわからないが、大きく縦につけられた傷跡を目にして、反対されないとも限らない。
「俺が娶る」
聞き間違えではない。都合のいい夢でもない。確かに隣にいる男の口から「俺が娶る」と、明確な言葉がついに飛び出した。聞こえた。この日をずっと待っていた。
央央は胸を高揚させながら、すぐ近くにいる彼の表情をこっそりと窺う。普段となんら変わらない、真剣な眼差しをしていた。
「ほ、本当に……?」
「ああ」
自信がないので恐る恐る問いかけると、間髪入れずに頷いた。
「責任感じてない?」
「ああ」
もう一度、央央が訪ねても、晋高の返事は早かった。そこに迷いはなかった。
「私を……私を、琳哥哥のお嫁さんにしてくれるの?」
冗談はめったに言わないことを知っていても、まだ夢から醒めてしまう可能性は残っている。央央が晋高に片思いしていた年数は四年間だ。約一千四百日もの間、交わされ続けていたのだ。癖になっても無理はない。
「──俺と結婚してほしい」
晋高と目が合う。瞬きを繰り返す。
「……夢じゃない?」
「……現実だ」
何度もしつこく確認してしまったからか、眼前がふと暗くなり、央央が顔を上げると同時に口づけされた。最初の口づけは、そっと触れるだけの優しいものだったが、熱い唇の感触に惚けた。
(……触れた……口づけしてくれた……!)
感動のあまり、央央の目からは大粒の涙が零れ落ちた。待ち望んでいた言葉と、待ち望んでいた口づけに、嬉しさが込み上げてくる。
「……大好き!」
「……知ってる」
隣に座っていた彼の胸元に飛び込むと、晋高は受け入れてくれた。ぎゅっと抱きしめてくれた。央央はこの日を、想いを受け入れてくれた大切な日を、絶対に忘れない。




