番外編 五.央央は諦めない
端午節といえば粽、粽といえば端午節。央央が昨晩から泊まっている宿屋でも、明後日の朝餉と夕餉の両方に、粽が提供されると耳にした。しかも食べ放題だという。それを聞いた途端、央央は即決した。宿を選んだ決め手と言っても過言ではない。食事面が充実しているということは、央央にとって部屋の広さよりも重要なのだ。三畳しかない小さな板の間に、姉と長年、生活していたことがあるからか、部屋が狭くても問題ない。むしろ安心する。
晋高は、相変わらず央央を遠ざけていた。遠ざけているくせに、楚月の命令なのか央央のことを遠くから見守っているため、その姿は確認できる。
「琳哥哥。占ってあげようか?」
わざと路地に入り込み物陰に隠れると、晋高が急いで追いかけてくるので、近づいたところで腕を掴んだ。ところが、久しぶりに手相を見ようとしたのに、晋高に腕を振り解かれてしまった。
「不要だ!」
「わっ!」
「……央央!」
解かれた拍子に安定性が失われ、小柄な央央は体勢を崩して盛大に転んでしまった。晋高は、はっとして慌てて腕を掴もうとしたものの、間に合わなかった。尻餅を突いてしまった。
「いたた。琳哥哥。驚かせるつもりはなかったの。ごめんなさい」
「……いや」
転んだ拍子に足を挫いてしまったらしく、立ち上がろうとすると右足に鈍い痛みが走った。晋高の顔面は見る見るうちに蒼白になり、痛い思いをしたのはこちらだというのに、なんだか可哀想な気になってくる。
「このくらい平気よ?」
「……だが」
地面に座ったままの央央の前に跪き、右足を確認してくれる。痛みに顔を顰めると、慌てて手を引っ込めたので一つ提案した。
「それなら、おんぶしてほしい」
まるで弱みにつけ込むみたいだが、それで晋高の気が少しでも晴れるなら、と央央は微笑んでみせた。
「わかった」
拒絶することなく、体の向きを変えて背を向けてくれたので、遠慮することなく広い背中に抱きつく。晋高はゆっくりその場に立ち上がった。視線が一気に高くなる。頭一つ分違うため、ここまで見える景色が異なるのかと新鮮だった。
「わあい、高い! 琳哥哥の視界はこんなに上だったのね」
「大丈夫か?」
「うん。痛みなんてすぐに消えたわ!」
気にしている晋高には大変申し訳ないが、怪我の功名で密着する機会が生まれ、央央は密かに喜んだ。ただの知り合いという立場ゆえに、こんなことでもない限り、ここまで接近することは難しい。
「……って、どこに向かってるの?」
まだ行先も告げていないのに、町の中心部とは逆の方角に向かって歩いているので尋ねた。琳家の屋敷でもなく、知県である謝家の屋敷でもない。霜北府の外れにでも用事があるのだろうか。
「医院だ」
「医院ですって!? 嫌よ! 行かないわ!」
「暴れるな」
町外れの医者に診せると言われ、央央は手足をばたつかせて拒否した。軽く傷めただけで骨折したわけではない。大げさにしないでほしい。
「それよりも花火が見たい。端午節で今晩、打ち上げるでしょ? 琳哥哥の背中から見たら、もっと高いと思うの」
今年の端午節の夜には、煙火師と呼ばれる花火職人たちが腕を競い合い、夜空に大輪を咲かせると琳有から聞いている。本来ならば邪気払いとして、新年だったり、宮廷の祝賀行事や皇帝の生誕だったり、軍事勝利を祝ったり、婚礼などで打ち上げるものだが、たまたま煙火師が集まる酒の席で口論になったことがきっかけで、端午節の夜に腕試しをすることが決まったらしい。年にそう何度も目にすることはないため、まさに棚から牡丹餅だ。
「……それなら、楼閣がある」
晋高の視線の先には、階層を重ねた立派な建造物がお目見えする。高楼から花火を眺めればいいと言われ、央央は大きく首を振った。
「楼閣なんて嫌よ。琳哥哥が、普段見ている景色がいいの!」
「……そんなもの、大して変わらない」
「そんなことないわ! 見ることに意味があるんだから!」
却下されてしまったが、琳有の助言を参考に央央は粘った。すると、しつこく食い下がる央央にとうとう観念したのか、溜め息を吐き出しつつも晋高は歩みを止めた。
「……夜までは、まだ時間がある」
「それなら、やることは一つじゃない?」
露店に並ぶ料理を片っ端から食べたいと提案すると、怪我をさせた負い目があるらしい晋高は、また溜め息を吐き出しながらも従った。あれだけ避けられていたというのに、なんだか夢のようだ。
(教えてくれた阿有には、お土産をたんまり買わなくちゃね♪)
身内からの助言で実現したので、央央はこっそり感謝した。彼女の好物である甘いものや、似合いそうな簪など見繕って渡すことにした。
あと少しで戌の正刻である二十時を迎える。町の中心部には花火を見物しようと大勢の市民で賑わっていた。人混みから離れ、晋高に背負われた央央も、今か今かと期待の眼差しを夜空に向けている。打ち上げ場所は、万が一を考えて霜北府の外にある平野に設けている。すぐに水が汲めるようにと川もある。準備は万端だ。
それほど待たずして、上空に向かってまっすぐ昇っていく光が見える。そして、ドンという破裂音の後に、真っ暗闇だった空を、ぱっと明るい大輪の花が照らした。とても綺麗だ。
「琳哥哥の背中から見る花火は絶景ね」
あちらこちらでは、花火に合わせてわあわあと拍手や歓声が沸き起こる。央央も晋高の背中で手を叩く。
「……座るか?」
「もう。どうして意地悪言うの? でも、琳哥哥が疲れたのなら、すぐに降りるわ」
「問題ない」
途中、飲食店で空腹を満たした時間を除き、二時辰近く──四時間も背負ってくれているので、さすがに降りようとしたが、晋高は首を振った。保鏢をしているだけあり、体力はあるらしい。
「今更だけど、重くない? 霜北府に来て、最初は緊張していたけど、でもお料理が美味しくて食欲が止まらなかったし、絶対に肥えたと思うの」
普段は食べても二人前までと我慢しているのに、霜北府に来てからは、平気で四、五人前をぺろりと平らげていた。倍以上だ。琳有は、小柄なのにいっぱい食べるから気持ちがいいし、作り甲斐があると褒めてくれるが、食欲が爆発すると、成人男子以上に食べてしまうので、央央自身引いていた。姉の春鶯からは、好きなだけ食べてもいいけど、あなたは誰かが止めないと、いつまでも食べ続けてしまうから、せめて時間を決めなさいと注意されている。
「ああ、重い」
心配になって晋高に尋ねたところ、すぐさま「重い」と返され、央央は慌てふためいた。自分の重さをきちんと把握していなかった。
「やっぱり! もう降りる!」
背中を押しのけ飛び降りようとしたところ、晋高は珍しく噴き出した。
「冗談だ。軽い」
「嘘よ!」
「本当だ。代謝がいいんだろう」
重くないと繰り返した。最初に答えた「重い」というのは、どうやら冗談だったらしい。珍しい。
「嘘だと思うなら、宿屋にある銅鏡で確認するといい。それに、服もきつくないだろう?」
「そうね。緩くもないし、きつくもないわ」
晋高の言う通り、持参した襖裙の着用感はいつもと変わらないし、銅鏡で立ち姿を確認するのもいいだろう。背を測る手段は布製の尺や、木製や竹製の直尺があったが、体重を測る方法はなく、あっても物を測るための天秤しかない。だから見た目や服で判断するしかない。
そんな会話を繰り広げているうちに、ドンという破裂音は響かなくなってしまった。途端に周囲が静まり返った。
「ああ。せっかく綺麗だったのに、琳哥哥と話しているうちに、花火が終わってしまったわ」
花火職人同士の打ち上げ勝負は、歓声の多さで勝敗を決めると耳にしていたものの、央央が聞く限りでは大差なかった。家族や友人と立ち止まり、花火を楽しんでいた人々は、綺麗だったと感想を言い合いながら動き始めている。
「また見られる」
花火が終わってしまい、落胆していた央央を励ますためか、晋高はぽつりとつぶやいた。央央は聞き逃さなかった。
「また見られる……ってことは、半年後の新年の花火も、一緒に見てくれるってこと?」
一緒に見ようと約束してくれたわけではない。また見られると、一言発しただけだ。けれど、口数の少ない晋高の言葉を前向きに捉え、好きなように解釈すると、否定はしなかった。
「……気が向いたらな」
「……うん!」
その後は宿屋まで送ってくれた。朝は元気いっぱいだった央央が、夜になり晋高に背負われて現れたために女将に心配されたが、事情を説明すると足を冷やして手当てをしてくれた。その間、朝にそこそこ大きな粽を五個ぺろりと完食したことから、夜も食べるだろうと倍の十個用意してくれたことを告げられ、央央はありがたく平らげた。
霜北府にいられるのも残り二日。馬車の空きができれば、帝都に帰らなければならない。結局、晋高はいつ帝都に戻るのか教えてもらっていない。
また匪賊に狙われないとも限らないため、帰りの保鏢は晋高か、晋高が空いていなければ伯父に頼むつもりだ。いつも琳家の母屋にいるように見えて、夜間や早朝など、要請があれば出払っているという。央央が帰る予定の日は伝えてあるため、よっぽどのことがない限りは応じてもらえるはずだ。
できることならば、晋高と帰路に就くことが最善だ。しかし、楚月が休暇を与えているので、休んでほしい気持ちもある。あと二日あるので直前まで悩むことにした。




