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眉目清秀な劇団座長は、宿屋の平凡娘になぜか弱い。  作者: ゆずまめ鯉


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一.楓流軒

 夏至が過ぎ、六月も終わりを迎える頃。本格的な夏の到来を予感させる日差しの中、李春鶯(りしゅんおう)は掃き清められたばかりの楓流軒(ふうりゅうけん)の石畳を、手慣れた様子で掃いていた。

 春鶯(しゅんおう)は、長い黒髪を一つに束ねて安物の簪で留め、深緑色の瞳と目尻の下がった垂れ目をしている、普通の外見だ。服装は可愛さよりも動きやすさを重視しており、無地で地味な襖裙(おうくん)を着用している。襖裙とは、裏地のある上着の(あお)と、腰から裾まで広がる長い(くん)からなる女性の衣装だ。

 そんな春鶯に近づくものが一人。


「よお、小娘(姉ちゃん)。今晩、泊まれるかい?」


 白髪交じりの初老の男が歩み寄ってくる。背負った荷物の量から行商人だろう。手を止めた春鶯は、ぱっと顔をあげて笑みを浮かべた。


「いらっしゃいませ! 上中下、すべて空いてます!」

「じゃあ、下で。あ、飯もよろしく!」

「かしこまりました! それでは、こちらに名前の記入をお願いします」

「はいよ」


 手にしていた箒を壁に立てかけてから、柜台(だいたい)の手前に立つと、竹紙(ちくし)と筆を差し出して名前を書いてもらう。それを手本にしながら春鶯は、客の本名と職業、滞在日数、目的を客簿に記す。この顧客情報が載る客簿は、月に数回、国から派遣された役人が宿屋を巡り、指名手配中の者が宿泊していないか確認するために義務付けられている。もしも偽った場合は、犯人を隠匿したことで宿屋側も罪に問われるため、あやしい人物の場合は身分証の確認を行っている。


「お部屋にご案内しますね!」


 柜台の左にある階段を上ってすぐ、少々手狭な部屋に客を通す。下房は素泊まりで一泊八十文なので、机と寝台が置かれているだけだ。


「夕餉は酉の正刻、十八時になります。一階の食堂へお越しください」

「ほいよ」

「それでは、ごゆっくりおくつろぎください」


 簡潔に説明してから一階に戻った。

 春鶯が働く宿屋「楓流軒」は、曾祖父の代から続く家族経営だ。七、八歳の頃から掃除や買い物など簡単な手伝いをしており、父親から駄賃をもらっていた。客室は全部で三十あり、上房、中房、下房と値段に応じて部屋の広さが変わる。帝都でも中規模の宿屋だ。一日として休むことなく客を受け入れ、祖父が倒れた日も、母親が妹を産んだ数日後に亡くなった日も、その灯を絶やしたことはない。

 十九になった春鶯の現在の仕事は、朝餉の提供と宿泊や食事代の清算、客の見送り、宿泊客の受付対応、部屋の清掃、買い出し、水汲み、食材の仕入れと客簿の管理だ。

 そうして夕方まで働き、日が沈んでからは、夕餉の調理と夜間見回り担当の父親が起床するので、夕餉が完成した頃合いに春鶯は一日の仕事を終える。

 仕入れと客簿の管理は、もともとは人を雇って任せていたものの、経費削減するために継母から覚えるように言われ、四年前の十五のときから任されている。

 宿屋には様々な客が訪れる。身なりの良い人、異国の人、風変りな人、個性的な人、さきほどの男のように普通の人。そんな人々とやり取りしながら、勝手に空想をして話を綴ることに夢中になっている。やることは多いが、暇になる時間はわりとあるため、そんなときは柜台に座り、竹紙に話を綴っている。春鶯の趣味だ。


姐姐(ジェジェ)。そろそろ代わるよ? 少し休んできたら?」


 客室の掃除が終わったのか、五つ年下の妹──李央央(りようよう)が、ひょっこり顔を出す。愛くるしい妹は、亡き母親に似て美しい容貌をしており、そこにいるだけで周囲が華やかになる。それに釣られた異性が、一人、また一人と群がってくるほどだ。妹と一緒にいると、令嬢とその侍女に間違われることもあるが、いつものことなので気にしない。


「大丈夫よ。あなたこそ、そろそろ占いに行く時間じゃないの?」


 妹の央央(ようよう)が宿屋の前で呼び込みをすると、人はいっぱい集まるが、なかなか部屋に向かわないため、主に部屋の清掃と買い出し、調理補助を任せている。少ない小遣いしかもらえないのに働き者だ。

 そんな央央には、易者になるという夢がある。幼い頃から宿屋で手伝っていたからか、こっそりと旅人や行商人など観察しているうちに、表情を読めるようになったのだという。

 素顔のまま人通りの多い道端で占おうとしたところ、容姿目当ての人間が居座り、邪魔されたことがあったので、央央は事前に変装している。無地で地味な襖裙と、祖母が愛用していた古びた外套で上半身を覆い、美しすぎて目立ってしまう顔は、大きめの頭巾を被って隠し、老婆に見えるよう工夫している。余裕がある日は皺の化粧を施すこともある。練習しているうちに、しゃがれた声を出すのも得意になった。

 十二歳で始めた当初は、易者をするにも若すぎるため、妹が危険な目に遭わないか心配していたものの、変装効果か二年間無事だ。今では妹の夢を応援している。

 十四になった現在では、人相占いの他に、手相、客の生年月日や出生日時を聞いて割り出す四柱推命の勉強を始め、日銭を稼いでいる。


「じゃあ、そろそろ出かけるね! 今日もいっぱい稼いでくるから、待っててね!」

阿央(アーヤン)、気をつけて!」

「お婆さんの格好をするから平気よ。じゃあ、行ってきます!」


 央央を見送ると、途端に暇になる。今日も竹紙に物語を紡ごうと、春鶯が筆を手にしたその時。

「小姐(お嬢さん)。しばらく泊まりたいんだが、部屋は空いているかな?」


 春鶯に声をかけたのは、紺の長袍(ちょうほう)を着こなす身なりの良い男で、長い黒髪を後頭部で高く束ねて結び、目元には白い仮面をしていた。そのすぐ後ろには、灰色の長袍を身に纏い、黒髪の上半分を結い上げ、下半分は長く垂らした髪型に、鋭い目をしたこれまた男前が立っていた。

 長袍とは男性が日常的に着用する、足首まで届く長い生地の衣装のことで、右前合わせになっている。ゆったりとした袖と見頃が特徴的だ。


「ええ、ありますよ。上中下、いかがなさいますか?」

「上房に十七日。飯ありで」


 あまり耳にしない、はきはきとした美声が響く。どちらも背が高く、一人は仮面で、もう一人は無表情だが、惹きつけられる風貌をしている。そんな宿泊客から、一番高い上房に十七泊と告げられ、春鶯は驚きながらも笑みを浮かべた。


「十七泊も!? ありがとうございます!」

「これで足りるかな?」


 そう告げながら宿泊費と食事代として銀二十一両を置いた。上房は二人で泊まっても一泊銀一両で、食事代は朝晩二食で、一人一日百文。十七日分だと宿泊で銀十七両、食事代で銀三両と四百文なので、六百文も多い。釣り銭を返そうと準備しようとした春鶯の手を止め、仮面の男は小さく首を振った。


「釣り銭は不要だ」

「まあ。精一杯、おもてなししますね!」


 受け取った代金を一時的に袖にしまってから、それぞれ竹紙に名前を書いてもらい、客簿に書き写す。仮面の男の名前は、謝楚月(しゃそげつ)というらしく、職業は芸人。もう一人の男の名前は琳晋高(りんしんこう)、職業は保鏢(ほひょう)。どうやら、仮面をしている男──楚月(そげつ)に、護衛として雇われているらしい。滞在理由は当然ながら帝都公演だ。演奏するのか歌劇なのか気になるところだが、初対面の客人の個人情報をいきなり聞き出すわけにもいかないので、春鶯は普段通りに対応する。


「帝都は初めてですか?」


 三階の部屋まで案内する途中、無言のままなのもどうかと、差し障りのなさそうなことを尋ねた。


「いや。何度も足を運んでいるよ。ここの宿も、どこか見覚えがあるんだ」

「そうだったんですね」


 しかし、春鶯は謝楚月という名前に聞き覚えはない。客簿を管理するようになったのは四年前からなので、それ以前に泊まった経験があるのかもしれない。


「あ、そうそう。帝都に到着する前、大勢の匪賊に狙われたんだけど、隣にいる保鏢がたった一人で撃退したんだ」

「まあ、琳公子はお強いんですね!」

「……別に、普通だ」


 肩越しに振り向き背後にいる琳晋高を褒めてみるも、やっぱり表情は変わらなかった。


「はは。不器用なだけだから気にしないで」

「大丈夫ですよ」


 話しかけられるのが苦手なら、あまり声をかけないのも気遣いだ。

 三階一番奥の部屋に通すと、広々とした空間には木の爽やかな香りに包まれていた。奥の壁際には寝台が二つ並んでおり、その間には小さな卓を置いている。左手には帝都の歴史や地図を納めている書棚と、衣服を収納するための箪笥、身支度を整えるための銅鏡と台、大き目の円卓には茶器と急須とお茶菓子を用意している。調度品の類いは景観を損なわないように、無名の画家が描いた絵が何枚か飾られている。

 二部屋しかない上房は、繁忙期でも値段の高さから空いていることも珍しくない。それゆえに十七泊もしてもらえると、宿屋側としても大変助かる。

 一泊八十文の下房が十五部屋、一泊二百五十文の中房が十三部屋ある。楓流軒は、帝都にある宿屋の中でも比較的高めの料金設定だ。それゆえに、複数人で泊まっても部屋代は変わらないため、三、四人で中房や下房に泊まって割り勘する客もいるくらいだ。

 羽振りのよい上客に、春鶯は鼻歌でも奏でたい気分だったが、一階に戻るなり現実に引き戻された。


「ちょっと、仕事を放棄してどこ行ってたの? これから友人が来るんだから、しっかりして頂戴!」

「……ごめんなさい」


 仁王立ちした継母に待ち伏せされていた。口元をへの字に曲げて不機嫌そうだ。

 春鶯の継母──趙嬌(ちょうきょう)は、帳簿の管理は任せてほしいと、再婚当初の十年前から自ら請け負っている。帳簿だけは他の誰にも触らせようとはしない。

 前の夫とは死別したらしく、二人の子を連れて楓流軒に宿泊したことで、春鶯と央央の父親と知り合った。幼少の頃の趙嬌は、商家の娘だったので何不自由なく過ごし、私塾にも通っていたが、不況の煽りで店は倒産。両親は長男を連れて夜逃げし、残された趙嬌は祖父母に引き取られるも、慣れない炊事に掃除とこき使われ、十七歳で三十歳の成金男と結婚させられたという。一年後には長男、二年後には長女を出産するも、二十四歳で旦那が死去する。

 生きるために帝都を訪れ、長所はお人よし、短所は優柔不断の父親と再婚した。再婚するまではしおらしかったのに、結婚するなり帳簿を管理したがるし、春鶯に央央、父親、そして亡き母親の四人で住んでいた、中庭にあるこぢんまりとした二階建ての別棟から追い出し、趙嬌とその息子である十六歳の義弟、趙眠(ちょうみん)と十四歳の義妹、趙美(ちょうび)の三人で住んでいる。春鶯と央央は仕方なく、厨房の奥にある三畳ほどの小さな板の間、父親は四畳ほどの納戸で寝起きしている。

 連れ子二人が手伝いをしたことは今まで一度もない。それどころか、月に三百文から八百文かかる私塾に二人そろって通っている。二人だけ通えているのは、趙嬌が「私は最後まで通わせてもらえなかったから、せめて子どもたちには通わせたいの」と涙ながらに訴えたからだ。春鶯と央央もいたので父親は気まずそうだったが、春鶯は「私はいいから阿央を通わせて」と頼んだ。ところが央央は「ねねと一緒じゃないのはいや!」と嫌がったため、二人は通っていない。


「ああ、忙しい、忙しい!」


 忙しいと言っても、継母は帳簿管理だけだ。客簿と食材の仕入れは春鶯なので、前日の分を記入すれば一時辰──二時間で終わるだろう。

 継母である趙嬌は、三十代半ばで美しい外見をしていても、中身はお嬢様気質だ。あれこれ口を出し、春鶯を侍女のようにこき使おうとする。そんな母親なので、当然ながら趙眠と趙美も似た性格をしており、どちらも傲慢だ。

 中規模の宿屋でそこそこ繁盛しており、妻を亡くしている店主に目をつけ、ここでよりよい条件を持つ異性が現れたら、そちらに乗り換えるつもりなのだろう。春鶯も央央も、趙嬌の魂胆は見抜いている。

 客人が現れるまで掃き掃除の続きでもしようとしたところ、「こんにちは」という声が響いた。


「いらっしゃいませ。(よう)夫人、(しゅう)夫人」

「よく来たわね! 二人とも。古臭い内装で申し訳ないけど、今日はゆっくりしてってね!」


 趙嬌の友人二人だ。姚夫人と周夫人は、趙嬌の昔ながらの友人らしく、三人とも三十代半ばだ。一年に一度はこうして泊まりに来ている。


「まあ、古臭いなんて、とんでもない!」

「そうよ、素敵な内装よ?」

「あら、そうかしら?」


 友人二人は、昨年、内装を大幅に改修していることを知っているので、継母に同調せず、木の温もりが感じられると褒める。建物の修繕も継母が率先して行っているのに、謙遜しているつもりなのか、いつも古臭いと文句を言っている。今年は外壁を塗り直す予定だが、きっと文句を言うに違いない。


「来月、主人の遠い親戚が帝都に遊びに来る予定だから、楓流軒を紹介するわね」

「私も! 知人に勧めてみるわ」

「え、うちを宣伝してくださるんですか? ありがとうございます! 本日は、上房のお部屋をご用意しますね!」


 もちろん部屋代は取らないつもりだ。すでに連泊で一部屋埋まっているし、一泊しかしないのでそこまで負担ではない。


「はあ? 上房ですって? ちゃんと宿泊料金は取りなさいよ?」

「わ、私たちは中房にするわ!」

「え、ええ!」

「わかりました。中房にご案内しますね」


 趙嬌が宿泊費を取ると言った瞬間、姚夫人と周夫人は慌てて中房を指定した。さすがに一晩で銀一両する部屋は、友人付き合いだとしても自腹で泊まらないだろう。

 二階の部屋へと案内すると、趙嬌にお茶の用意をするよう言われたので、一階にある厨房で湯を沸かす。自分の友人くらい自分でもてなせばいいのに、と思わなくもないが、今に始まったことではないので諦めている。


「いずれここは、私の持ち物になるのよ♪」


 湯を届けてお茶の用意をすると、嬉々として友人二人に吹聴していた。春鶯は反応することなくその場を後にした。なにも聞かなかったことにして、掃き掃除に戻った。


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