十三.帰還
楚月を見送ってから一か月。八月下旬を迎えていた。町に張り出されていた手配書が剥がされたと福来から教えてもらい、春鶯は急いで確認しに向かった。
確かに町の中心部にある掲示板から、楚月の手配書が消えていた。どうして外されたのか理由が知りたくなり、町にいる役人に聞きに行くと、宮廷の金を着服していた高官がおり、月影座に支払った絹百反にも手をつけたと、洗いざらい吐いたからだと言われる。犯人は別にいたことにされたらしい。
(……そんなの、納得できるはずがないわ)
翡翠城の門番に金を渡しても、なにがあったのか把握していないだろう。晋高に相談すると、町の酒場に飲みに来る、後宮の侍衛を買収し、なにがあったのか情報を仕入れてくれた。
「公主が折れて、宰相の息子との縁談が復活したそうだ」
「そうだったんですか……」
元々、二週間ほど捜索して、逃げた楚月が見つからなければ諦めて婚姻するとのことだったらしい。実際は、探していたそぶりはなく、楓流軒に客簿を確認しに来た役人もいなかった。
「なんでも、町中でとある易者に占ってもらったところ、相性がいいから結婚は早い方がいいと勧められたことで、踏ん切りがついたそうだ」
「……ん? それって……もしかして……」
どこかで聞いたような話だ。晋高も心当たりがあったらしく、小さく頷いた。
とんだ人騒がせな公主だと、溜め息を吐きたくなるところを抑え、春鶯は口を開く。
「それで、楚月さんは今、どこに?」
「予め、一か月くらいだと予想していたから、きっと帝都の近くにいるはずだ」
「そうなんですか!?」
「ああ。そのうち、楓流軒に顔を出すはずだ」
「……わかりました。料理を作って待ちます」
晋高の言葉を信じ、文でやり取りしていた料理をこしらえて楚月が帰ってくるのを待つことにした。
***
手配書が外されたあの日から、五日目の朝。とうとうこの日がやってきた。朝日に目を細めながら、楓流軒の石畳を箒で掃いていた春鶯の元に、近づく一つの影。一か月ぶりに、はきはきとした心地よい美声で名前を呼ばれた。
「耀耀──!」
春鶯が振り返るとそこにいたのは、少しだけ窶れてしまったが、長袍と白い仮面をした人物が立っていた。恋焦がれていた人だ。春鶯は、その場に箒を投げ出して、すらっと背の高い男の胸に飛び込んだ。
「おかえりなさい……!」
「ただいま」
一か月振りに大切な人の温もりを感じる。本当に帰ってきたのだ。急な別れから、一か月ずっと心配していた。
「お怪我は、ありませんか?」
「見ての通り元気だよ。でも、腹が減ったからきみの手料理が食べたい」
「準備してありますよ!」
「よかった」
食堂に案内して、竈に火を熾す。いいお嫁さんになれると、あの日、褒めてくれた青菜湯を作って首を長くして待っていた。温めてから器に盛りつける。具沢山の饅頭と餃子も忘れない。
「これが食べたかったんだ」
「いっぱいあるので、おかわりしてくださいね」
「ありがとう」
もちろん、卓には楚月が贈ってくれた象牙の箸も準備している。
「あ、そうだ。私が食べさせましょうか?」
提案するとすぐさま頷いたので、隣に腰かけ匙を手に取り、青菜湯を掬って飲ませた。
「うん。やっぱりいいお嫁さんになれるよ」
「ふふ。もう楚月さんのお嫁さんですけどね?」
「そうだった!」
ちょっとした冗談を交わしながら、用意した料理を食べさせる。あらかた食べ終わってから、楚月に切り出された。
「さっそくなんだけど、今晩、時間取れないかな?」
「ええ。いいですよ」
「よかった。一緒に行きたいところがあるんだ」
「どこですか?」
「それは夜のお楽しみにしていてほしい」
「ふふ、わかりました」
どこに連れて行ってくれるのかは教えてもらえなかったが、一緒にどこかへ行く約束ができて嬉しかった。一緒にいられるなら、行先はどこでもよかった。
「うん。じゃあ、仕事が終わった頃合いに迎えに来るね」
「はい。楓流軒でお待ちしてますね」
そう伝えて席を立つと、楚月は盛大な溜め息を吐いた。
「……これから、晋高に顔を見せに行くんだけど……まだここにいたいな」
珍しくしかめっ面している。どうやら本当に行く気がしないようだ。もう少し二人っきりでいたいところだが、春鶯は仕事に戻らなければならない。なので心を鬼にして背中を押す。
「ダメですよ? 琳公子を通じて、月影座のみなさんと連絡を取ってたんでしょう? みなさん、楚月さんのことを心配されてますよ?」
「はーい……行きたくないけど、行ってくる」
晋高の居場所は楓流軒の三階だ。まだ部屋にいる時間帯だろう。階段を上って上房に行くだけなのだが、二、三歩進んでは振り返るので、なかなか進まなかった。そんな楚月を見ているだけで、春鶯は幸せを感じていた。
日が沈み、楚月は予告通りに迎えにきた。二人は屋台で手軽に夕餉を済ませ、楚月に手を取られるまま歩く。どこへ行くのだろうとそわそわしていると、連れられたのは意外な場所だった。劇団「百花繚乱」が拠点としている劇場だったのだ。春鶯にとっては初めての観賞となる。
もちろん演目は、春鶯が盗作された象箸玉杯と西遊記を絡めた話題作。まさか、こんな形で見ることになるとは思わなかった。
「どうしても二人で観たかったんだ」
楚月は優しい笑みを浮かべる。劇場内に足を踏み入れると、右を見ても左を見ても人だらけだ。たまたま近くに座った常連の男いわく、連日満員だという。
春鶯は、辛口評価するつもりで始まるのを待った。
演目が終わると、観客が一斉に拍手や指笛、なぜか野次まで飛ばす。春鶯も負けじと手を叩いて、舞台役者たちを讃えた。
「どうだった?」
「……悔しいけど、やっぱり面白いですね」
春鶯は素直に答えた。すっかり定番演目となったようで、初期の頃から少しずつ変え、観客を飽きさせない工夫が凝らされているらしい。百花繚乱の代表作とまで言われると、複雑な気持ちになるのも否めないが、盗作された側としては、もはやどうしようもない。
「でも、俺たちで考えた白蛇伝と西遊記の組み合わせと、どっちがいい?」
楚月は目を細めながら問いかけた。
「そんなの、聞くまでもないじゃないですか!」
「はは!」
春鶯が自信満々に答えると、楚月は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
観劇の後、二人は帝都の夜景を眺めることにした。祭りは終わってしまったものの、道すがらには象の絵が描かれた提灯が売られていた。楚月は一つ購入し、春鶯に手渡す。象の絵に気がついた春鶯は、嬉しそうに微笑んだ。人通りが少なくなるまで、二人はゆっくり夜道を歩いた。
「耀耀」
優しく呼びかける。
「はい」
春鶯は隣にいる楚月を見つめた。
「この一か月、きみと離れ離れになって、ずっと寂しかった」
「私もですよ。楚月さんの無事を祈りながら、毎日、毎日、会いたいなって思ってました」
自分の気持ちを素直に伝えた。楚月は隣で微笑みながら頷く。
「うん。きみのことを考えながら、地方で単独公演していたんだ」
「そうだったんですか!」
「きみが送ってくれた物語も、一人で演じたよ」
「見たいです」
春鶯は期待に満ちた目をしている。濃い緑の瞳を輝かせている。
「うん。今度見せるよ」
「楽しみにしてますね」
「劇団座長じゃなくて、また保鏢だったけど、勝手に座長に改変してないから、安心して」
楚月は冗談めかして言った。以前、央央に同じことを指摘されたことを思い出し、当人の楚月にも言われ、春鶯はくすくすと笑みを零した。
「ふふ。自由に変えてくれてもいいですよ?」
「耀耀が紡いだ物語のまま演じたいから、いいんだよ。それで、俺たちは来月、婚礼を挙げるけれど、改めて俺でいいのか、気持ちを確認したいんだ」
笑みを引っ込め、楚月は真剣な眼差しで春鶯を見つめた。
「どうしてですか?」
なぜ再確認されているのかわからず、春鶯は不思議そうに首を傾げた。
「劇団の座長でいる限り、きみと離れ離れになることを改めて痛感したからだよ」
楚月は寂し気に答えた。
「……そうですね。私の夢は楓流軒を継ぐことなので、結婚しても、しばらくは一緒にいられませんよね」
春鶯は少し俯き、寂しさを隠さない。
「……うん」
次回、帝都で公演をするのは早くても一年後だという。結婚してもしばらく会えない日々が待っているのだ。
「でも、楚月さんと夫婦になれば、楚月さんが『ただいま』って言える場所が、私と同じ楓流軒になることが、なによりも嬉しいんです」
春鶯は顔を上げ、楚月を真っすぐに見つめた。
「……耀耀」
「楚月さん。私と夫婦になってくれませんか?」
改めて自分の気持ちを言葉にした。どうしても自分から伝えたかった。偽装ではなく、本当の夫婦になりたいと心から思えたからだ。妻として楚月を支えたい。
「……俺でいいの?」
楚月は不安そうに問い返す。
「楚月さんがいいんです。楚月さんこそ、私でいいですか?」
「いいに決まってる……!」
力強く答えた楚月は、一歩前に踏み出し、春鶯の頬にそっと右手で触れた。そして身を屈めると、二人は初めて触れ合うだけの、優しい口づけを交わした。
「……これからのことを考えよう。二人で」
「……はい」
野外で、しかも人通りも少なくない場所での口づけだ。周囲からは冷やかしの指笛が飛んでくるが、春鶯も楚月もお互いしか見えていないので、まったく気にする様子はない。
しっかりと手を繋ぎ、二人は楓流軒に向けて歩き出した。今後のことはこれから決める。楚月は南の地方で公演中の月影座にいつ頃復帰するのか、九月下旬の婚儀を執り行ってからはどうするのか。二人で相談すべきことは山積みだ。もしかすると、意見が衝突してしまう可能性だってある。
けれど、春鶯は楚月とならば、きっと何度も話し合い、二人にとって最良の道を見つけられると信じていた。




