十一.永久追放
朝餉を提供し、朝に出発する客を見送ると、央央と手分けをして客室の清掃に入る。ひと段落がつく巳の正刻の午前十時。今日も易者として稼いでくると意気揚々と出かけたはずの妹が、どういうわけか箒で楓流軒の石畳を掃いていた。
「あれ……? そこにいるのは阿央よね。あなた、さっき易者をしに出かけたのに、もう帰って来たの?」
後ろ姿に向かって話しかけると、振り返った人物の面持ちに春鶯は驚愕した。そこにいたのは妹ではなく、友人の福来だった。
「阿来……? どうしたの? なにがあったの?」
福来は、出かける前の央央が着用していた桃色の襖裙を着ている。妹からはなにも相談されていない。
「お姉さん。実は、今日一日だけ、楓流軒でお手伝いしてみたくて、私から阿央に頼んだんです」
「あら、そうなの?」
福来は時々、ここで働く春鶯や央央の姿を羨ましそうに眺めていた。だから、お手伝いしてみたいとの申し出を耳にしても、なんら不思議ではなかった。
「はい。でも、普段の私の格好だと、目立ちすぎて迷惑をかけるかもしれないので、央央から服を借りたんです」
本人がいうように、彼女の普段着は金糸の模様入りなので高価だし派手だ。その恰好では宿屋では働けない。
「それなら、今、あの子は占いに行っているのね?」
「そうです」
央央の居場所がわかったので安堵する。事件に巻き込まれたわけではなくてよかった。ただそれだけだ。事前に相談してほしかったが、思い立ったが吉日という言葉があるので、春鶯はそれ以上、掘り下げることはしなかった。
「阿来。今日一日、よろしくね!」
「よろしくお願いします!」
福来にはそのまま掃き掃除をお願いした。掃き掃除が終わると一緒に買い出しに行き、台車をにこにこしながら押していた。大量の食材を前に驚く表情が新鮮だった。
昼は口に合うかわからなかったので、店で買おうと提案したところ、普段、央央と食べているものがいいとのことだったので、屋台に寄ってから楓流軒へ戻った。妹がもう一人増えたみたいで楽しかった。
「食材を蔵に運んでくるから、先に食堂で待っててくれる?」
「私も一緒に運びますよ?」
「一人で大丈夫よ。すぐに行くから、先に休んでて!」
「わかりました!」
買い込んだ塩や砂糖、大豆、小麦、根菜、酒などを蔵に運び入れる。どれも重いので、福来に頼まないで正解だった。
腰を悪くすることもあるので、春鶯は一つ一つ慎重に運んでいた。すると、突然、誰かの「きゃあああ」という叫び声がした。蔵にいても聞こえるほどの声量だ。何事かと外に出ると、勝手口からは慌てた様子の趙眠が飛び出し、蔵の外にいた春鶯と衝突した。春鶯はなんとか踏ん張ったが、趙眠は地面に尻餅を突いて転がった。
「お、おれは悪くないぞ! あ、あ、あいつが悪いんだ!」
趙眠は「俺は悪くない」と執拗に繰り返している。様子がおかしい。
「趙眠……あなた、まさか阿来になにかしたの!?」
食堂にいるのは福来だ。彼女の叫び声で間違いない。
「あ、阿来だって!? 小央じゃないのか!?」
「そうよ! あの子になにをしたの!?」
「お、おれは悪くないからな! あの女が誘って来たんだっ!」
「そんなわけないでしょ!!」
ここにいても、会話にならないので慌てて勝手口から厨房に飛び込み食堂へと急ぐ。隅の方では、倒れた椅子と、ガタガタと肩を震わせている福来の姿があった。着用した央央の襖裙は、ところどころが破れている。
「大丈夫!?」
「う、うう……」
先ほどまでは笑顔だった福来の顔は、涙に濡れてくしゃくしゃになっていた。腸が煮えくり返るような怒りを感じる。趙眠になにかされたに違いない。優しく抱きしめ、背中をゆっくり撫でながら、努めて優しく声をかける。
「なにがあったか……話せる?」
「あの人が……あの人が、阿央って言いながら、いきなり抱きついてきたんです……!」
大粒の涙が次から次へと溢れている。いきなり、不意を突かれて襲われたのだから当然の反応だ。誰だって怖い。
趙眠は、長年片思いしている央央が、なかなか自分に靡かないのでとうとう痺れを切らし、食堂で見かけたのをきっかけに、衝動的に襲ったのだろう。ここまで愚かだったとは──。
さすがに趙眠は度が過ぎている。息子が悪いことをしても決して叱らず、趙嬌が猫可愛がりをして育てた結果だ。まさに自業自得だ。
「それは怖かったわね、阿来。私がいるからもう大丈夫よ。家まで送っていくから、一緒に帰りましょう」
「……はい」
肩を支えて立たせてあげると、着替えさせることはせず、そのまま福来の家まで送り届けることにした。状況証拠を残すためだ。
外にはもう趙眠の姿はない。福来を襲ったと知り、怖くなって逃げたのだろう。春鶯は、今回ばかりは容赦するつもりはなかった。
案の定、娘がされたことに激怒した福来の母親は、趙親子を怒鳴るために楓流軒に乗り込んだ。顔を青くした趙嬌は、引っ張り出してきた息子と一緒に、床に頭を擦りつける勢いで土下座をして謝罪したが、許されるはずもなく。相手は嫁入り前の官僚の娘だ。たとえ、抱きついただけだとしても、厳しい処罰が下るだろう。
春鶯の父親は、福来の父親に呼び出され話し合った。その結果、素行に問題のある趙眠を、厳しいと有名な山岳地帯での座学へ送ることで同意した。憲兵に突き出しても、本人に改善する意思がなければまた繰り返すと思われたからだろう。それだけでなく、趙眠本人と、息子を野放しにしていた趙嬌にも、帝都への出入り禁止を言い渡した。
当然ながら趙嬌は、未遂だったのに犯罪者のように扱うなと、処分に納得がいかない様子だった。だが、春鶯の父親は、結婚してから趙嬌が、十年間も裏帳簿で私腹を肥やしていた証拠を突きつけ、その間に貯めた銀二千両を没収しない代わりに、離縁することを言い渡した。親も子も、ほぼ同時に自滅したのだ。
銀二千両を所持していることを知られた趙嬌は、気が変わって全財産を取られることを恐れ、それ以上は暴れることなく大人しくなった。
娘である趙美はと言えば、母親と兄のせいで帝都から追い出される形となってしまい、二人のことを口汚く罵っていたが、ようやく央央と比べられることもなくなると清々した様子だった。
当事者である趙眠は、翌日には座学へと送られ、離縁宣言の三日後には、別棟から趙一家がいなくなった。あっという間の追放だった。
***
趙一家追放から四日後。十年ぶりに空っぽになった別棟に、楓流軒に置いていた机や椅子などの家具と寝具を搬入して、生活できるように整えた。
「それにしても、またここに住めるようになるなんてね」
「そうね」
頻繁に改装していたらしく、春鶯が住んでいた頃とはすっかり様変わりしてしまったが、部屋は一階に居間と一部屋、二階に二部屋あるので、父親と春鶯、央央はようやく住処を取り戻せた。
「これからは、姐姐が帳簿管理するんでしょ?」
「うん。趙夫人の給金がなくなるから、新たに一人か二人、雇うことになるはず。だから、阿央は本格的に易者になるつもりなら、習いに行ってもいいのよ?」
私塾に通わせてあげられなかったことを謝ると、央央は「いいの」と首を振った。
「うちに新しい人がきても、今まで通り手伝うからね?」
「ありがとう、阿央」
趙嬌が行っていたのは帳簿管理だけだったので、それが逆に助かった。掃除や水汲み、買い出し担当は新たに雇い、春鶯は客簿と帳簿と仕入れという、金回りのことに集中することができる。今まで通り、創作する時間は欲しいので、客簿の管理は続けるつもりだ。
福来には怖い思いをさせてしまい、申し訳なさが拭い去れないけれど、本人はまた手伝いたいと言ってくれているので、今度は央央がいるときにお願いするつもりだ。
長年続いていた、趙一家からの執拗な嫌がらせが、まさかこんな形で解決するとは、人生なにがあるかわからないなと春鶯は思った。




