九.北湖園での再会
月影座の追加公演最終日。昼夜ともに早くから席が埋まり、急遽、立ち見席が増やされたほどの賑わいっぷりだったという。その盛り上がりは翡翠城まで届き、役人が最終公演を観覧したところ、翌日、大絶賛した話が皇帝陛下の耳にまで届いたという噂だ。
出会いがあれば別れもある。楓流軒で働いている春鶯は、何度も体験してきた。せっかく意気投合するような人物が泊まりに来ても、数日で旅立つので見送ることになるのだ。こればかりは仕方がない。一期一会を大切にしている。
六月末から滞在していた月影座の一行も、七月下旬をとうに過ぎてしまうと、二、三日中に次の町へ向けて出発しなければならない。移動型の劇団である月影座とは、今月いっぱいで別れなければならないのだ。
結納の際に、婚礼を挙げる日取りとして決めたのは、二か月後の九月下旬。その頃には南部地方にいるため、楚月のみ劇団を抜けて帝都まで戻る予定だという。
最終公演、翌日の午前中。引き揚げる準備をしている最中、宮廷からの使いが楚月に打診しにきたと、興奮気味の央央に教えられた。なぜ妹が知っているかというと、先ほどまで顔を出していたからだ。今は楓流軒に戻り、姉に伝えながらせっせと客室を掃除していた。
「月影座に、宮廷専属にならないかって話が出ていたみたいだよ」
「え、そうなの?」
「すごいよね。名誉だよね。でも、謝公子は断ったんだって」
「えっ……!?」
情報通な妹には驚かされるばかりだが、晋高に会いに行っていることはわかっているので、あえて突っ込まない。宮廷専属になると、巡業している現在よりも安定して稼げるだろう。願ってもみない絶好の機会だ。ところが、楚月は検討する間もなく断ったという。
「庶民の娯楽であり続けたい、って言ったんだってー!」
「──まったく、お喋りだな、俺の妹君は」
灰色の長袍姿の楚月が、晋高を伴って顔を出す。大道具や小道具の撤収、荷造り作業と挨拶回りで多忙だと今朝方聞いていた。
「楚月さん! お帰りなさい」
「ただいま、阿耀。これからちょっと、出られないかな? 話があって」
客室の清掃さえ終えれば、手が空く時間帯だと把握しているらしい。春鶯が頷こうとしたところ、先に央央が返事をした。
「いいよ、行ってきたら? 有能な妹が、面紗をつけてお客さんの相手をするから。あ、でも琳哥哥は、私のために置いてってね?」
「はいはい。危険なところに行くわけじゃないから、お望み通り置いて行くよ」
「やったー!」
相変わらず央央は晋高に夢中のようだ。晋高はというと、央央から果敢に挑まれても、顔色一つ変えない。態度も変えない。問いかけには応対するし、食べているものを一口欲しがれば分けてくれるし、疲れたと言えば背負ってくれるという。ただ、どれもこれも故郷にいる弟妹にしていたことだと判明しているので、央央は諦めずに挑戦を続けているらしい。春鶯は密かに妹の恋を応援している。密かなのは、晋高の本心を聞かせてもらっていないからだ。いくら可愛い妹のためとはいえ、無理強いするつもりはない。
「昼がまだなら、軽く食べようか」
「いいですね」
屋台料理で適当に済ませると、帝都の北にある広大な湖畔公園の「北湖園」へと向かう。柳の枝が湖面に垂れ、白い塔が遠くに見える風情ある場所だ。肩を並べて歩いていると、追いかけっこをしていた十歳前後の少年少女が、こちらに視線を向けるなり走ってくる。
「あ、仮面の兄ちゃんだ!」
「本当だー!」
「また時間ができたら、僕たちに演舞を教えてくれる?」
「もちろん」
たまたま、楚月を慕っている子どもたちと遭遇した。少年少女の頭を一人一人、優しく撫でているのを微笑みながら見守る。こうして、他の地域でも接しているんだろうなと容易に想像できた。
子どもたちと別れ散策に戻る。最終公演は昨日で終わったとはいえ、まだまだやることのある楚月は、少し疲れた様子で歩いていることに気がつく。
「楚月さん。こちらの木陰で少し休みませんか? 公演の疲れが残っているでしょう?」
木陰まで手招きし、夏場ゆえに喉が渇くだろうと、持参していた水筒のお茶を差し出す。楚月は微笑んで受け取った。
「君はいつも周りを気遣うな。俺は大丈夫だが……ありがとう」
肩を並べて木陰で休んでいると、楚月に問いかけられた。
「宮廷からの打診を断ったのは、妹君が言っていたように本当だよ。自分が任されている劇団を、政治利用されたくないんだ。宮廷でやるとなると、色々と制約がついて回って面倒だし、演目の内容次第では、誰かの反感を買って帝都から追い出されることも……。ただ、向こうから食い下がられて、この先、行く地域で発生する違約金があるなら支払うから、期間限定で上演しないかと粘られている」
「そうだったんですね」
「きみはどう思う?」
追加公演が何日間かはわからない。宮廷での公演なので、庶民は立ち入りできないことは承知の上だ。それでも、それでも。一日でも長く帝都に滞在してほしいという想いが春鶯にはあった。たとえ、わがままだとしても、一日でも長く一緒にいたかった。
「……私は、楚月さんに、まだいてほしいです」
「……うん」
「政治利用されたくない、という楚月さんの気持ちも理解できます。でも、私としては、一日でも一緒に過ごしたいので、専属にはならなくても、帝都に滞在してくれると嬉しいです」
「わかった。もう少し考えてみるよ」
「……はい」
月影座の団員は全員で六十名だ。座長の独断で決めることはない。答えがどうあれ、春鶯は楚月に寄り添うつもりだ。
ふと湖の上に視線を向けると、手漕ぎの舟で若い男女が、楽しそうに移動している姿が見えた。和気あいあいとしており、こちらにも仲睦まじい雰囲気が伝わってくる。
「阿耀は乗ったこと、ある?」
「ないです。楚月さんは?」
「俺もない。ちょっと行ってみようか」
「はい!」
舟を貸し出しているところに到着すると、係り員の説明を熱心に聞いている春鶯は、舟を漕ぐための櫂を受け取った。櫂とは、細い木の棒の片端に、平たい面がついている道具のことを指す。舟に座り、櫂を動かして前へ進む。
「私が漕ぎますね。楚月さんはゆっくり風を感じていてください」
「そんなに優しくされると、俺は甘えたくなるよ」
「ふふ。甘えてもいいですよ? 私は姉ですから、慣れてます」
「うん、そうだね」
舟に乗り込むとゆっくり進み始めた。
「きみは泳げるの?」
「たぶん、泳げないです。泳ごうとしたことがないので、わかりませんけど」
「俺は泳げるから、落ちたら助けるよ」
「ありがとうございます!」
漕ぐのは初めてだが、逆に進むようなことはなく、穏やかな時間が流れている。ずっとこうだったらいいのに、なんて思いながら春鶯は舟を漕ぐ。気持ちは教えてもらったし、自分も伝えたが、具体的な今後の話はまだしていない。切り出していいものか、それとも話してくれるのを待った方がいいのか、春鶯は迷っている。
婚礼は二か月先だ。二か月後になってからでも話し合うのは遅くないのかもしれない。
「小さい頃に帝都に来たときも、今のように優しくしてくれた女の子がいたんだ」
「そうなんですね」
「六歳くらいだったかな。体があまり丈夫ではなかったから、月影団の座長をしている伯父に預けられて、色々巡ったんだよ。俺は次男だったから、すんなり旅に出してもらえた」
黙って楚月の話に耳を傾ける。
「帝都に到着した頃、俺は旅の疲れで熱を出したんだ。たまたま泊まった宿屋で、手伝いをしている女の子がいてね。俺の看病をしてくれた」
楚月が六歳となると、一つ年下の春鶯は五歳だ。
(……あれ? なんとなく引っかかるのはどうしてかしら)
春鶯は楚月をじっと見つめる。
「その子には身重の母親がいて、風邪を引いていた俺を近づけたくなかったんだと思う。だからずっと傍にいてくれたんだよ」
二日で熱が下がると、その女の子を連れて楽屋へ侵入し、差し入れの菓子を一緒に食べたり、劇団員から字を教わったり、特別に舞台袖から芝居を見たりしたという。そうして公演期間中の一か月、毎日過ごしていたことを教えられた。
「もしかして……阿月?」
そう呼んでいた男の子がいた。期間は短かったけれど、同じ年頃だけあってたくさん遊んだ。
「うん。思い出してくれて嬉しいよ、耀耀」
「忘れてました……」
「いいんだ。俺もさっき思い出したばかりだからね。それより、母君はあのあと亡くなったんだね……」
「ええ。だから、その頃の記憶が曖昧なんです」
母親を亡くした当時は、どう過ごしていたのか思い出そうとしてもなにも浮かばなかった。生まれたばかりの妹のおかげだろう。祖母や乳母もいたので、一人で面倒を見ていたわけではないものの、買い物の間、大人の代わりにあやしたり、泣き出したら着替えさせたり、お腹を空かせたら乳母が用意していた乳を飲ませたり、可能な限り手伝いをしていた。悲しみを抑えて必死に生きていたから、忘れていたのかもしれない。
「これから、お墓に花を手向けに行ってもいいかな?」
「ありがとうございます。母も喜びます」
「耀耀は何色が好き?」
「私は、桃や黄色など、明るい色が好きですね」
「じゃあ、その色の花にしようか」
湖畔から町中へ戻り、春鶯の好きな色でまとめた花束を作ってもらう。帝都の外れにある墓地に案内すると、楚月は花束を供えた。手を合わせてなにかつぶやいている。
「……あなたのお嬢さんを、俺の生涯をかけて幸せにします。見守っていてください」
「楚月さん?」
小声すぎて春鶯には聞こえなかった。首を傾げて問いかけても、楚月は笑みを浮かべるだけだった。
「じゃあ、行こうか。楓流軒まで送るよ」
「ありがとうございます」
一時辰近く抜けていたので央央にはどんな話をしたのか問い詰められたものの、春鶯は内緒だと微笑み誤魔化した。
昨日の楽しかった湖畔で過ごしたひと時を、どうしても頭に思い浮かべてしまう翌日。蔵の中身が空になりそうだったので、央央と二人で出かけていた。
重いものは台車に積み上げ、麦、米、粉類、人参や青菜、白菜に芋、ごぼう、葱、肉と次から次へと買い求める。
そんな春鶯と央央の元へ、見知らぬ男がいきなり距離を詰めてくる。また央央の外見に釣られたのかと、暑いと言われても面紗をつけさせればよかったと悔やみそうになる。
なんと男は央央を目がけていきなり拳を振り上げた。暴漢だ。明らかに妹の顔面を狙って殴りかかろうとしてきた。
「あぶない!!」
咄嗟に春鶯が前方に飛び出すと、痛みに耐えるために目をぎゅっと閉じた。代わりに殴られる覚悟をした。ところが、春鶯が身構えても、痛みが襲ってくることはなかった。
「……琳公子!?」
春鶯が目を開けると、そこには暴漢の腕をひねり上げている晋高の姿があった。驚いた。
「きゃー、さすが琳哥哥ね、ありがとう守ってくれて♡」
「これも仕事のうちだ」
「それでもいいの!!」
いきなり襲いかかってきた男は、晋高に羽交い締めにされているというのに、央央のことを睨みつけている。
「どうして狙った?」
「ふん。俺を振った女に似ていたからだよ!」
晋高が問いかけると、あっけらかんとした態度で暴漢は答えた。そんな一方的で身勝手で、どうでもいい理由だったのかと耳にした途端、春鶯は呆れた。
「そんな考えだから、振られて当然よ!」
「姐姐……!」
さすがに言い返さないと気が済まなかった。やっぱり央央は、外では面紗を必須にさせた方がいいという考えに至ってしまった。
暴漢は、他にもなにか喚いていたものの、誰かが呼んだのか、駆けつけた憲兵に引き渡された。赤ら顔だったので、酒が抜けた後にきつく絞られるだろう。
一安心していると、春鶯の背後から忍び寄る人物が一人。
「耀耀。間に合ってよかった。大丈夫? 怪我はない?」
背中から覆いかぶさられ、驚いたのも束の間、その正体は仮面をした楚月だった。
「え、ええ、平気です、ありがとうございます」
「きみは、いつも妹をかばうんだね」
「見てましたか」
「うん。たまたま近くの広場で、子どもたちに演技指導をしていたんだ」
「ああ、そうだったんですね」
だから駆けつけるのが早かったのだと納得する。憲兵がすぐ来たのも、楚月が呼びに行ったに違いない。
背後から楚月に抱きしめられたままなので、緊張してしまう。
「そこのお二人さん。そろそろ離れたら? 子どもたちどころか、周辺にいる人たちが凝視してるわよ?」
そう央央に指摘され、春鶯は慌てて離れた。名残惜しいが公衆の面前なので仕方ない。
「耀耀。宮廷で公演することに決めたよ」
「え、本当ですか!?」
「うん。延長できるのは一週間だけどね」「……そう、ですよね」
一週間となると、八月上旬だ。八月上旬になってしまえば、今度こそ楚月と離ればなれになってしまう。そう考えると、今から別れが辛くなる。
「寂しい?」
楚月に問いかけられる。
「……ええ、寂しいです」
春鶯は、素直に頷いた。五歳の頃以上に濃密な一か月間を過ごしてしまったため、慣れているはずの別れが、これほど辛いものだとは想像していなかった。一旦別れても、九月下旬の婚儀がくれば再会できる。けれど、その後はどうするのか相談していないので不安なのかもしれない。
「……はあ。もう帝都に永住しようかな……」
「なんですか?」
「なんでもないよ」
ぼそっとした声でつぶやかれたので聞き取ることができなかった。聞き返したものの教えてくれなかった。
「耀耀。買い出しがまだだったら手伝うよ」
「あ、そうだった! ありがとうございます」
楚月が楽しそうに台車を引いている。男手があるため、あれもこれもと買いたくなるところを抑えて、四人で買い出しを済ませた。蔵での整理も手伝ってくれた。お礼にお茶とお菓子を振る舞った。




