Case3 爆発事故の多数傷病者
「PTSD……?」
暗闇に消えていったロワルを見送りながら、ラグは呟いた。
心的外傷後ストレス障害、トラウマ体験がフラッシュバックや悪夢として繰り返し起こり、強い不安や極度の緊張を引き起こすものだ。
その辛さに、自ら死を選ぶ者もいる。
ラグは西署で同じような人を多く見てきた。
「なんであんなになってまで……」
理解ができないとともに、ラグは確信していた。
おそらくロワルは、今死にかけの人がいたら迷いなく治癒魔法を使うだろうと。
ラグの両手はいつのまにか汗ばみ、小さく震えていた。
ーーー
「おはよう」
翌日、普段と変わらない様子でロワルは中央署に入ってきた。
ラグはその姿をこっそり見つめた。
白髪に青白い肌、いつものように疲れた薄いクマのできた顔。
髪はもともと白じゃなかったのかもしれない、顔色も血の気が引いているだけ?
そもそも何歳かもはっきりとしない。
「一回聞いてみようかな……でも嫌がられたらなぁ……」
うんうんと悩むラグの後ろからヤゴコロがこっそり近づき抱きつく。
「なんか悩んでるのっ!」
明るい彼女の言葉に、ラグも自然と笑顔になる。
「いえ、ロワルさんって何歳なのかなと……」
ははーん、と、ヤゴコロはニヤニヤと笑っている。
「そんなにロワルさんのこと気になるんだ?」
恋だ!恋バナだ!とからかってくるヤゴコロをラグは顔を真っ赤にし振り払う。
「冗談だよ! たしか35歳!」
ひらりと身をひるがえし、ヤゴコロは調剤室へ入って行った。
はぁはぁと息を荒げ、ラグはヤゴコロの言葉を思い出す。
「35歳には……見えないよね」
40歳を超えるような外見に、いよいよラグの疑念は確信に変わっていく。
白髪になるような、血の気が引くような、クマを作るようなストレスや悪夢に耐えてロワルはここにいる。
そのことを想像すると背筋がヒヤリと冷たくなる。
「ラグ、大丈夫か?」
ロワルに後ろから話しかけられビクッとする。
どうやら深く考え込んでぼーっとしていたようだ。
「昨日の疲れが出たか? まあ無理せず出動のときは気をつけろよ」
無理せずはこっちのセリフだと思いながら、ラグは謝罪し溜まっている報告書を作る作業に戻った。
ロワルも机に戻り、昨日の上級回復魔法の報告書を作っている。
普段の報告書の他に、上級治癒魔法使用報告書、上級治癒魔法使用検証票など何枚もの報告書があり、報告書の量が多いのは嘘ではなかったようだ。
ーーー
昼を過ぎ、今日はまだ1件も出動がなかった。
西署で勤務していた時は珍しくなかったが、中央署に勤務してからはひっきりなしに出動要請がきていた。
「今日は出動ありませんね?」
ラグがなんの気無しに呟くと、ヤゴコロはニヤリとした。
「言ってしまったね……?」
ああっ……と額に手を当て、大袈裟に天を仰ぐ。
普通であればイラっとするであろう仕草も、この兎人がすれば可愛らしく、許せてしまう。
「なにかあるのですか?」
「私の住んでた暁って東端の国では、言霊ってのがあるんだけどね? 口に出せば精霊が言葉に力を与えてくれるの」
本当に効果があるのかはわからないけどね?とヤゴコロは言う。
「でしたら、今日は何も起こらない……ということですか?」
ちっちっちとヤゴコロは人差し指を立て横に振る。
いちいち動きをつけて、見ていて本当に飽きない。
「言葉の精霊はなぜかイタズラが好きでね、たまに真逆のことを引き起こすんだよ!」
遠くの席からクロッサが微笑ましそうにこちらを見ているのに気づき、ラグは少し気恥ずかしさを覚えた。
「まあ、そんな精霊、鑑定士でも見たことがないらしいけどな」
ロワルは立って身体を伸ばし話を続ける。
どうやらようやく報告書が終わったようだ。
「ただ、こういう時の言霊は……」
ロワルの言葉が終わる前に、大きな爆発音が鳴った。
外を見ると、もくもくと煙が上がっている。
「こういう時の言霊は、わりと悪さをするんだ」
今度こそ言葉を言い切ると、水晶か音が鳴り響く。
クロッサが対応するが、その顔は深刻そうだ。
ラグは顔を強張らせるが、ヤゴコロはポンと頭を叩き、たまたまだと微笑みかける。
「貴族の屋敷で爆発事故だ、高齢の錬金術師が調合を失敗したらしい。負傷者多数、北署と東署にも応援要請を出す。」
事務室にピリッとした空気が流れる。
ヤゴコロも先ほどまでと違い、真剣な眼差しでクロッサを見つめ、指示を待っている。
「私も指揮で出動する。ロワルは隊員3名とラグの5人体制であたれ。バックアップにヤゴコロ、ありったけポーション持っていくぞ。」
了解!と全員が動き出す。
動き出しこそ早かったが、ロワルの顔がいつもより青ざめているのをラグは見逃さなかった。
ーーー
到着すると、敷地内に建てられた小屋から黒煙が上がっていた。
ドアは吹き飛び、高級品とされている窓ガラスが割れて飛び散っている。
黒く焦げた身体、ガラスが刺さり血を流している獣人、鼻を突き刺す鉄錆のような血と焦げた臭い、痛みに呻く声や悲鳴、全てが重なり凄惨な光景を生み出している。
現場に到着しすぐ、クロッサは指揮所を、隊員は緑、黄色、赤、黒に色分けしたテントを設営した。
「歩けるやつはこっちに来てくれ!」
隊員の1人が歩ける人を緑のテントに誘導する。
ガラスが腕や足に刺さりなんとか歩いているものも緑のテントに向かい、その姿はまるで亡者の行進のようであった。
「ラグ、行くぞ!」
「はいっ!」
ロワルとラグは動けない怪我人に向かっていった。
「いいか、俺の指示通り、怪我人の手首にこの紐を結んでくれ」
ロワルが取り出したのは重症度別に識別される、黄色と赤と黒の紐だった。
「わかりました!」
ロワルから黄色と指示が来たため黄色い紐を手首に結ぶと、そこから黄色い光の柱が上がった。
それをみた他の署の隊員がテントに運んでいく。
爆発のあった室内から黒い光が何本も上がる。
「5本か……」
ロワルはそれを苦虫を噛み潰したような顔で見て、すぐ目線を外す。
そのとき、吹き飛んだドアの近くに血を流し倒れている兎人のメイドがいるのを発見した。
「ラグこっちに急げ!」
ロワルの切羽詰まった声から、これが昨日のドワーフ以上に危険な状態だと理解する。
流れ出る赤い血液は、刻一刻と兎人のメイドを死に追いやっている。
ロワルは駆けつけようとしたが、その腕を誰かが掴んだ。
「ちょっと、メイドよりこっちを優先してよ! 足が痛くて動けないのよ!」
見ると、貴族の女性が座り込みロワルの腕を掴んでいる。
スカートの裾から出る足を見ると、足首が赤くなっている。
打ったか捻ったかしたのだろう。
「待っていろ、大怪我をしているやつが見えないか」
ロワルは振り払おうとするが、貴族の女性はさらに強く掴んでくる。
「メイドなんかよりこっちを優先しなさい! 私は貴族なのよ!」
その言葉を聞きロワルは力強く腕を振り払った。
「命に上下は無い、邪魔をするな!!」
ロワルの声に女性もラグもビクッと動きを止める。
ロワルは2人に構わずメイドに駆け寄り服を少したくしあげた。
腹部に刺さったガラスが抜けたのであろう、ぽっかりと空いた腹部の穴から真っ赤な血液が流れ出ていた。
しかしその血液の勢いも、すでに弱まってきている。
「今、助ける。絶対助けるからな……」
腹部の傷にタオルを当て止血する。
メイドの目は虚空を見つめており、息も絶え絶えだ。
「母なる……母なる神に願い奉る!!」
ロワルの身体から光が立ち上る。
その光はドワーフの時よりも激しく光り輝いている。
そのとき、すっとメイドの手が動いた。
「ありが……とう……」
血に染まったメイドの手がロワルの頬を触れる。
冷たくなった手はゆっくりとロワルの頬をなぞりパタリと落ちる。
虚空を見つめていた目も、いつのまにかまぶたが降りていた。
自分を優先してくれたことなのか、必死に助けてくれようとしたことなのか、何に対してのありがとうかはわからなかった。
ただ確かなことは、また一つロワルの目の前で命の火が消えたことだけだ。
ラグも急ぎ駆けつけると、ロワルから放たれていた光が徐々に消えていった。
「まだか、まだなのか……」
熱を失い血も出なくなったメイドから手を離す。
「これほどやってもか、神よ……なぜ俺は救えない……」
両膝をつきロワルは天を仰ぐ。
魔法の光が消えていく光景は、まるでロワルが天に昇ってしまうようだった。
「ロワルさん……?」
声をかけるラグの声は震えていた。
昨日見たロワルの姿が頭から離れない。
ラグが声をかけると、ロワルは手首に黒い紐を結び、すっくと立ち上がる。
メイドから黒い光が立ち上がった。
「すまない、次に行こう」
顔の色はすでに無い、冷汗をかき手は震えている。
それでも足取り確かに、ロワルは次の怪我人の元へ歩いていった。
その頬には、メイドの血で付けられた3本の赤黒い線が刻まれていた。
ーーー
翌日、事件の詳細と被害が判明した。
今回の原因は老錬金術師の調合ミスであった。
大抵歳を重ねた錬金術師は弟子や部下に調合を任せるが、中には人に任せるのを良しとしない錬金術師もいる。
そのような錬金術師は今回のような調合ミスを起こし、怪我をさせる事件が多発している。
「みなさん、お疲れ様でした」
視線がクロッサに集まる。
「昨日の事故は死者6名、怪我人10名となりました。みなさんの協力がなければ、おそらく死者はさらに増えていたでしょう」
「やったね!」
ヤゴコロはニコニコしながら声を上げる。
ヤゴコロの上級ポーションは骨折や大量の出血にも使え、治療院へ運ぶ時間稼ぎになった。
その結果、後遺症が残りそうな者もいなかった。
「さて、疲れているだろうが今日も変わらず業務はある。事故なく頑張ろう!」
おう!と声が上がり各々が動き出す。
しかし、その中にロワルの姿はなかった。
ーーー
死者6名のうち5名は部屋の中で作業していた錬金術師とその部下で即死状態、もう1人はロワルの看取った兎人のメイドであった。
怪我人10人の中で、ロワルが上級治癒魔法を使ったのは2人だった。
部屋の中に無数の虚な瞳が浮かんでいる。
その視線は、全てロワルを見つめていた。
部屋の中では事切れるときの声が何重にも響き渡る。
その声は耳を塞いでも聞こえてくる。
昨日さらに1つの声が加わった。
部屋には鉄錆の臭いが充満している。
もう2度とこの臭いからは逃れられないだろう。
『ありがとう』
「なにがありがとうだ、俺は貴女を救えなかった」
ロワルは虚空に浮かんだ死者の顔を見つめていた。




