第10話「戦の足音」
王都の使者が去ってから数日。
村の空気は静かだが、どこか張り詰めていた。焚き火を囲む笑い声も、夜風に吹かれるとすぐに掻き消えてしまう。
人々は皆、次に訪れるものが何かを理解していた。――王都軍だ。
リディアは夜明け前に目を覚まし、井戸の水で顔を洗った。
水面に映る自分の顔は、王都で過ごした頃より逞しくなっている気がする。
頬には土の汚れ、髪は乱れ、それでも瞳は強く光っていた。
「リディア様」
背後から声がした。振り向けばアレンが立っている。剣を背に負い、夜明けの冷気を纏っていた。
「見張りの兵が報告を寄越した。街道を南から王都軍が進んでいる。数は百を超える」
リディアは息を呑む。やはり、来た。
「……いつ到着するの?」
「早ければ三日後。遅くとも一週間以内だろう」
村の大人たちは不安そうに顔を見合わせたが、リディアはすぐに声を上げた。
「ならば、その時までに備えを整えましょう」
その日から、村全体が戦の準備に動いた。
オルグが中心となって柵を補強し、農夫たちが木を伐り出して壁を築く。子どもたちは石を集め、老人たちは薬草を仕分け、煎じ薬を作った。
アレンは若者に剣の稽古をつけ、村の広場には木剣の音が響いた。
「踏み込みはもっと低く! 剣を握る手は震えを隠すな、震えたままでも突き出せ!」
カイルは汗を流しながら必死に木剣を振るい、ミラは弟を背に負いながら薬草を刻んだ。
皆が、自分にできることを必死で果たしていた。
夜。
リディアは焚き火の前に立ち、村人たちを見渡した。炎の明かりに照らされた顔は疲労に濡れていたが、それ以上に誇りに輝いていた。
「私たちは追放され、奪われ、居場所を失った。けれど、ここで新しい居場所を手に入れた。……だから、絶対に渡さない。王都が何を言おうと、この村は私たちのもの」
言葉は炎のように広場を包み、人々の胸に灯火をともした。
「おおおっ!」
歓声が夜空に響く。恐怖と不安はある。だが、それ以上に人々の心はひとつになっていた。
その夜更け。
リディアはひとり、廃屋の屋根に登り、星空を見上げていた。胸元のコンパスを開くと、針のような光が北東を示している。
そこには王都から伸びる古い軍道がある。――間違いない、敵はその道を通ってやって来る。
「祖母……私は間違っていないわよね」
呟いた声に答えるように、夜風が彼女の頬を撫でた。
星々は冷たくも強く輝き、まるで村の未来を見守っているかのようだった。
三日後の朝。
見張りに立つ若者が叫んだ。
「街道の向こうに旗が見える! 王都軍だ!」
土煙の彼方には、整然とした列をなす兵士たちの姿。鎧が陽光を反射し、槍が林のように揺れている。
百を超える兵が迫る光景に、村人たちは息を呑んだ。
リディアは深く息を吸い込み、声を張り上げる。
「皆、恐れることはない! 私たちはこの土地に根を張った! 誰にも奪わせない!」
村人たちが叫び、武器を掲げる。
辺境の小さな集落は、いまや戦場の最前線となろうとしていた。