第3話「廃村との出会い」
山道を越え、森を抜けてさらに二日。
王都から遠ざかるほど、道は荒れ、通行人の影も薄くなった。昼には土埃、夜には冷え切った空気が襲いかかる。護衛の兵たちは疲弊し、口数を減らしていた。
リディアは荷台の隅で膝を抱え、胸元の小袋を握り締める。祖母のコンパスは冷たいが、その重みが彼女の心を支えていた。
追放という現実は、今なお胸を締めつける。それでも、ここで止まるわけにはいかない。
その日の夕刻。
丘陵を越えた先に、ひっそりと沈む集落が見えた。
石積みの塀は崩れ、木造の屋根は半ば朽ち果てている。家屋の扉は開け放たれ、風が吹くたびに軋んだ音を立てた。
兵の一人が鼻を鳴らす。
「ここが……“開拓地”ってやつか。笑わせるな。廃墟じゃねぇか」
リディアは馬車を降り、ゆっくりと足を踏み入れる。
かつては畑だったであろう土地は荒れ放題で、雑草が膝丈まで伸びている。井戸はひび割れ、桶は苔に覆われていた。
人の気配は、どこにもなかった。
護衛は互いに顔を見合わせると、荷物を投げ出した。
「俺たちの任務はここまでだ。あとは好きに生きろ」
短くそう言い残し、彼らは馬を返して去っていった。
残されたのは、夕闇に沈むリディア一人。荷物は最低限、屋根は朽ち果て、食糧はわずか。
リディアは冷たい風を受け止めながら、深く息を吐いた。
「……いいわ。ここから始める」
まず向かったのは井戸だった。
覗き込むと、底にわずかな水の光が見える。しかし桶を下ろすと、途中で引っかかり、底に届かない。ロープはすでに擦り切れていた。
リディアは胸元のコンパスを取り出す。指先で紋をなぞり、小声で呪句を紡ぐ。
空気が震え、石組みの間からひんやりとした風が立ちのぼる。
井戸の底に眠っていた水脈が応えるように動き、少しずつ湧き出してきた。
「……使える」
冷たい水を両手ですくい、喉を潤す。身体の芯にまで染みわたり、全身が目覚めるようだった。
次に向かったのは畑の跡地。
土は乾ききり、石と雑草に覆われている。だがリディアは祖母の言葉を思い出す。――土を崩しすぎず、水を導き、風を通す。
枝を使って草を払い、地面を掘る。指先はすぐに土と血で汚れたが、気にしていられない。
小袋から取り出したのは、マリアンヌがこっそり渡してくれた薬草の種だった。
土に埋め、手をかざす。呪句を囁くと、土の中から微かな芽の気配が伝わってきた。
夜空には星がまたたき始めていた。
リディアは立ち上がり、崩れかけた家の中へ入る。埃の匂いが鼻をつくが、屋根はまだ一部残っている。
壁に背を預けると、疲労がどっと押し寄せた。
だが、目を閉じる前に呟く。
「私は……負けない。ここで生きてみせる」
翌朝、鳥の声で目を覚ました。
畑に向かうと、土の上に小さな緑の芽が顔を覗かせていた。夜露に濡れ、光を反射している。
その瞬間、リディアの胸の奥に、確かな希望が芽生えた。
追放も、婚約破棄も、全ては彼女を潰すための罠だった。
だが、この小さな芽が示す。――自分は、まだ始まったばかりなのだと。
リディアは微笑み、朝の光を浴びながら、廃村に向かって声を落とした。
「ここを……私の居場所にする」
風が頷くように吹き抜けた。