第16話「王都の動揺」
辺境の村での大決戦から数日後。
村はまだ戦の痕を残していた。折れた槍、焼け焦げた柵、泥に沈んだ鎧。だが人々の顔には誇りと安堵が宿っていた。
「母さん! 怪我はもう大丈夫?」
子どもが駆け寄り、傷を負った農夫の母親を抱きしめる。老人たちは薬草で煎じ薬を作り、女たちは布を裂いて包帯を編む。
皆が互いを労わり合う姿は、もはや「寄せ集め」ではなく「民」のそれだった。
アレンは剣を手入れしながら、焚き火越しにリディアへ言う。
「……勝ったな。信じられんことだが、俺たちは千の軍を退けた」
リディアは胸元のコンパスを握りしめ、静かに答えた。
「ええ。でも、これで終わりじゃない。王都は必ず、次の策を講じる」
一方、王都。
宮殿の謁見の間は、重苦しい沈黙に包まれていた。
「千の軍勢が……退けられただと?」
国王の声が震える。
膝をつく将軍は顔を上げられず、汗を滴らせていた。
「は、はい……辺境の村は罠と術を駆使し、兵を混乱させました。しかも彼らは寄せ集めとは思えぬほど結束しており……」
「黙れ!」
王太子アルベルトが怒声を放ち、玉座の間に響き渡る。
「追放された令嬢ごときに、王家の軍が敗北だと!? そんな恥辱があってたまるか!」
その隣でセリーヌは青ざめながらも、必死に微笑みを浮かべていた。
「殿下……あれは偶然にすぎません。次こそ必ず……」
「偶然だと?」
アルベルトの瞳に宿るのは怒りと恐怖。
「いや、あれは必然だ。リディア……あの女が真に“辺境の女王”となりつつあるのだ」
謁見の間を辞したセリーヌは、ひとり庭園で足を止めた。
月光が花々を照らし、その静けさは逆に彼女の心を苛んだ。
(どうして……どうして姉さまばかりが……)
婚約破棄の場で嗤った自分を思い出す。あの時はすべてを奪ったと思っていた。だが今――奪ったはずの姉が、誰よりも輝いている。
嫉妬、劣等感、そして恐怖。セリーヌの胸に渦巻く感情はもはや抑えきれなかった。
「……姉さま。もし本当に“国”を作ろうとしているなら……私は……」
言葉は夜風に溶け、誰の耳にも届かなかった。
再び辺境。
戦いを経て、村人たちは一層の団結を見せていた。子どもたちは見張り台で歌い、農夫たちは焼けた畑を耕し直す。
リディアは井戸の傍らで人々を見守りながら、深く息を吸った。
「皆が……強くなった。もう王都に怯える必要はない」
アレンが隣に立ち、低く笑う。
「王都が何を仕掛けてきても、俺たちは退ける。……だがリディア様、そろそろ名乗りを上げてもいいのではないか?」
「名乗り……?」
「ええ。この地の主として。人々はもうあなたを“辺境の女王”と呼んでいる」
リディアは驚き、そして笑った。
胸元のコンパスが微かに光り、彼女の決意を映していた。
「ならば、私たちは胸を張りましょう。ここは国。王都が認めなくとも、私たちが生きる場所を名乗るのです」
夜空の星が煌めき、辺境の地に新たな未来を照らした。