第11話「辺境防衛戦」
朝霧のなか、王都軍の列が街道を埋め尽くしていた。槍の穂先が林のように揺れ、盾を構えた兵が整然と進む。数は百を超え、さらに騎馬兵の姿もある。
土煙の奥に翻る旗は、かつてリディアが見上げた王都の紋章。
それを目にした村人たちの顔に恐怖が走った。
「落ち着け!」
アレンが剣を抜き、声を張り上げる。
「俺たちは退けぬ。背には家も畑も子どもたちもいるんだ!」
その言葉に震えは収まり、人々は槍や農具を握り直した。
村の入口には急ごしらえの木柵が築かれている。
オルグが土を盛り、子どもたちが石を山と積み、老人たちは薬草を煎じて戦傷に備えた。
ミラは弟を背に負いながらも石を抱え、カイルは木剣ではなく鍛え直した短槍を握っている。
「リディア様!」
カイルが叫ぶ。「怖いけど……でも、戦います!」
リディアは彼の肩に手を置き、真っ直ぐに見つめ返した。
「ありがとう。あなたたちがいるから、私は前を向ける」
胸元のコンパスを開き、呪句を口にする。淡い光が走り、大地の流れが彼女に伝わってきた。――水脈は村の東、風は南から吹き込んでいる。これを利用できる。
王都軍の指揮官が前へ進み出た。
鋼の鎧を纏い、傲慢に声を張り上げる。
「リディア=フォン=エルバート! 王命に背くかぎり、この地は反逆の巣だ。今すぐ降伏せよ!」
広場の視線がリディアに集まる。
彼女は一歩前に出て、澄んだ声で告げた。
「私はもう王家の婚約者ではない。家族からも追放された身。ここに集う人々は、行き場を失った者たちです。私たちはただ、生きるために耕し、家を作っただけ。――それを奪うというのなら、相応の覚悟をもって来なさい!」
その瞬間、王都軍が一斉に槍を構えた。
「進め!」
地鳴りのような足音が迫る。
「放てっ!」
アレンの号令で、村人たちが石を投げ、火矢を放った。
油を染み込ませた木片が火を上げ、敵の最前列に降り注ぐ。兵士たちは盾で防ぐが、思いのほか混乱が走った。
柵に取りつこうとした兵の足元が崩れる。
――リディアが仕掛けた罠だ。水脈を呼び出し、土をぬかるみに変えていた。兵は泥に足を取られ、次々と転倒する。
「いまだ! 押し返せ!」
アレンと若者たちが柵の隙間から槍を突き出し、混乱する兵を押し返した。
カイルも必死に槍を振るい、倒れかけた敵を弾き飛ばす。
だが、敵は数に勝る。
騎馬兵が回り込み、村の東側を突こうとした。
「リディア様!」
オルグの声に振り返り、リディアはコンパスを高く掲げる。
「風よ――!」
南から吹き込む風が強まり、火矢の炎を巻き上げて騎馬兵に襲いかかった。馬が悲鳴を上げ、兵は落馬する。混乱した騎兵隊は退き、東側は守られた。
だがそれでも、戦いは終わらない。
指揮官が叫ぶ。
「怯むな! 所詮は寄せ集めの村人だ! 突破しろ!」
兵士たちが再び押し寄せ、柵は軋みを上げる。村人の顔に絶望が浮かぶ。
「――諦めるな!」
リディアが叫んだ。
声は炎に負けず、戦場に響く。
「私たちは追放された。奪われた。けれど、ここでやっと居場所を得た! だから絶対に渡さない! ここは私たちの国の始まりよ!」
その言葉に村人たちの目が燃える。
カイルが槍を突き出し、ミラが石を投げ、老人たちすらも柵を支えた。
アレンは剣を振るい、突き進んだ兵を斬り伏せる。
「この村は、俺たちが守る!」
戦は膠着した。
百を超える兵が寄せては返し、村人たちは必死に押し返した。
やがて太陽が傾き、森に影が落ちる。
指揮官は苛立ちの声を上げた。
「……退け! 一度退け!」
兵士たちは撤退を始め、土煙を上げながら森へと消えていった。
村に残されたのは、息を荒げる人々の姿。
傷ついた者も多いが、死者はいなかった。
カイルが地面に座り込み、叫ぶ。
「勝った……勝ったんだ!」
歓声が広場に広がる。涙を流し、抱き合い、互いを称える。
リディアは胸元のコンパスを見つめ、静かに呟いた。
「これは……始まりにすぎない。王都は必ず、さらに大きな軍を送ってくる」
だが、その瞳には恐怖ではなく、強い光が宿っていた。
「それでも私は、絶対に守る。この村を、私たちの国を」
辺境の夜空に星が瞬き、村人たちの歓声を見守っていた。