第9話「君が、僕の“いちばんの推し”だから」
土曜の午後、少し曇り空。
悠真と美紅は、静かに並んで歩いていた。
向かう先は、都内某所にあるモデル業界の小さな展示会。
業界関係者だけが集まる非公開のイベントに、美紅がゲストとして呼ばれたのだった。
「緊張してる?」
「ううん。……でも、ちょっとだけ不安」
「……どうして?」
「こうして“既婚者モデル”って呼ばれるの、たぶん今日が初めてだから」
美紅は小さく笑って言った。
だがその笑顔の奥に、プロとしての覚悟と迷いが重なるのを、悠真は感じていた。
「俺、いても邪魔じゃない?」
「違うよ。悠真くんがいてくれるから、私はちゃんと立てるの」
そう言って、美紅はそっと手を握ってきた。
一瞬のぬくもりが、互いを支える合図になる。
展示会の控室では、すでにスタッフやメイク担当、スタイリストが出迎えてくれた。
「美紅ちゃん、今日の衣装はこれ。奥さんになったってことで、ちょっと大人っぽく仕上げてみたよ」
「わ、綺麗……ありがとうございます」
メイク中、美紅は鏡越しに悠真を見つめる。
「……見ててくれる?」
「もちろん。……世界で一番、見てる」
その言葉に、美紅の頬が、ほんのり赤くなった。
◇
展示会ステージ――
小さな会場に、温かいライトが注ぐ。
美紅が登壇した瞬間、拍手と共に会場が華やぐ。
だがその中で、質問タイムに入ると、ある関係者がマイクを持った。
「篠原さん。あえてお聞きしますが、“交際0日婚”を選んだ理由は?」
少し空気が張り詰めた。
カメラが向けられ、美紅は一瞬だけ視線を伏せた後、まっすぐ顔を上げる。
「……理由は、たったひとつです」
彼女の声は、澄んでいて強かった。
「私がずっと“誰かに見てほしい”って思っていたとき、その人は……一番そばで、私を見てくれたんです。嘘も偽りもなく、“私自身”を見てくれました。だから――」
その言葉に、会場が静かになる。
「だから私は、その人の隣で生きようと決めました。恋人としてではなく、最初から夫婦として――それが、私たちの形です」
壇上のスポットライトの下、誰よりも美しく見えたその姿に、悠真は胸が熱くなるのを感じた。
彼女はもう、ただの“推し”ではなかった。
大切な人であり、守るべき家族。
誰よりも、心から誇れる――妻だった。
◇
帰り道。
夜の街をふたりで歩きながら、悠真がふと口を開いた。
「ねえ、美紅」
「ん?」
「最初、君は“憧れの人”だったんだ」
「うん、知ってる」
「でも今は違う。……君は、**僕の“いちばんの推し”で、僕の一番大切な人”**だよ」
立ち止まった瞬間、街の灯りがふたりを包む。
美紅はそっと微笑み、そして――
「じゃあ、その“推し”から、ちょっとだけ特別なプレゼント」
そう言って、そっと腕を回し、唇を重ねた。
一度、二度、そして深く。
ふたりは誰にも気づかれない夜の街角で、静かにキスを交わした。
◇
その夜、瑞希が帰宅したふたりを出迎えた。
「どうだった? 展示会」
「……最高だった」
「ふぅん? ……じゃあさ、悠真?」
「な、なに」
瑞希がにやりと笑う。
「今でも、美紅のこと“推し”って思ってるの?」
「……うん。でも、俺の“嫁”でもあるし」
「へぇ、いいじゃん。推しが嫁って、人生大成功じゃん」
美紅は顔を真っ赤にして、口元を押さえながら微笑んだ。
推しと夫婦になった日常は、静かに、でも確実に幸せを積み重ねていた。
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