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いつもの通りシルヴィールと一緒に夕食をとっている。ルイナもここでの生活に随分慣れた。
シュトリアとは毎日会って、この世界のことや一般常識、勉学を教えて貰っている。おかげでシルヴィールとの話も弾むようになった。
そんな時だ。
「ルイナ、街に行かないか?」
シルヴィールから思いがけない提案をされて、手が止まる。
「街…ですか…?」
街というのはフィリオールのことだろうか。ルイナは久しく、人が集まるところに行っていない。母が生きていた頃は、年に数度街へ行っていたような気がするがそれももう覚えていない。
(…行ってみたい)
じわりと滲んだのは興味。久しく彼女に現れていなかったものだ。毎日本を読み、レティや
フォイ、ゲルドら龍騎士団の皆と話をして、ルイナは知らず知らずのうちに外というものに憧れを抱き始めていた。
「ご一緒…させてください…。」
ルイナに出来る返事の精一杯だ。ルイナの瞳に光が灯ったのをシルヴィールは見つめていた。
夕食を済ませた後も、シルヴィールとしばらく会話する。シルヴィールはルイナが街に興味を持ったのを察して、沢山フィリオールのことを話してくれた。
シルヴィールと別れてもふわりと浮いた気持ちは変わらない。ここへ来てからルイナは久しく忘れていた感情を思い出していた。
ふとチクリと胃のあたりが傷む。龍眼石のおかげで女神の力を失った後も体調は良い。小さな違和感はしばらくして消えた。
街へ行く日。ルイナは早朝に目が覚めた。窓から見える空が綺麗な色をしているのに心が踊る。
(私…本当に楽しみなのね…。)
楽しみにできたことが何よりも嬉しかった。朝食を済ませ、用意して貰った服を着る。
扉を叩く音がした。ルイナが扉を開けるとレティが立っている。
「ルイナ、お化粧しよっ。」
レティに促され、部屋のドレッサーの前に座る。レティは手際よくルイナに化粧を施し、真っ白な髪を編み込んだ。
ルイナは鏡に写った自分をまじまじと見る。ルイナの白い肌にはピンク色がのって、華やかだ。毎日しっかり手入れをしていたので髪には艶が出ている。
いつか見たあの小屋での自分姿とは違っていた。
(私…こんなに変わっていたのね…。)
なんだか不思議な気持ちになった。けれど振り返ればあの時のルイナが今のルイナをじっと見ている。取り繕ったところでルイナが変わった訳では無い。
沈んだ気持ちを振り払う。レティに心配をかけては駄目だ。
レティから帽子と鞄を受けとる。すると丁度よく扉を叩く音がした。
「ルイナ?準備は済んだか?」
「はっ、はい。」
急いで扉を開ける。シルヴィールはいつものかしこまった服装とは違い、砕けた格好をしていた。腰まで届く髪はひとつに結ばれ、金の瞳を目立たなくするため眼鏡をかけている。
シルヴィールの均衡の取れた美しさが際立っていた。
(…やっぱり、綺麗なひと。)
シルヴィールはルイナの出で立ちを見て微笑む。
「よく似合っている。綺麗だ。」
(綺麗なのは…貴方…。)
そう思ったけれど気恥しさは抜けない。照れによく似たこの感情はなんて言うのだろう。
レティに見送られ、街へ向かう。フィリオールの中心街は城からそう遠くはないそう。
はぐれないように握られた手はいつかの母のとは違いごつごつしていた。
歩いていると徐々に人が増え、いつのまにか目移りするくらいに沢山のお店が並んでいる。フィリオールの中心街は賑わっていた。
きょろきょろと辺りを見回す。映る何もかもが新鮮だった。
ふとシルヴィールを見る。優しい目をしていた。
(なんだか私、お上りさんみたい…。)
一気に恥ずかしくなって俯く。そんなルイナを見てシルヴィールは微笑んだ。
「そう恥ずかしがらなくてもいい。君の感じた気持ちを大事にしなさい。」
(感じた気持ちを大事に…。)
恥ずかしさは無くならなかったが素直に色々なものを見る。
ふと屋台の飴細工が目に入った。キラキラと光を反射するそれは可愛らしく描かれた龍の姿をしている。
じっと見ていると屋台の人が声をかけてきた。
「お嬢さん、これが気になるのかい?」
こくりと頷く。屋台の人の手招きに従って近づいた。
「綺麗だろう。これは昔俺を助けてくれた龍を模しているんだ。初めて見た時は驚いたよ。こんな美しくて可愛らしい生き物がいるのかと。」
可愛らしい、というのはルイナの知る龍の姿とはかけ離れている。それにまるで屋台の人は龍では無いような言い草だ。
すると奥から美しい女の人が出てきて、ぱしりと屋台の人の頭を叩いた。
「何が可愛らしい、だよ。あん時はお前さんは泣きながら逃げたじゃないか。」
「そうだったっけ?」
照れながら笑う屋台の人の指には女の人と同じ指輪が嵌っていた。ルイナの国には無いが他国には結婚すると揃いの指輪を送るという風習があるのを思い出す。
きっとこのふたりは夫婦なのだろう。
「2つくれ。」
「はいよ。50ペシルだよ。」
シルヴィールは硬貨を出す。女の人が私に飴細工を渡し、こっそりと囁いた。
「あんたは人間で、隣は龍だろ?色々大変だけど頑張りな。応援してるよ。」
ルイナがきょとんとするとまだ早かったかと女の人が笑う。シルヴィールはお礼を言って、ルイナの手を引いた。ルイナもぺこりとお辞儀をして屋台を後にする。
近くにあったベンチに座った。飴細工をひとつシルヴィールに渡して、もうひとつを口に含んだ。ほんのりと優しい甘さが口に広がる。
シルヴィールも飴細工を食べながら、ルイナの疑問に答えてくれた。
「君の思っている通り、彼は人間で彼女は龍だ。異種族同士で婚姻を結ぶこともある。」
「……人間もいるのですね…。」
てっきりいがみ合っているのだと思っていた。あれ程のことを人がしたのだから龍は人を恨んでいるのだと。
「皆一様な考えでは無いからな。人を憎む龍も居れば、愛する龍もいる。龍を恐れる人も居れば、慕う人もいる。それだけだ。」
ルイナはシルヴィールの方を見た。とても穏やかな顔をしている。
「私は、憎しみを、恐れを、少しでも減らしたいんだ。少しでも私達と彼等が共に居られるように。」
(争わずに居れる方法は……きっとあるんだね……。)
シルヴィールを見てそう思う。ルイナもこの龍の力になりたかった。
「…その、レオルドが言ったことは気にしないでくれ。彼も…色々あるんだ…。」
レオルド、前に会った赤髪の彼のことだろう。ルイナはふるふると首を振った。
「…彼は良いひとですよ…?」
「なぜそう思うんだ?君は…」
「…私個人を罵ることは…ありませんでした…。私を殴ることも……。それが悪い事だと分かっているのなら…いいひとです。」
レオルドは人間を良く思ってはいない。けれど良く思っていないから、罵っていいのだと、殴っていいのだとは思っていなかった。
ルイナが小屋にいた時も、ルイナを気味悪がりながらも誰かが殴るのを止めている人もいた。
恐れる気持ちが憎む気持ちが悪いのでは無く、それを理由に手を出すことが悪いのだとルイナは思う。
シルヴィールは目を見開いた。そして納得したように頷く。
「君の考えも一理あるな。私はそういう風に考えたことがなかった。参考になったよ。」
自分の考えを話して受け入れてもらった。ルイナの胸がほんのり暖かくなる。
「君は優しいのだな。」
「へっ!?」
いきなりの言葉に驚いて変な声が出る。ルイナは思わずシルヴィールを見た。
彼と目が、合う。
「君は誰かのことを思える。やはり優しい子だよ。」
シルヴィールの細まった目を見つめる。嬉しさと気恥しさとなんて呼んでいいのか分からない気持ちが溢れ出てくる。
(私…変だ…。)
言い表せない思いを持て余すが、ルイナはこれだけはシルヴィールに伝えねばと思った。
「…貴方の方が…優しい…です…。素敵です…。」
誰かのことを1番考えているのはシルヴィールだ。ルイナだけでなく、皆を想っている。誰もがシルヴィールを慕っていることなんて城に居れば直ぐにわかった。
(私…私…。)
何を言えばいいのか分からない。ただふと、この人の翳るところを見たくないと思う。
「…ありがとう。」
少し遅れた返事。ほんのりと紅く染まった頬。ルイナは何も言い返せない。
けれどシルヴィールは確かに見た。吹けば消えてしまいそうな、けれども泣きたくなるくらい確かに綺麗な微笑みを。
シルヴィールの胸に広がったのは今まで感じたことの無いものだった。歓喜、高揚、興奮、どれとも言い難い。
あえて名前をつけるのだとしたら、愛しさ、だろうか。
感じた甘さが飴細工のものだけではないのは確かだった。
ルイナとシルヴィールは飴細工を食べ終わり、ベンチから立ち上がる。自然と2人の手は繋がれた。
散策を再び開始して、ルイナの興味の赴くままに歩く。
ルイナの好きな本が沢山売っている書店に入ったり、変な骨董品が売られている場所へ行ったり、レストランに入り美味しいお昼を食べたり、服屋でお互いに似合いそうなものを探したり。
そうしているうちに日が傾いた来た。シルヴィールはこれで最後だとルイナの手を引いてある場所へ連れていった。
そこは大きな神殿だった。ルイナの知っているルシューシアを祀るための真っ白なものではなく、誰かの家のようなそんな暖かさを感じる建物。
神殿には龍神が祀られているのか所々に龍の像があった。
2人で歩いているとふと呼び止められる。
「シルヴィール様?」
今まで誰にも気づかれた事が無かったのは認識阻害の魔法をかけているのだとシルヴィールは言っていた。まさかそれがもう解けてしまったのだろうか。
「認識阻害なんて、高度な魔法ですね。ですがここでは魔法は効きませんよ。」
呼び止めた彼は神官の格好をしている。でもルシューシアの神殿の神官のような近寄り難さはなく柔らかな雰囲気をしていた。
「久しぶりだな。ヴェルヘム殿。」
「お久しぶりですね。御元気そうでなによりです。そちらのお方は?」
ヴェルヘムがルイナを見る。ルイナはぎこちなくカーテンシーをした。
「ルイナ…と申します。」
ミドルネームもファミリーネームも言わなかった。言いたくなかった。
「ご丁寧にありがとうございます。ルイナ嬢。わたくしはヴェルヘムと申します。」
ヴェルヘムはゆったりと礼をする。
「ルイナ嬢、申し訳ありませんが少々、君上を借りてもよろしいですか?」
どうやらヴェルヘムはシルヴィールに話があるようだ。申し訳なさげなシルヴィールをルイナはできるだけ大丈夫と伝える表情を作った。
「私…大丈夫…ですから…。」
「…分かった。ここは自由に見てもらって構わないから。私はヴェルヘムと応接室に居る。」
「困ったら他の神官に聞いてくださいね。」
ルイナはこくりと頷く。ヴェルヘムとシルヴィールは何か真剣に話しながら、応接室へ向かい、ルイナは1人になった。
くっと何かに引っ張られる感覚がする。引き寄せられるままルイナは神殿の奥へ奥へと歩いて行った。どんどんすれ違う人が少なくなり、ついに誰もいなくなる。
ふと気がつくとルイナは祭壇の前にいた。祭壇と言っても、ルシューシアの神殿のような像はなく、誰かが座る様の大理石で出来た椅子があった。
その奥にカーテンで隠された部屋がある。ふわりとどこからか風が入りカーテンを揺らす。導かれるようにルイナはその部屋の中に入った。
薄暗いその部屋には1枚の絵が掛かっている。
どこかシルヴィールの面影がある凛々しい男の人と、寄り添うように立っている綺麗な女性。
どくんどくんと心臓が高鳴った。カーテンが揺れて光が差し込む。
女の人は全身真っ白で、だけど目だけ真っ赤だ。優しそうに微笑んでいる。
(…誰…?)
1歩、また1歩と絵に近づく。その絵にそっと触れようとしたその時、こつんと足に何かが当たった。途端に意識が引き戻される。
「何…これ…。」
拾い上げて見るとそれは水晶のような透明な石だった。普通こんなところに石なんて落ちているはずがない。どうしようかと迷い、そっと懐にしまう。
なんだか持っていくべきな気がした。
カーテンの隙間から差し込む光が青白い。もう夜だ。きっとシルヴィールが探しているに違いない。ルイナは慌ててその場を後にした。
ルイナがきょろきょろと辺りを見回しながら歩いていると反対側に見知った顔立ちが見えた。
「シルヴィール様…!」
「ルイナ…。よかった…見つかって…。」
シルヴィールは安心したように微笑む。あとからヴェルヘムさんが来て良かったと肩を撫で下ろした。
「心配かけて…ごめんなさい…。」
「いいんだ。それより君はどこへ行っていたんだ?」
ルイナは先程あったことをしどろもどろに説明する。そしてそこで拾った綺麗な石を見せた。
ヴェルヘムさんは興味深そうにそれに触ろうとして辞める。そしてこう言った。
「貴女が持っていた方がいいですね。」
シルヴィールもルイナもこの石がなんなのかは教えて貰えなかった。
いつも通りにシルヴィールと夕食をとり、部屋へ帰ろうとすると、シルヴィールに呼び止められた。
「君にこれを。」
そう言ってシルヴィールはルイナの手に髪紐を乗せる。
(髪紐…綺麗な色…。)
金糸と紅糸が編み込まれている。ルイナの白い髪に良く映えそうだ。
「ここでは出会いに感謝する時にお互いの色が入った髪紐を送るんだ。この縁がこれからも続くようにと。」
シルヴィールは笑みを浮かべて言う。
「ルイナ、私と出会ってくれてありがとう。君に出会えて良かった。」
「ありがとう…ございます…。」
できる限り精一杯嬉しさが伝わるようにと思う。それくらいルイナにとってシルヴィールの言葉はかけがえなく偽りのないものに思えた。