第97話 ミリカの策略
ど、どうしてだ…………
どうして俺はこんな場所にいるんだ…………
活気が溢れる店の中、俺たちはテーブルを囲んでいる。
「定員さーん。飲酒水三杯お願〜い」
「はーい。少々お待ちを〜」
「おい、マリー……てめぇ飲み過ぎじゃねえか?」
「えっ? カルロス。あんた全然飲んでなくない? ぷぷぷっ。真槍のカルロスさんがお酒に弱いなんて……ぷぷっ」
「はっ? おい! 飲酒水追加四杯だ!」
「はーい。少々お待ちを〜」
ニヤニヤとしているマリーに向けて、瞳をぎらつかせながら睨んでいるカルロス。
俺の隣では、レティナとミリカがちょびちょびと飲酒水を飲んでいる。
こうなった経緯は二時間前に遡る。
フェルとポーラと別れてから、宿屋に着いた俺はすぐにみんなを集めようとした。
だが、おじさんとの話が長引いているのか、誰一人として宿屋には帰っておらず、俺はおじさんから真実を聞く方法を自分一人で考えたのち、いつの間にかベッドで寝てしまっていた。
そのまま一時間と少し経ってから、俺が気持ちよく寝ていたところをレティナが起こしに来てくれた。
ここまではいい。
いざ<魔の刻>の会議を始めようと意識を切り替えた後が問題だ。
問題となった発言をしたのは、今、目の前で飲酒水の一気飲みをしている彼女。
「ぷはぁ。カルロスあんたやるじゃない」
「う、うっせえ。まだまだだっつーの」
「いいわね〜。そういうところ好きよ」
「ちっ。今に見てろ。一時間後に地べたで寝ているのはてめぇだ!」
ギリっと鋭い目を光らせて飲酒水をぐびくびと飲むカルロスの前に、店員さんが追加の飲酒水を運んでくる。
「はいお待たせしました。飲酒水三杯と……はい! 四杯の計七杯ね」
「ありがとー」
「……」
カルロス……また来世でな。
(久々にみんなでお酒を飲みに行きましょ?)
あの唐突な発言さえなかったら、このような事態は免れたはずなのに……
俺はカルロスたちをちらりと見ながらレティナとミリカの三人で、飲酒水の飲み合いに巻き込まれないようにちびちびと飲んでいる。
げっ……やっぱ不味い。
「レンくん、レンくん」
苦虫を噛み潰したような顔をする俺に、レティナ耳元で囁く。
「ん? どうしたの?」
「あのね……? このお酒が甘くなる調味料があるんだけど……」
「え? ほんと??」
「うん。レンくんあんまりお酒好きじゃないから……ほらこれ」
レティナが魔法鞄から青い液体が入った小瓶を出して、俺の手のひらに乗せる。
「一滴でいいからね。いっぱい入れちゃうと甘すぎるから」
ニコッと可愛く微笑むレティナ。
この子はやはり天使だ。
今すぐ抱きしめたい気持ちを抑えて、俺はマリーにばれないようひっそりと小瓶を開けようとした。
すると、
「ごしゅじん」
今度は左から小声が聞こえて、俺は耳を傾ける。
「どうした? ミリカ」
「ごしゅじん。お酒嫌い。知ってる。これ」
「えっ?」
ミリカが魔法鞄から、レティナが渡してくれた小瓶と、同じような青い液体が入っている小瓶を出し、手のひらに乗せてくれる。
「一滴。でいい。それ以上は危険」
「き、危険?」
「き、危険じゃない。でも、一滴。だけ」
そのまま無表情を取り繕ったミリカはお酒を再び飲み始める。
表情はいつも通りのミリカだが、何故か違和感しか感じない。
俺がじーっとミリカを見つめると、ミリカは俺と視線を合わせることなく、少し動揺した様子で食事を取り始めた。
うん。これは碌でもない物だ。
絶対に入れないようにしよう。
右手に乗っている二つの小瓶の右側がレティナのだ。レティナは絶対に何も企んではいないはず。
俺は慎重にレティナの小瓶を掴もうとした。
その時であった。
手のひらに乗せてあった二つの小瓶が突然消える。
「……あの……マリーさん?」
「なにこれ。こんなのお酒に入れてどうしたいの? レオンちゃん」
ぷらぷらと小瓶を揺らすマリー。
「い、いや? 別にどうもしないけど……」
「まさか……私と一緒に飲めなくて、こんな物で遊ぼうとしてたってわけじゃないわよね?」
「そ、そんなわけないじゃないか。ほらっ美味しい美味しい」
俺はマリーが見ている前で、飲酒水を飲み干す。
くっ。不味すぎる。
早くレティナが用意してくれた小瓶を取り返さなきゃ。
「おっ、いい飲みっぷりね。店員さーん。飲酒水二杯追加でー」
「はーい。少々お待ちを〜」
くそっ。この酒豪が。
「マ、マリーそれ返してくれる?」
「あっ、ごめんごめん。でも……まだ飲めるわよね?」
「も、もちろんさ」
「じゃあ、はーい」
俺が差し出した手のひらにマリーは二つの小瓶を乗っける。
はぁ、良かったぁ……これで……
心の底から安堵した俺は、レティナがくれた小瓶を選ぼうとした。
が、
……こ、これどっちがレティナので、どっちがミリカの!?
瓜二つの小瓶を見た俺は、すぐにレティナの肩をぽんぽんと叩く。
「どうしたの? レンくん」
「あ、あのさ……」
手をレティナの耳に近づけて、マリーに気づかれないように小声で囁く。
「レティナがくれたこれって……何か匂いとかある?」
「え? 無いよ?」
「あー、なるほどね。分かった。ありがと」
これは詰んだ。
指先で二つの小瓶を掴み、光に当てて見比べても違いは分からない。
「……ミリカ」
「……」
「ミリカ……聞こえてるよね?」
「なに」
「これ何が入ってるの」
「甘くなる」
「嘘だよね?」
「……あ、あ、甘くなるもの。ほんと」
「なるほどね……」
口を割ることはないか……
俺は顎を触って思考に耽る。
一つはお酒が甘くなる小瓶
一つは何が起きるか分からない劇薬。
甘くなる小瓶を当てれるのは半々である。
考えろ。
レオン・レインフィールド。
俺は幾つもの山場を超えてきた男だ。
レティナの優しさが追加されている状況で外すわけがない。
「はいよー。飲酒水二杯ね」
「ありがとう。追加で飲酒水六杯ね。はいこれレオンちゃんの。カルロスいけるわよね?」
「あ、当たりめえだっつーの」
「さっすがー」
どかっと俺の目の前に二杯の飲酒水が置かれる。
酔ってはいないはずなのだが、目の前にあるお酒を見ると思わず吐き気を催す。
ちっ。こうなればやけくそだ。
どうせ俺には耐性がついてるし、毒でも麻痺でもなんでも来い!
手の中で二つの小瓶をよく回し、一つの小瓶に決める。
神様はいるはずだ。
どうか俺にご加護を……
小瓶の蓋を取り、一滴飲酒水の中に入れる。
「甘くならなかったら、もう一滴入れたほうがいいよ」
ありがとう……レティナ。
微笑むレティナに心の中で感謝を述べつつ、思い切って飲酒水を飲む。
ごくごくと冷たい飲酒水が胃の中に入っていくのを感じながら、俺はその一杯を飲み干した。
すると、隣にいたミリカが突然俺の頬を両手で掴み、ぐいっと顔を近づけた。
「おおー! レオンちゃんいい飲みっぷり」
「やるじゃねえか」
「甘くなったんだね。良かったぁ」
……みんなが何かを言っている。
だが、そんなものどうでもいい。
な、なんだ……?
ミリカって、こんなに……こんなに可愛かったっけ?
くりっとした瞳で俺を見つめるミリカに、心臓が高鳴っていく。
「……ごしゅじん?」
「ミリカっ……何かした?」
「っ」
「今日すごく可愛いんだけど」
「っ!!」
シーンと静まり返る俺たちのテーブル。
視線が俺に集まってるのを感じる。
だが……
俺はそんな些細なことを気にせずに、ミリカを抱きしめた。
「きゃっ。ご、ごしゅじん」
「くそっ。今になって腹立たしい。ミリカを育てた奴らにもっともっと地獄を見せれば良かった。こんな可愛いミリカになんてことしやがる」
沸々と黒い感情が生まれる中、胸の中で上目遣いに見上げているミリカを見つめると、その黒い感情はすぅとどこかへ消え去った。
「ミ〜リ〜カ〜ちゃ〜ん? どういうこと〜?」
「し、知らない」
「……ねぇ。レオンちゃん。自分が何を言ってるのか分かる?」
「マリー。そんなに殺気を放つなよ。ミリカが怯えちゃうだろ」
「すげぇな。ミリカお前何したんだ?」
「……ミ、ミリカ。知らない」
レティナとマリーが殺気を放つ。
ちっ。
完全にミリカが怯えている。
俺は殺気を浴びて不安そうな顔のミリカを安心させる為、抱きしめたまま頭を撫でる。
「大丈夫だ、ミリカ。俺がお前を守ってやる」
「ほんと?」
「当たり前だろ? レティナとマリーの二人は手強いけど……俺が本気で戦えばなんてことない」
「ごしゅじん。かっこいい。やっぱり最強」
褒められるのは嬉しいな。
でも、なんでだろ。
さっきから頭がぽわぽわする。
「ふ〜ん。レンくんは私のことなんてどうでもいいんだ?」
「まぁね。どうでもいいよレティナなんて」
「……ぇ」
何を驚いているのだろう。
目を見開いたレティナは俺を見つめたまま、微動だにしない。
「おい、ミリカ。さすがにこれはやりすぎじゃねぇか?」
「……」
「はぁ……レティナ本気で考えないで……って、なんで泣いてるの!? ほ、ほらこれで涙拭って! ……ミリカ。あんた」
「ご、ごめんなさい」
レティナの大きな瞳から零れ落ちる涙。
俺はミリカを見たいのに、その瞳から視線を外せない。
高鳴る鼓動はいつの間にか収まり、代わりにズキズキと痛むようになっていた。
「……レティナ」
「……っ……うっ……」
マリーのハンカチも受け取ろうとしないレティナは、俺を見つめて大粒の涙を流していた。
ぽわぽわとした頭が次第に冷静になっていくのを感じた俺は、濡れているレティナの頬を手の甲で拭う。
「……レティナごめん。どうかしちゃってた。どうでもいいなんて……思ってない」
「……っ……うっ……ぅっ」
「ほんとにごめん。もう泣かないで。あと……ミリカ」
「っ」
「後で……お説教ね?」
「……っうっ……う、うわぁぁぁぁんん」
その後はもう散々だった。
大泣きしたミリカを止めれる者はおらず、他の客が俺たちを訝しげに見つめていたが、気づかない振りをしてその場をやり過ごした。
泣かせてしまったレティナに関しては、俺の胸に顔をうずめたことで、段々と落ち着きを取り戻したのだが、普段飲まないお酒によってすぐに眠ってしまい、宿屋についても目を覚ますことはなかった。
カルロスとマリーの二人は、そんな俺たちを見ながらやれやれといった様子で残りの飲酒水を飲み干し、一人泣いているミリカの側に寄って慰めていた。
そんなこんなで宿屋へと無事に帰った後は、ミリカにお説教をしようと思っていた俺だったが、まだ嗚咽しているミリカにお説教などできるわけもなく、何の液体であったのかだけ聞いた。
ミリカ曰く、最初に目線が合った人物を好きになる薬であったらしく、それは魅了魔法とは少し違う効果だと言っていた。
怪しい店で買ったというその薬を使った理由としては、最近俺があまり構ってくれないのを寂しく思ったようで、
「ごしゅ……っじん。たまに……っは。ミリカの相手……っしてほしい」
と涙きじゃぐりながらに話していた。
確かにルナやゼオが来てから、ミリカと話す機会は減っていた。
ミリカが寂しい気持ちを抱いていたことなんて微塵も気づかなかった俺は、ミリカとデートすることを約束して、その日はお開きになった。
なんだかんだで息抜きになった俺だったが、唯一心残りがあった。
それは、一番重要なおじさんの話だ。
ただ、今日話してもレティナは寝ている為、フェルとポーラの二人と会う昼までには、<魔の刻>の会議を開こうと決意して俺は眠りにつくのであった。




