第94話 絵本
あれから数十分程が経ち、身支度を整えた俺たちは三人で城へと向かう為、宿屋を後にした。
幸運なことに先程まで激しく降り続いていた雨は、勢いが弱くなり小雨となっていた。
まだ会えるかどうかも分からないマーゼ王妃に、何から質問をしようかと考えながら、街の中を歩く。
すると、
ぐぎゅぅぅぅ
隣から大きく鳴った音に俺はその場で立ち止まり、視線を落とす。
すると、隣に居たフェルはお腹を押さえて俺を見上げていた。
「レ、レオン様。ど、どうしたのじゃ?」
「いや、お腹が……」
「き、聞き間違いなのじゃ。うちはお腹なんてちっとも空いてないのじゃ」
「あ、あぁ。そう」
ふむ。
まぁフェルがそう言うなら聞かなかったことにしよう。
俺は再び歩き出す。
ぐぎゅぅぅ
「……」
「……」
ぐぎゅぅぅ
「……」
「……」
ぐぎゅるるるぅぅぅぅ
「よしっ。何か食べていこうか」
「えっ!?」
聞いてないふりをするのはもう限界だった。
数秒経つごとに、フェルのお腹がまるで助けを求めるように悲鳴を上げているのだ。
その度にお腹を抑えるフェルを見ていると、なんだか意地悪しているような気分になる。
ポーラも賛成なのか、手をぱんっと打つ。
「そうですね〜。じゃあ〜すぐそこにある露店で~何か買っていきましょう〜」
「で、でも……」
きっとフェルはマーゼ王妃から逸早く話を聞きたいのだろう。
だが、今は……
「フェル。母さんが教えてくれたんだけど、お腹が空いては戦はできぬって言葉があるんだ。大事な話になるかもしれないのに、お腹が減って集中できなかったら元も子もないだろ?」
「むむぅ。確かに……なら、分かったのじゃ。レオン様の言うことは間違いなしなのじゃから」
「そうですね〜」
頷いたポーラは少しだけ歩く速度を早めて、露店に向う。
俺とフェルがその後ろを付いていくと、ポーラは立て看板に〈ホットドッグ 小銅貨五枚〉と書いてある露店の前で立ち止まった。
「ここにしましょう〜。これなら食べ歩きできますから〜」
「そうだね。じゃあ、おばちゃんホットドッグ三つお願い」
「はいよ〜。ホットドッグ三つね。少し待っておくれ」
「あっ、うちトッピングは目玉焼きがいいのじゃ」
「はいよ〜」
注文を受けたおばちゃんは鉄板の上にソーセージを三つ乗せて、目の前で焼いて見せる。
ジュゥゥっと焼かれるソーセージからは、香ばしい香りが鼻腔を抜けて肺の中へと突入する。
その香りに思わず唾を飲み込んだ俺は、今か今かとできあがるのを待った。
「あれ? レオンちゃん?」
「……え?」
聞き慣れたその声に振り向くと、そこには外套のフードから顔を出すマリーが居た。
マリーの目線は俺の顔から隣に居るフェルとポーラへと移る。
その瞬間、明らからに不機嫌そうな顔をしたマリーは、ぐいっと顔を近づけた。
「……ねぇ、レオンちゃん。なんでフェルとポーラがいるの?」
「あ、あのマリー。ちょっ、ちょっと近い」
「まさか……デートかしら……?」
「い、いや違うよ。とりあえず、この距離はまずいって……みんな見てるから」
通りすがる人たちは俺とマリーを見て、目を合わさないように立ち去っていく。
両隣にはフェルとポーラ。
そして、不機嫌な顔をしているマリー。
側から見れば修羅場のように見えるかもしれない。
そう思った俺は一旦、マリーの肩を掴み距離を取る。
「じゃあ、何? 今日はエルフの奴隷解放で何かをするために、城にいるんじゃなかった?」
「あれはもう終わったんだ。今はお腹が減ったから、何か食べていこうかって話でここに居るだけ」
「へぇ〜? それほんと?」
マリーが冷めた口調でフェルとポーラに目線を送る。
「ほ、ほんとなのじゃ」
「はい〜」
じーっと二人の顔を見たマリーは顎に手を当てた後、再び口を開く。
「ふ〜ん。でも、不思議ね。城では何も食べず、ここで昼食を食べる。食べた後は?」
「……また城に戻る」
「うん、おかしいわね?」
まぁ、この話だけ聞けばそう思うのも無理はない。
普通なら城の中で昼食を取るもしくは、城付近の店で昼食を取るだろう。
だが、ここは城から少し離れていた。
わざわざ城から離れた店で、どこにでもあるホットドッグを買う必要はないのだ。
なので、何故こんな所に俺たちが居るのかと疑いたくなるマリーの気持ちも分かるが……
「あんたらホットドッグ三つできたよ。代金は銅貨一枚と小銅貨六枚ね。それと、痴話喧嘩ならよそでやっておくれ」
「あっ、すみません。じゃあ、これで」
魔法鞄から代金をきっちり渡すと、ホットドッグを受け取りその露店から少し離れる。
「とりあえず、マリー。まだ宿屋にレティナたちが居るだろうから、そこで詳しい話を聞いてくれない? ここは人が多すぎる」
「……訳ありってこと?」
「うん。少し急いでるんだ」
「それって……どういう急ぎかしら?」
「ええっと……簡潔に言うなら重要な話を聞きに行くって感じかな」
マリーは怪訝そうな表情を浮かべて、俺を見つめる。
内容を大雑把に伝えすぎたせいか、マリーはまだ納得できていない様子だった。
もしも城に俺以外の人が入れると言うならば、マリーも連れて行き、そこで詳細な内容を伝えればいいのだが、そんな事はもちろんできない。
すると、小さな口でホットドッグを食べていたフェルが、ゴクリとそれを飲み込んだ後、口を開いた。
「マリー様。うちたちはデートなんてしてないのじゃ」
「そうですよ〜。レティナさんたちから聞けば分かるんですけど〜私たちの大事な話で〜レオンさんを貸してもらってるんです〜」
「……フェルとポーラの話?」
「そうなのじゃ」
「……」
マリーは再び顎に手を当て、何かを考え込んでいる。
いや……そもそも待って?
……そんなに俺って信頼ない?
<魔の刻>のメンバー以外とデートしたのって、シャルくらいだよ?
考え込んでいるマリーの姿に、俺は思わず肩を落とす。
「レ、レオンちゃん。どうしたの?」
「いや……その……なんでもないよ」
「ごめんって。そんなあからさまにがっくりしないで? まぁ……うん。とりあえず分かったわ。宿屋に戻ればレティナたちが居るのよね?」
「そう。もしいなかったらボロ屋にいるおじさんの所へ行ってると思うよ」
「は〜い。じゃあ、レティナたちに色々聞いてくるから、レオンちゃんまたね」
何事も無かったかのように手を振ったマリーはそのまま歩き出す。
俺はそんなマリーをなんとも言えない気持ちで見送った。
「レオン様も大変じゃな……」
「……そうか。フェルも分かってくれるか」
「うんうん」
「まぁ〜レオンさんが〜曖昧な態度を取るのが良くないと思いますけどね〜」
「え?」
「だって〜レオンさんってレティナさんがいるのに〜みんなに優しいじゃないですか〜?」
「……」
そんなこと言われても困る。
マリーは俺の大切な仲間なのだ。
冷たい態度で距離を取るなんてことはしたくないし、俺の人生の中で今後するつもりもない。
ポーラの言葉にぐぅの音も出ない俺は、手に持っていたホットドッグを勢いよく頬張るのであった。
「レオン様〜やはりマーゼちゃんは忙しいみたいなのじゃ」
「そっかぁ」
城に辿り着いた俺はフェルとポーラの部屋に案内されていた。
「後、二時間くらいで~時間が空くとは聞いたんですけど~」
「あー、ならそれまで待つか」
「分かりました~。では、そう伝えてきます~。フェルちゃん行こ~」
ポーラはフェルの手を取り再び出ていく。
ひとりぼっちになった俺は退屈しのぎに、ぎっしりと本が詰まった本棚を眺めた。
初級魔法。中級魔法。上級魔法。
流石は王国に庇護されている魔術師だ。
俺が見たこともない魔術書が沢山ある。
上級魔法の一冊を手に取ってパラパラとページを捲る。
見たこともない魔術書といっても内容は俺の知っている魔法が載ってるだけで、特別珍しい魔法などはいくら探しても見つからなかった。
「可変魔法の古文書は……」
ずらっと並ぶ本を上から順に目で追う。
すると、一冊の本が目に止まった。
「……絵本?」
<お姫様とお父さん>というタイトルの絵本を手に取り、表紙を見る。
満面の笑顔でお父さんに抱きつくお姫様の絵がそこには描かれており、本棚の中にある他の本と違って使い古され、シミが所々に滲んでいた。
俺は好奇心の赴くままにその絵本のページを開く。
(お姫様はイタズラとお父さんが大好きです。いつもお父さんに甘えるお姫様は、今日もイタズラを仕掛けます……)
そんな内容の絵本は、見ていてとても微笑ましいものであった。
お姫様がお父さんにイタズラを仕掛けて、そのイタズラに気づいているお父さんはわざと引っかかる。
そんなお父さんを見たお姫様は 「今日もうちの勝ちじゃ〜」 と胸を張るのだ。
……言葉遣いがフェルに似ているな。
そう思いながら読み進める。
絵本の最後のページを読み終えた時、
「うちそれが好きなのじゃ」
突然喋り掛けられ、俺は思わずビクリと反応する。
「ふふっ。レオン様がびっくりしたのじゃ」
「そうだね〜」
「え、絵本に夢中で全然気づかなかったよ」
いつの間に扉を開けたのだろうか。
開けたまま立ち止まっていたフェルとポーラは、俺の反応にくすくすと笑い、扉を閉める。
「その絵本〜昔からフェルちゃんが好きだったね〜」
「うん。この絵本を読むと……なんだかぽかぽかするのじゃ」
「これだけ汚れていてさ……少し気になっちゃって。勝手に読んじゃってごめん」
「いや、別に見られても困るものはないのじゃ。困るものがあったら、そもそもこの部屋にレオン様を案内しないのじゃから」
「そっか。それなら良かった」
俺は絵本をゆっくりと閉じる。
この絵本を見て一つだけ気になることがあった。
「もしかしてだけど……この絵本もおじさんのじゃないかな?」
「えっ?」
「だって、これだけ他と違って明らかに別の場所から持ってきたみたいだし、何よりお姫様の言葉遣いがフェルにそっくりだ」
「流石レオンさんですね〜」
ポーラが一歩近寄り、俺の手に持っていた本を取って胸に抱く。
「これはですね〜。昔お父さんに読み聞かせてもらったものなんです〜」
「そ、そうじゃったのか?」
「そうだよ〜。まぁ、さっき思い出したことなんだけどね〜」
目を瞑って本を優しく抱きしめるポーラ。
そんなポーラに、フェルは真剣な表情をして口を開いた。
「もっと教えてほしいのじゃ……お父さんのこと」
「いいよ〜」
絨毯の上に腰を下ろしたポーラに続いて、俺とフェルも腰を下ろす。
それからマーゼ王妃を待つ二時間の間、覚えている限りのことを話すポーラに、フェルはキラキラした瞳で耳を傾けるのであった。




