第73話 説得
死屍累々としたこの場所にまるで花が咲いたようにほころぶ彼女は、愛刀の太刀で俺の剣を抑えていた。
「……なに? マリー。邪魔だよ」
(殺せ。殺せ。殺せ。)
黒い感情がなおも俺に叫び続ける。
「邪魔って……レオンちゃん。しっかりして?」
「はぁ、マリーそこどいて。斬れないでしょ」
「どかないわよ? これ以上は……斬らせないから。貴方もさっさと立ち上がってくれない? 守るの大変なんだから」
何を言ってる???
まもる……? 守る? 護る?
…………………………誰を?
「あ、ああ」
大男は立ち上がり、そのまま苦しそうな表情で仲間の元へと歩きだす。
「行かせないよ」
横を通り過ぎようとしたそいつの首元目掛けて、俺は剣を突き立てた。
しかし、キンッと高い音が鳴り、再び俺の剣がマリーの太刀によって防がれる。
「どういうこと? 理解できないんだけど」
「ん~」
「マリー……教えたよね? 罪人は処理するべきだよって。命乞いをしたから許すなんて間違ってるよね?」
「…………うん。確かに」
少し間があるその言葉に俺は少し安心する。
これで…………
「じゃあ、どいて」
「嫌よ?」
???
まるで会話にならないマリーに対して、少しだけ苛立ちが募る。
マリーから視線を外し大男を横目で見ると、逃げ出す気がないのか仲間と共に身を寄せ合っていた。
くだらない。
自分の命が脅かされたら許しを乞う。
でも、他人の命は今までごみのように扱っていたはずだ。
そう考えただけで沸々と黒い感情が湧き上がった。
「マリー……どいて」
「嫌」
「……あいつらは人を大勢殺した。善人を喰いものにしたんだ。この意味分かるよね?」
「えぇ。分かるわ」
「じゃあーー「嫌よ」
マリーの拒絶の意思に思わずたじろいでしまう。
マリーが俺の意見をここまで聞かないことなどそうそうない。
どいてと言われればどくし、殺れと言われれば殺ってくれる。
それも今回は罪を犯している罪人だ。
マリーが守る必要性のない……ごみくずたちなのに。
黒い感情が俺の動揺と共にピタッと止まったのを感じた。
「……マリー?」
マリーの様子は明らかに変であった。
名を呼んだことでマリーの瞳がじわっと湿っていく。
どうして……?
冷静になって見ると、マリーの身体は小刻みに震えており、それは俺の剣と彼女の太刀を通して伝わってきていた。
そして、マリーの瞳から見るに耐えない涙が頬を伝った。
「……レオンっちゃん。もう……止めましょ?」
「……なん……で」
「昔のっ……レオンちゃんにっ……戻ってよ」
昔の……俺……?
マリーの瞳から流れる涙が俺の心を浄化していく。
「……それって、どういう……」
「レ……っオンちゃんは……命乞いをしている人間のことっ……斬ら……っなかったわ」
……知らない。
そんな俺は知らない。
俺は昔から変わっていない筈だ。
罪人は例外なく処理すること。
罪を犯した者が許しを乞いても、襲いかかって来ても今まで全員処理してきた。
だって、それで許されるなら被害者が報われないから。
それはミリカにも教えたことで、もちろん<魔の刻>のみんなにも……
あれ。
いつ言ったっけ。
「す、すまなかった。俺たちはちゃんと償いを受ける。だから、もう許してくれ」
山賊たちは俺に向けて地面に頭を付けている。
同情はするが、今まで行ってきた非道を考えれば許されざる者たちだ。
なのに……
「レオンちゃん……っ戻って」
すぅと黒い感情が消え去っていく。
剣を握っている力を緩めて、マリーの太刀からゆっくりと離す。
凛とした綺麗な顔が今は涙によって崩れている。
俺が……泣かせたんだ。
その様子を見て、胸にズキっと痛みが走った。
「ごめんっ……マリー」
謝っても胸の痛みは消えない。
マリーは理性が戻った俺の胸目掛けて飛び込んでくる。
「レオンっちゃん」
「ごめんマリー。ほんとに……ごめんね」
マリーは血だらけな俺に一切躊躇することなく顔をうずめて、声を押し殺しながら泣いていた。
俺はそんなマリーが泣き止むまで背中をさする。
マリーが泣いたのはこれで二度目。
最初の涙はもう六年前の話になるだろう。
「ねぇねぇ、レンくん。なんか噂になっている強い人が居るらしいよ。それもなんと二人も!」
随分大雑把な表現で話したレティナを今でも覚えている。
その頃はまだ冒険者にもなっていない頃だった。
「へぇ。是非とも手合わせ願いたいものだね。それで、人格が良ければ仲間にしよう」
「うん……まぁ、一人は女の子なんだけどね」
「な、なるほど」
そんな話をして、安い宿屋に泊まる。
冒険者パーティーは基本五人で組むということを知った俺は、王都ラードで強い仲間を求めていた。
よし、まずは会いに行こう。
何処の誰かも全く知らないけれど、とりあえずは手合わせをしてみたい。
そんな思いで俺はまずその女の子を探すことにした。
「あっ、君がマリー・ライネッド?」
「……誰? 貴方たち」
「あぁ、ごめん。自己紹介から先か……俺はレオン。こっちはレティナ。それで、単刀直入に言うけど俺のパーティーに入ってくれない?」
初対面であまりにも無礼な対応に、マリーは眉を顰めた。
「嫌よ。他あたって」
「ん~、そう言われても引き下がれないな……だって、君すごく強いでしょ?」
その頃から闘気が抑制できていたマリーは、俺の言葉に目を見開いていた。
そして、ふっと軽く笑う。
「……じゃあ、私に勝てたらいいわよ」
「えっ!? ほんと!?」
「ちょ、ちょっとレンくん?」
王都で強いと噂されているマリー・ライネッド。
ただ、そんな彼女も俺と同じように冒険者ではなかった。
どうやって噂になったのか定かではなかったが、そんなこと正直どうでもよかった。
「はぁ……はぁ…………はぁ」
「はい。じゃあ、仲間になってね」
「な……に……その魔法……はぁ……はぁ」
「ん? ……あぁ。この魔法は闇魔法だよ」
俺は手に持っていた剣を異空間に入れる。
「……えっ?」
「レ、レンくん!」
闇魔法は禁忌。それを警備隊やギルドに知れ渡れば牢獄行きを意味する。
「……はぁ……それを言って……私が報告しないと思ってるの?」
「うん。もちろんだよ」
「……なんで」
「ん~、勘かな? それに仲間になるんだから隠し事はしたくないし」
息を整え始めたマリーはすっと立ち上がり、俺を見つめる。
その瞳は陰りを帯びており、誰も信用しない。誰も信用をしてはいけない、と、そんな呪いがかけられているようだった。
「……私は……」
「うん」
「……仲間にはならないわ。じゃあね」
「え~。約束と違うんだけど……」
俺の言葉を待たず、すたすたと歩きだすマリー。
レティナもマリーが拒絶していることを察したのか、ぼそっと呟いた。
「レンくん……これは流石に……」
その日から俺たちはマリーの冒険に毎日付いて行った。
「ねぇ……毎日毎日目障りなんだけど」
「マリーあれ見て? なんの果物かな? 食べれると思う?」
「レンくん。あれは食べれないよ? すっごく不味いの」
「へー。レティナは賢いね」
「えへへ」
「………………はぁ。こんなにしつこいとは思っても見なかったわ」
マリーは頭を抱えてガクッと肩を落としていた。
そう。
マリーと一緒に冒険に出れた理由は、あの戦いの後、堂々と後ろを付いて行ったからだ。
マリーも気にしていないようだったし、仲間になるにはまず心の距離を近づけないといけない。
そう感じた俺はレティナと二人で、朝早くにマリーの宿屋前で待機するのが日課になった。
雨の日も風の日も晴れの日も。
レティナと………………二人だけで。
「まぁまぁ、冒険は人数が多いほど楽しいんだから」
「……」
「ほらっ。マリーも否定しないでしょ?」
「……うざっ」
それから数ヶ月経ち、俺たち三人は飽きることなく冒険に出た。
冒険者にならなくても魔物の素材は<月の庭>が買い取ってくれるので、何不自由なく暮らせる。
それもマリーと冒険に出かけることで、いつもより多くの魔物の素材を回収できる。
マリーの勧誘。それと資金集め。
一石二鳥である。
そんな日々を過ごしていく中で、少しずつマリーの瞳から陰りが消えていくのを俺は感じていた。
そして、忘れもしないあの日が訪れる。
「……ねぇ」
「ん? なに?」
「なんで貴方たちはそんなに必死なの? 私なんて放っておけばいいのに」
その日はレティナが先に帰り、俺たちはマリーの宿屋へと帰っているところであった。
夕日が傾き始め、マリーは橙色に照らされている。
「だから言ったでしょ? ただ、仲間になってほしいって」
「その理由だけじゃないわよね? ……どうして?」
どうして……か。
素直な想いをぶつけていいものだろうか。
俺が悩んでいると、マリーは少しだけ俯いた。
「……答えて……くれないのね」
「い、いや、ごめん……そのさ……?」
やっと陰りがなくなってきたタイミングでこの事を告げてもいいのかと悩んだが、あらぬ誤解を与えるよりはよっぽどましだ。
俺は思い切ってマリーに想いをぶつけた。
「マリーは……優しいよね。魔物討伐の時もレティナを守るように戦っているのが分かるし、ついこの間も転んだ子供に手を差し伸べていたでしょ?」
「……」
「なのに……いつも悲しい瞳をしてるんだ」
「えっ?」
「誰も信用しない。そういう瞳……俺にはその理由が分からないけど、それを解き放ってあげたくて。世界には信用できる人が居るんだぞって。俺は……俺たちはマリーを絶対に裏切らない。だから、誰よりも優しいマリーを仲間にしたいんだ」
少しだけ恥ずかしい。
だけど、言えてすっきりした気持ちになった。
マリーの顔も見れずに歩いていた俺は、横をチラリと見る。
「……え? マリー?」
マリーは歩みを止めて、俺をじっと見つめていた。
「なん……で?」
その問いが何を指しているのか、俺にはすぐに分かった。
誰も信用してはいけない。どうしてそのことが分かったの?
ということだろう。
「そんなの最初から分かってたよ。何か暗い過去を持ってるんだなって。レティナも心配してたんだから」
マリーの身体がふるふると震え出し、じわっと滲んだ瞳からすぅと一粒の涙が流れた。
「マ、マリーごめん。やっぱり思い出したくないことだった?」
俺はマリーに歩み寄り、頬を伝って流れている涙を拭ってやる。
「っううん……っ……レオン……ちゃん」
「は、はい」
初めて名前を呼ばれたことで少しドキッとする俺に対して、マリーは不安そうな表情で俺を見つめる。
「……ほんとに裏切らない?」
「うん。もちろん」
「レティナも?」
「そんなの当たり前だろ? みんなマリーの味方だよ」
「……ほんと?」
「約束する。ほら小指出して」
「……?」
俺に向けてマリーは小指を出す。
そして、俺はその小指と自分の小指を絡ませた。
「母さんが教えてくれたんだ。小指と小指を合わせて誓い事をする。それで指を離すとその誓いは永遠のものになるんだ」
「……へぇ」
「俺はマリーを絶対に裏切らない。仮にマリーが一人ぼっちになっとしてもまた見つけてあげる。だから……俺たちのパーティーに入ってよ」
「……っうん……うんっ」
コクコクと頷いたマリーを見て、俺はゆっくりと指を離す。
「はい。これで約束できたね」
「……っレオンちゃん」
「ん?」
俯いていたマリーが顔を上げる。
その瞳はもう完全に陰りが無くなっていて、夕日に照らされている彼女はとても綺麗に微笑んだ。
「私を見つけてくれて……ありがとう」
あの時の笑顔は今も脳裏に焼き付いている。
初めて心を許せる人に会えたという嬉し涙。
ただ、今マリーが流している涙は……全くの別物だった。
黒い感情によって理性が持ってかれたといっても、こうしてマリーが泣いているという元凶を作ったのは自分自身。
「ごめん……マリー」
マリーに何度目かの謝罪をした後、俺は空を見上げる。
自分の心と真逆のように感じた満天の綺麗な星に俺は思わず顔を背けるのであった。




