第69話 黒い感情
「なぁ……本当に護衛なんているのか? 私たちだけで十分だと思わないか?」
「あぁ。だが、リリーナ様が何度言っても受け入れてくれないらしいぞ」
「はぁ……働かないくせに飯はしっかり食べるなんて……食料泥棒じゃないか」
王都ラードを離れてからすでに六日が経った。
いつも通りに野営の準備を進めている二人の騎士が、誰かに対して不安を持っているようだった。
「リリーナ、エミリー。ちょっと外で話してくるよ」
「む? 誰とだ?」
「夕食の準備をしている彼らと……ね」
「……ふむ。分かった」
「気をつけてくださいね」
リリーナとエミリーは俺がしようとする話を察したのだろう。
了承を受けた俺は客車から降りて歩き出す。
騎士たちが愚痴っていた者。
それはもちろん俺である。
彼らは聞こえないと思って話していたのか知らないが、俺には筒抜けであった。
騎士団が不満を持ち始めたのは、ちょうど三日前に当たる。
毎日リリーナとエミリーの三人で他愛のない話をし、騎士団の作ったご飯を食べて就寝する。
魔物も俺の手すら借りないで騎士団が討伐をしてくれる。
まさに快適な旅であった……俺だけが。
そんな俺の様子を見ていた騎士団はリリーナに直談判をしに来たのだが、リリーナの一言、
「レオンは私の側にいるだけでいい」
という言葉を放ち、無理矢理話を終わらせて突き放したのだった。
それからというもの騎士団の不満は増すばかり。
当人の俺はなんとかしたい気持ちがあるのだが、 「料理手伝おうか?」 と言っても断られるだけで、解決の糸口を探そうと動き出しても状況は平行線を辿っていた。
俺もそりゃ悪いと思ってるよ?
一応報酬も貰うことになってるし、動きたいのは山々だけどさ……
悩んでいても騎士たちの愚痴は止まらない。
とりあえずは話し合いが重要だ。
「おっ。今日も美味しそうだね。いつもご苦労様」
「し、深淵……!?」
「な、なんだ? わ、私たちは見て分かる通り忙しいのだ。は、早く護衛の任務に戻れ」
ふむ。
ここで言う通りに戻ったら、また陰口を言われるんだろうなぁ。
「いや、それは大丈夫だよ。あのさ……まだ一週間くらいしか経ってないんだし、仲良くならない?」
相手の心の距離を縮めるのは素直が一番だ。
カルロスの時もマリーの時も俺はそうしてやってきた。
騎士団は基本全員嫌いだが、今はあれこれ言っている場合ではない。
同じ依頼主を守る仲間。そう思うことにしよう。
「……」
「……」
まるで俺の声が届いていないかのように、肉を焼き続ける二人の騎士。
「……えっ……あの……? 聞いてた?」
「……」
「……」
おい、国王よ。
この国の騎士たちは終わっているぞ。
どんな教育をしたら、無視という答えが出るんだ。
これじゃ昔のカルロスやマリーの方がまだ常識を持っているじゃないか。
俺はこれ以上何を言っても無駄という結論に至り、リリーナたちの居る平和な馬車へと戻ろうとした。
すると、
「おい! 何をさぼってるんだ! 貴様の仕事はリリーナ様を守る為であろう!? 何故こんな所にいる!」
ずかずかと足音が聞こえてきて、野太い声を発した張本人が俺の視界に入る。
「はぁ。ただ仲良くしようと思ってただけだから。今から戻るからまた明日な」
「ふっはっはっは。仲良くだと? 随分と面白いこと言うようになったじゃないか」
はぁ……めんどくさい。
誰がルキースを呼んだんだよ。
俺はその言葉を無視して歩き出す。
「おい、深淵のレオン。貴様に一つ言っておく。帰りは私たちだけで十分だ。居ても邪魔になるだけの者などいらんのでな。リリーナ様も私が直に伝えれば、納得してくださるだろう」
「あっ、そう」
本気でこんな奴が団長って言うのだから、世の中分からないものだ。
リリーナがそれを許すと本当に思っているのだろうか。
自信満々な耳障りな声にドッと黒い感情が湧く。
……?
なんでだろう。
言葉一つ一つに苛立ちを覚えるが、殺してやりたいと思うほどでもない。
あの事件があったのは確かだが、そんなのは今考えてなかった。
なのに……
ドクン。
不意に心臓が脈打つ。
(殺せ。殺せ。殺せ。)
その声に思わず口角が上がった。
俺は腰に携えていた剣を握り、ゆっくりと振り返る。
「ねぇ……」
「む? なんだ?」
「貴方はランド王国の団長だよね?」
「ふっ。今更それがどうした?」
「じゃあ、俺とどっちが強いんだろう……」
「何を言っている?」
ぽけーっとしているルキースは隙だらけだった。
斬りかかれば瞬殺でき、他の有象無象な騎士団も血祭りにあげられるだろう。
(殺せ。殺せ。殺せ。)
黒い感情はもう抑制できないほどに達していた。
俺はその感情に身を委ね、足に力を込める。
瞬きも許されない速度で殺してやろう。
……いや、やっぱりこいつが見捨てた冒険者の為に、わざと急所を外して……
「レンくーーん!」
「っ!?」
突如聞こえてきた愛おしい声に、俺ははっと理性を取り戻す。
声のする方へ視点を向けると、旅に同行していた拠点のみんなが大きく手を振り、俺の方へと駆けつけて来るのが分かった。
その様子見た俺は握っていた剣を離し、呆然と立ち尽くす。
……今、俺は何をやろうとした?
自分がやろうとしていた行為が信じられなかった。
「おい。魔女レティナ。なんの用だ」
「別にルキースさんには用なんてありませーん」
「むっ」
近寄って来たみんなを見ることができない。
何故なら未だに考えてしまうから。
もしも俺を呼ぶ声が少しでも遅ければ……今頃は……
「ごしゅじん……汗すごい。来ちゃダメだった?」
ミリカが俺を上目遣いに見上げて、心配そうな表情をしている。
俺はそんなミリカを安心させるように、頭を撫でて笑顔を貼り付けた。
「ううん。来てくれてありがとう」
「あー! ミリカちゃんだけずるーい」
「レオンっ。レオン。ルナもルナも〜」
「お姉ちゃんっ。レオンさんが困るでしょ?」
「おいっ。マリーはいいのか?」
「別に子供じゃないんだから」
「でも、お前……獅子蛇討伐の時にご褒美としてしてもらってたよな?」
「カルロス……一旦黙りなさい」
ルキースを無視したみんなが手の届く距離にいる。
それだけで心が洗われていく。
そして、黒い感情はいつの間にかすっと何処かへ消え失せていったのだった。
この感情が生まれたのは確か三年前からだ。
どうして生まれたのかは定かではない。
ただ、一つ言えることがある。
今もそうだがこの感情は次第に俺の心を蝕んでいっている。
以前、マスターに言った冒険に行かなくなった理由の二つ目はこれだ。
魔物を討伐したり、罪人を殺めたりすることでこの感情が大きくなっていくのを感じた俺は、自分が自分じゃなくなるような気がして冒険に行くのを止めたのだった。
まだ魔物は比較的に理性が保てる。
相手は人と違って別の生き物であり、生きる為に殺り合わなければならないと理解しているからだろう。
だが、罪人は違う。
同じ人であるにも関わらず、奴らは悪虐非道を繰り返し、自分勝手に善人を喰いモノにする。
だからだろうか。
そんな奴らを殺す度に、黒い感情が日に日に溢れ出し、感情を抑制することもままならなくなってしまったのは。
「レンくん、ぼーっとしてどうしたの?」
「あっ、ううん。なんでもないよ。来てくれたのは嬉しいけど、みんなはあくまで同行なんだからこっちに来ちゃダメだよ?」
「……はーい」
「……でも、本当に助かった。ありがとレティナ」
「えへへっ」
俺の心中を察しているのか察していないのか分からないレティナの頭を撫でる。
この感情を抑制させる唯一の特効薬。
それは今、目の前にいるかけがえのない仲間。
ルキースは冒険者を見殺しにしたが、市民や国の為には尽力する男だ。
だから、俺も裁くことはなかった。
今この場で騎士団もろとも奴を殺していたら……そう考えるとゾッとする。
……こんな事で理性が失うのなら、もう俺は末期かもしれないな。
頭を撫でられ無邪気に微笑むレティナを見て、俺はふぅと安心するのと共に、今後このような事態に陥らないよう気を引き締めていこうと思ったのであった。




