第66話 プロバンスの屋敷
あの日から二日経ち、俺とルナとゼオ、それにレティナの四人でプロバンス家へと出発した。
「レンくん……私もついていって大丈夫?」
「もちろんだよ」
不安な表情をするレティナの頭を撫でる。
エミリーに会わせたい人という言葉に、決まった人数は言わなかった。
レティナだけ屋敷に入ることを止められる事態にはならないだろう。
「ねぇねぇ。本当にエルフに会えるの?」
キラキラした瞳で見つめてくるルナは、エルフに会えるのに興奮しているのか、いつもより声色が高い。
「うん。その前にフードはちゃんと被ろうね」
俺は見えかかっているルナの耳を隠すように、フードを被せてあげる。
その様子を見たレティナが、わざとらしくフードを取った。
「あ、あのレティナ?」
「なに?」
「……しっかり者のゼオを見てみなよ」
真横で歩いているゼオは、周囲の人を警戒しながらフードを深く被っている。
「レオンさん……ちょっと」
「ん?」
ゼオは口に手を添えて、内緒話をするような仕草をした。
俺はそれに耳を近づける。
「あの……レティナさんのフードも被らせてあげた方がいいですよ。喜ぶと思います」
ふむ。ゼオが言うならば仕方ない。
「レティナ。フード被らせてあげるからこっちおいで」
「やったぁ。ゼオ君は気が利くな〜」
ルナとゼオに挟まれていた俺に、ルナの隣を歩いていたレティナが目の前に来る。そのまま瞳を閉じたレティナに俺はついドキッとしてしまった。
閉じ合わせた綺麗なまつ毛に、整った鼻立ち。
全てが均斉のとれているレティナをつい抱きしめたくなるが、今はルナとゼオの前だ。
俺は感情を抑制しつつ、まるでウエディングドレスのヴェールをかけるように優しくフードを被らせた。
「えへへ。ありがと」
「っ……どういたしまして」
その笑顔は反則だろ。
俺は屈託のない笑みを浮かべたレティナに、動揺を悟られないようポーカーフェイスを装う。
「レティナちゃんいいな〜。ルナももう一回取ろうかな……」
「もうおあいこだよルナちゃん。エルフに会いに行くんでしょ? 私と競争ね」
レティナはその言葉と共に走り出す。
「あっ! レティナちゃんずるーい!」
それを追いかけるルナ。
「ぼ、僕も……」
「うん。行っておいで」
ぱぁと笑顔になったゼオはルナの後に続いて、走り出す。
その様子を見て、俺は思わず笑みが溢れた。
「俺も行くか」
女の子を追いかける幼い子供二人。その後を追いかける怪しい俺。
警備隊に見つかったらどう言い訳をしようかと考えながら、プロバンス家に向かったのだった。
「お邪魔します」
プロバンス家に着いた俺たちは執事に案内され、応接室にて待機する。
「すごーい。ねぇねえレオン。あれなーに?」
「あれはシャンデリアって言うんだよ」
「あっ、僕本で読んだことあります」
「そっか。ゼオは賢いね」
「ルナは知らな〜い。でも、綺麗ー!」
「うん。そうだね」
ルナとゼオはロイの時と同じように、辺りを見回している。
レティナは慣れているのかすっと姿勢を正したまま、興奮するルナとゼオに笑顔を振る舞っていた。
数分待つと、コンコンと扉のノック音が響き渡る。
先程まで興奮していたルナとゼオはその音を聞き、ピタッと動きが止まった。
「はい」
「あ、あの入ってもよろしいですか?」
「うん」
エミリーは緊張しているのか、声が少しだけ震えていた。
そして、キィーと扉が開かれる。
「……へっ?」
エミリーは俺たちを見て、間の抜けた声を出す。
ふむ、なるほど。
俺もエミリーを見たときに、こんな表情をしていたんじゃないだろうか。
瞳を大きく開き、そのまま口を開けているエミリーはわなわなと震え出す。
その様子にルナはささっと俺の後ろに隠れた。
「エ、エミリー驚かせてごめんね。会わせたい子を連れてきたよ」
「……そ、そんな……」
「えっ!? ちょ、ちょっとエミリー!?」
エミリーはその場にへたり込み、透き通った瞳を滲ませた。
俺はそんなエミリーの側に近寄る。
瞬きをした瞬間にエミリーの溜まった涙が絨毯に染み込んでいく。
「お、お姉ちゃん大丈夫?」
先程俺の後ろに隠れたルナが、心配そうにエミリーの側でしゃがみこむ。
ゼオもソファから降りて、エミリーの背中をさすった。
「……うっ……うっ……こ、こんな……こんな日が来るなんて……う、うわぁぁぁぁん」
子供みたいに大泣きするエミリーをひたすら宥める俺たち。
「お、おい! 何があった!?」
そんな状況で、エミリーの泣き声を聞いたリリーナが額に汗を滲ませながら、部屋へと入り込んできた。
「……なるほどね」
ルナとゼオを視認したリリーナは優しく微笑み、エミリーの頭を撫でる。
それから数分間、エミリーの泣き声は屋敷に鳴り響いていたのだった。
「いや、驚いたよ。まさか、そんな幼子のエルフが居るなんて」
「ご、ごめん。泣かせる気はなかったんだ……」
「い、いえ。こちらこそご迷惑をおかけしてすみません」
気持ちの整理がついたのか、エミリーはいつも通りの様子に戻っていた。
「お姉ちゃん大丈夫?」
「う、うん。平気だよ。心配してくれてありがとう」
「なら、良かった~。突然お姉ちゃんが泣いちゃったからルナ驚いたよ」
「ごめんね。ルナちゃん。私はエミリーって言うの。隣の君の名前は?」
「あっ、僕はゼオって言います。ルナとは双子で、十歳になります」
三人が仲良く談笑をしている。
それを眺めている俺とリリーナ。
そんな微笑ましい光景の中、一人異彩を放っているのを俺は見て見ぬふりをしていた。
えっと……なんでレティナはこっち見てるの?
それもジト目なんかして……
「リ、リリーナ。今日は暑いね」
「ん? 別に普段と変わらないと思うが?」
「あ、あはは。そっか……」
俺は何もしてないのにも関わらず、だらだらと冷や汗が出る。
「ルナ、他のお部屋も見てみたーい」
「お、お姉ちゃん……あまり迷惑かけちゃダメだよ?」
「いや、別に構わんぞ。エミリー案内をしてあげて」
「はい。分かりました」
部屋を出ようと三人が腰を上げる。
俺もばれないように腰を上げようとするが、レティナの手が俺の肩を掴んだ。
「レンくんは子供じゃないよね? ここにいよ?」
「はい。分かりました」
エミリーと同じかしこまった返答をした俺は、ソファに座り直す。
あぁ……俺はこの後どうなるんだろう。
元気よく扉から出て行ったルナたちを羨ましく見送った後、応接室に静寂が訪れた。
リリーナはにこにこしながらコーヒーを啜り、レティナは俺のことをじっと見る。
その空気に耐えきれなくなった俺は、一つ咳払いをして口を開いた。
「あー……えっと、このコーヒー美味しいね」
「レンくん。まだ口をつけてもいないよね?」
「うん。そうだね。でも、美味しいんだ」
「おぉ、そうか。プロバンス家の領地で取れた豆を使ってるんだが、口に合うなら良かった」
「うん、最高だ。こんなコーヒー飲んだことなかったよ……で、でも、少しだけ喉が渇いたな。冷たい飲み物とかない?」
「爺!」
いきなり発せられた声に、俺は思わずビクッと震える。
リリーナの呼び声に数秒経った後、応接室の扉が開かれ執事が顔を出す。
「冷たい飲み物を持ってきてくれ。レオン、何がいいとかあるかい?」
「い、いや、なんでもいいよ」
「では、任せる」
「はい。かしこまりました」
扉がパタンと閉められて、再度静寂が訪れた。
もうやだ……一人で帰りたい。
すると、今度は俺ではなくレティナの口が開かれた。
「ねぇねぇ、レンくん?」
「……なに?」
「プロバンス家の御当主様が……女の人なんて知らなかったな〜」
「ま、まぁ言うほどのことでもないかなって」
「ふ〜ん」
明らかに納得がいってない表情をしているレティナはコーヒーを啜る。
「魔女レティナとは初対面であったね。私はプロバンス家の当主リリーナ・プロバンスだ」
「……私はレンくんのお嫁さん候補のレティナ・レニクリーフと言います」
は、早く飲み物来ないだろうか。
「ほう。はたして……それをレオンが望んでいるのだろうか」
「どういうこと?」
「一方的な想いはレオンを困らせるだけという話だ」
「へ~。レンくんはそれに対してどう思ってるの?」
いや、話を振らないでくれるかな。
目と目がばちばちと火花を散らしている中、二人は視線を逸らし俺を見つめる。
こうなれば自分の想いをここで告げるしかない。
それが男ってもんだろう?
カルロス……見ていてくれ。俺の勇姿を。
「あー、早く飲み物来ないかなー」
俺は自分が被食者であることを忘れていたみたいだった。
ヒューヒューと下手な口笛を吹き、挙動不審に辺りを見回す。
「レンくん……?」
「ふっ。レティナ。淡い期待は自らを滅ぼしかねないぞ? これから覚えておくといい」
「……レンくんなんて嫌い」
少しだけ涙を浮かべるレティナが俯いたのを見た俺は、動揺を隠しながら言葉を放つ。
「ま、まぁ、ちょっと落ち着きなよ。お嫁さんがどうとかの話は置いといて、レティナのことはもちろん好きだよ」
「……」
レティナの表情はまだ暗いままだ。
リリーナが言った言葉を引きずっているのだろう。
俺は意を決して話を続ける。
「そうだな。どれくらい好きかって言われたら世界中の人間がレティナの敵になっても、俺だけは側にいてあげる。これくらい好きだ」
リリーナのいる前で、ものすごく恥ずかしいことを口走っているのはよく分かる。
顔が火照って汗がズボンに滴り落ちるほどだ。
……いや、これは冷や汗か?
「……私も好きだよ。例えレンくんが眠りから覚めなくても……必ず救ってあげるから」
「う、うん。そうならないように気をつけるね」
そんなに俺は怠け者のイメージが強いんだろうか。
そ、そりゃ護衛の途中でリリーナに起こされる失態を犯したけれども……
そんな気まずい空気の中、コンコンと扉がノックされ、執事が現れる。
素晴らしいタイミングだ! と心の中で喜ぶ俺の前に執事は冷たい飲み物を置き、応接室から出て行く。
俺は喉が欲しているそれを勢いよく飲み干し、ちらりとリリーナの様子を確認した。
「……ふん」
リリーナは少し……いや、随分不機嫌な様子でそっぽを向くのだった。
どうすればよかったんだよ。




