第60話 幽霊騒動③
「レオン!」
「レオンさん!」
「師匠っ!」
みんなが俺を咄嗟に呼ぶ。
「ふふっ。もう無駄よ。貴方たちの声は彼には届かないわ。今は私の魅了に掛かっているからね」
「そ、その魔法は……」
「そう。私たちサキュバスにしか扱えない魔法。掛けられた人間は、私の思うがままになるの。例えば……ここで死んでと言ったら……分かるわね?」
「くっ……そんな……」
みんながサキュバスの言葉の意味を理解したのか、悲痛な声を上げていた。
「レオンさん……」
「師匠を……助けるしかない。シャル、セリア、今は言う通りにしよう」
「えぇ……」
「そうするしか……」
「サキュバス。何が望みだ!」
いや、望みってここを離れたくないって言ってなかったっけ?
ロイに声を掛けようとするが、あまりにも真剣な声色に口を噤む。
「私の望みは一つだけ。ここを住処にしたいの。貴方たちは雇われた冒険者でしょう?」
「あ、あぁ」
「なら、依頼人には何もなかったと言えばいいわ。もし約束を破るようなことをすれば……彼を殺すから」
「なっ……」
「私の魅了に掛かった者は、永遠に私の操り人間になるのよ。だから、もしも怪しい動きをするようなら……」
「そ、そんな……じゃあ……レオンはっ……ずっと……」
俺の背後でシャルが悲しげな声を出す。
いやいや、魅了はそんな強力な魔法じゃないから。
効力はあって数十分でしょ……
「貴方……もしかして彼に惚れているのかしら?」
「えっ!?」
「ふふっ。私は人の好き嫌いに関しては鋭い方なの。彼……見るからに優しいものね」
「……うんっ」
あ、あの……
「貴方たちが約束を守るなら私は何もしない。危害を加えようとも思ってもいないし、ましてや貴方の恋人を殺すようなことは絶対にしないわ」
「こ、恋人!?」
「え? 違うのかしら」
「は、はい」
「ふ〜ん。なら、貴方……今は彼の意識がここにないわよ」
「え、えっと」
「察しが悪いわね。貴方が思ってる恋人みたいなこと……今ならできるわよ?」
いや、待って?
話が凄い勢いで進んでいくから口を挟まなかったけど、俺は<金の翼>のみんなに言ったよね?
耐性がついてて、状態異常魔法なんて効かないよって。
魅了に関しては全くの初見だったけど、何も感じないし。
ま、まぁ、ちょっとくらい様子見してもいいけどさ……
まだ何か隠し持った魔法を持ってるかもしれないから……一応保険としてね?
俺は心の中で自分に言い聞かせて、直立不動で二人の会話を黙って聞く。
「レ、レオン……その……聞こえてる?」
「……」
「本当に意識がないんだ……」
シャルが俺に近寄って来るのが分かる。
「ロ、ロイ……ちょっとだけ向こうむいておこう?」
「お、おう。そうだな」
セリアとロイは無駄に空気を読んでいる。
サキュバスと向き合ったままでいると、シャルがすぐ近くまで寄ってきたことを感じた。
シャルはそのまま俺のお腹に腕を回し、身体をぴったりとくっつける。
「レオン……私が必ず助けるからね」
「……」
「レオンが困った時に駆けつけるって約束したもの……」
そういえば……獅子蛇の討伐報酬をシャルに渡した時にそんな話したな。
「そんなのでいいの? 何でもできるわよ?」
サキュバスがシャルの甘い行動に横槍を刺す。
「で、でも……」
「貴方……恋はいつだって競争よ? 彼の周りには恋敵が多いんじゃないのかしら?」
「っ!!」
シャルはその言葉に抱きしめていた腕を離す。
そして、俺の正面まで回り上目遣いに見上げた。
先程泣いたせいだろうか。
その山吹色の瞳は少しだけ潤んでいて、キメが細かい頬は赤みを帯びていた。
「レオンっ」
愛おしそうに俺の名前を呼ぶシャルをつい抱き寄せたくなる。
だがしかし……
今の状況は非常にまずかった。
まず、俺はサキュバスの魔法なんかに掛かっていない。
もしも、今俺が動き出して 「あっごめんね。全部演技だったんだ」 などと発言しようものなら、これから先<金の翼>のみんなは俺のことを信用してくれなくなるかもしれない。
それに今頬を赤らめているシャルなんて、恥ずかしさのあまりもう顔も見せない可能性すらある。
それだけはなんとか回避しないと。
この場を脱出する方法。
っ!!
「その手があったか!」
「えっ?」
「えっ!?」
まるで神様から受けた天命のような考えを受け取った俺は、つい言葉に出してしまった。
そんな俺をサキュバスとシャルが見つめている。
えっと……これどうしよう。
「あ、あの……サキュバスさん……レオンは?」
「え、えぇ。確実に喋れないはずなんだけど……」
いや、君たち敵同士じゃなかったの?
なんでそんな普通に喋れてるのさ。
そんな思いを抱くものの今は絶体絶命の危機だ。
こうなったらもう気合いで乗り切るしかない。
俺はぐぐぐっとっ何かから抵抗するように、身体を大げさに動かす。
「くっ……この魔法……凄まじい……が……俺なら……」
「わっ。レオン凄い!」
俺の演技にぴょんぴょんとその場で飛び跳ねるシャル。
心が痛い……
「はぁ! ふぅ。久々に本気を出してしまったよ。やるね?」
「そ、そんな……私の魔法が……」
「流石師匠っ!」
「レオンさん凄いです」
ロイとセリアは俺が魔法から解放されたのを見ていたのか、近寄ってくる。
その瞳は尊敬の念が込められており、キラキラと輝いていた。
そんなに眩しい瞳は見ていられない。
俺はサキュバスに視点を移す。
「大人しく捕まってくれる? 痛い目は合わせたくないんだ」
「…………えぇ」
セリアの束縛で拘束されたサキュバスと一緒に依頼主の元へと戻る。
「でも、初めて私の魅了が破られたわ。貴方……レオンって言ったわね。相当な実力者なのかしら?」
「ど、どうだろうね」
珍しいこともあるものだ。
俺を知らない者がこの王国に居るとは。
まぁ俺が成した偉業も三年前だしなぁ。
執事に事の顛末を話し、待合室に再度案内される。
そして、扉がガチャリと開かれると依頼主が姿を現し、サキュバスを確認した後に対面のソファに座った。
「話は爺から聞いた。声の主はそのサキュバスだったと言うことか」
「はい。そうです」
「あの離れを確認に行かせたのは皆、男だった。なるほど……魅了で誰も居なかったという催眠を掛けたのだね?」
「えぇ。そうよ」
サキュバスはそっぽを向いて答える。
「何故、あの場所に居たんだ?」
「……」
「答える気がないなら……このまま警備隊に押し付けるしかないのだがね」
「……私は」
声を振る絞るように言葉を吐き出そうとするサキュバスに、みんなが耳を傾ける。
「……サキュバスだから。姿を見られたら決まって襲われるのよ。サキュバスの食料は男の精気って言われてるらしいけど……今は違うの」
「……ふむ」
「普通の人間のように何かを食べればお腹が一杯になるし、寝れば体力だって回復する。精気が必要ってわけじゃないのに……」
その言葉には言い訳のようなものは感じられなくて、ただ安心して居座れる住処が欲しかっただけというのが、声色や表情からひしひしと伝わる。
「なるほどね。では、ここで住むといい」
「……えっ?」
「ずっとあそこで住んでいたんだろう? そのまま使えばいい。だが、一つ条件を出してもいいだろうか?」
はっきりと 「出す」 という言葉ではなく、サキュバスに問いかける辺り彼女の優しさが垣間見える。
「え、えぇ」
「まず、君の名前は?」
「ニナ」
「じゃあ、ニナ。あの屋敷を誰でも住めるようにしてくれ。もう少し人を雇おうと思っているのでね。あっ、もちろんそこに住む者はメイドたちだから安心してほしい」
「……それだけ?」
「あぁ。それ以外何もないよ」
ニコリと綺麗に笑う彼女に、俺はほんの少しだけ見惚れてしまった。
俺の時もそうだが、どれだけこの人の懐は広いのだろう。
その優しさの根幹を担っているものに、貴族らしい強欲さは微塵もないように思えた。
「良かったね。ニナさん」
「えぇ……っ。ありがとうございます」
シャルの言葉に少しだけ震え声で答えるニナ。
「今まで大変だっただろう。皆には私から伝えておくよ」
騒ぎの主は幽霊ではなかったけど、これはこれで良かったなと感じる。
「<金の翼>の皆、ありがとう。報酬は<月の庭>で受け取ってくれ。もう渡してあるのでね」
「はい。分かりました」
「それと……レインが専属の冒険者になってくれれば言うことはないのだが」
まだその話を引きずっているのか。
「すみません。俺もこのパーティーの一員でして……まだ抜けたくないんですよね」
「そうか。レインだけじゃなく、<金の翼>皆でもいいのだが……納得しないだろうね」
「はい。すみません……」
諦め気味な表情を浮かべる彼女を見て、ほっと息をつく。
すると、その会話を聞いていたニナさんが不思議そうに口を開いた。
「? レインってこの子のこと? 確か……レオンって言ってなかった?」
「っ!?」
「ん……? レオン?」
「えぇ。私の前ではレオンって呼んでいたわ」
まずいまずいまずい。
頭の中で警報が鳴る。
「レイン……レオン……レオン・レインクローズ……」
はっとして俺を見つめる彼女。
「あ、あぁ〜お腹痛くなってきたな〜。では、これにて失礼します!」
席を立った俺は、周りの反応を見もせずに扉を開ける。
が、執事が扉の前に立っており、俺はその場で立ち止まることしかできなかった。
はぁ……めんどくさい。




