第59話 幽霊騒動②
「では、よろしく頼む」
「はい。分かりました」
十分から二十分ほどだろうか。
廃墟になっている屋敷の説明を聞き、俺たちはプロバンス家の屋敷を出る。
無事に出られたことに少しだけ安堵するが、依頼内容は正直覚えていない。
いつまた勧誘が来るのかひやひやしていたからだ。
「シャル。それで? どこまで行くの?」
「えっ? レオン聞いてなかったの?」
「う、うん。ごめんね」
「ううん。謝らないで? レオンにとっては居座りづらい所だったもんね」
シャルは俺が不甲斐ないという事に、一切の不満を漏らさずに優しく微笑む。
なんて優しい子なんだ……
「それでどこって話なんだけど、すぐそこらしいわよ?」
「え?」
「ほら、そこ」
シャルが指を刺す方向へと目を向ける。
その場所は屋敷の敷地内にあり、当主が居た屋敷よりも一回りも二回りも小さい二階建ての建物だった。
「へ〜。プロバンス家だからどこも手入れされてるかと思っていたけど……これは……」
昔は人が住んでいたのだろう。
だが、見るからにその建物は誰も住んでいないということが分かる。
玄関は手入れされていない雑草が行手を阻み、白の外観である建物は少し黒ずんでいる。
これは中々に趣があるな。
まさに幽霊が住むには最適なんじゃないか?
忘れていた男心を思い出した俺は、腰に携えていた剣を抜く。
先頭に立ち、自分の腰辺りまで伸びた雑草を刈りながらずんずんと進んでいく。
「ね、ねぇ、レオン……? ほんとに大丈夫かな……?」
「なにが?」
「そ、その幽霊だったら……」
「シャ、シャル怖いこと言わないで……」
シャルとセリアは少しだけ怯えているようだ。
「大丈夫だって。師匠がいるんだから。そうですよね? 師匠」
「そうだね。任せて」
玄関の前まで立った俺はそのまま扉を開く。
ギィーという扉が軋む音と共に、部屋の中に陽の光が差し込む。
「これは……いるかもね」
「きゃっ」
俺の言葉に驚いたのか、シャルは腕にしがみついた。
「ご、ごめんなさい。その……できれば掴まってていい?」
「いいよ……」
シャルの柔らかいものが当たっているのが分かるが、気にしないようにしよう。
そう。お、俺は紳士だからね。
「あのーすみません。誰かいますかー?」
部屋の中に響いた俺の声に反応するものは居ない。
「んー。とりあえず一つ一つ部屋を調べていこうか」
「う、うん」
「は、はい」
「分かりました!」
俺を先頭にして後ろからついてくる<金の翼>メンバーたち。
俺は一つ一つ扉を開きながら、思考に耽る。
もし幽霊に出逢ったら最初の一言はなんて言おう。
「初めまして」 が無難だろうか。
それとも、 「ずっと会いたかったです」 と自分の本心を伝えた方がいいのだろうか。
う~ん、これは非常に悩む。
「ね、ねぇレオン……」
「ん? どうしたの?」
「あのね……? できたらでいいんだけど……扉を開く際はもう少しゆっくりしてほしいの」
「ふむ」
シャルはまだ心の準備ができていないのだろう。
普段はしっかり者のシャルではあるが、今は状況が違う。
これが魔物や野党、山賊ならば周囲を警戒して、セリアやロイに指示を与えているところだと思うのだが……
「分かった。できるだけゆっくり開くね」
俺は少しでも安心するように、シャルの頭を撫でる。
それにしても、何も起きないな。
本当に声なんて聞いたのだろうか?
そんな疑問が浮かぶ中、俺は最後の扉の前に立った。
その時、
「で て ゆ け」
おぞましい声がその扉の中で響く。
「きゃぁぁぁぁあ」
シャルはその声に俺の腕をぎゅうと力一杯しがみつき、目を瞑る。
セリアもさすがに限界だったのか、ロイに抱きついていた。
ロイはそのおぞましい声ではなく、セリアが抱きついて来たことでどぎまぎしているようだ。
これは……本当に!?
みんなの反応と打って変わって、俺だけはその声に気分が上がっていた。
「あのすみません。幽霊さんですか?」
返答は無い。
「入ってもよろしいでしょうか? 別に俺たちは怪しい者ではありません」
「……師匠……幽霊相手に何言ってるんですか……」
ふっ。ロイは何も分かってないみたいだな。
幽霊も元は人だ……多分だけど。
すなわち、不信感を抱かせる行為はするべきではない。
「すみません。少しお邪魔しますね」
俺はドアノブを握る。
「ちょ、ちょっと待ってレオン!」
「ん?」
ドアノブを握った手がシャルの手によって遮られる。
「あ、あのね……? も、もういいと思うの。ね?」
「いやいや、ダメでしょ。シャル……俺たちは調査に来たんだ」
「そ、そうだけど……」
シャルは涙を滲ませながら、これ以上先に行くことを拒んでいる。
「シャルは<金の翼>のリーダーでしょ? こんな事に震えてるようじゃ……」
「そ、そうだけど……」
「大丈夫。今は俺がいるんだから」
「……うん、そうね。分かった。頑張るわ!」
シャルはドアノブを握っている俺の手を離し、キリッと扉を睨み付けた。
「でてゆけぇぇぇぇぇぇぇぇええええええ」
「きゃぁぁぁぁぁぁ」
先程の警告よりももっと歪になった声。
その声に当てられて、シャルはその場でへたり込んだ。
「……うっ……うっ」
恐怖で身体を小刻みに震わせているシャルの瞳から、ぽろぽろと涙が零れる。
「シャ、シャル泣かないで? もし幽霊でも俺がすぐに消してあげるから」
「……うっ…………っ……うっ……」
本当に幽霊というものが苦手なのだろう。
シャルに俺の声が届いていない。
俺はそんなシャルと同じ目線になるように膝をつき、頭を撫でる。
「もう動けない?」
コクコクと頷いたシャルは顔面蒼白であった。
セリアもシャルと同じような表情をしており、そんなセリアをロイが支えている。
「じゃあ、みんなはこのままここに居て。俺が確かめてくるよ」
俺はそのまま立ち上がろうとした。
が、シャルはそんな俺の背中に腕を回す。
「レオンっ。行かない……でっ」
「シャ、シャル?」
「ダメだよっ……お母さんが……っ言ってたのっ。連れて行かれるって」
「連れて行かれるって何処に?」
「こ、怖いところ……っ」
ふむ。なるほど。
お母さんからそう言われていたから、シャルはここまで怯えていたのか。
「俺が幽霊なんかに負けると思う?」
「でも……っ」
「大丈夫だよ。シャル。見ていて? 俺がやっつけてあげるから」
まぁ、最初は対話をしてみよう。
それでも攻撃してくるようなら仕方ない。
幽霊に何が効くかなんて想像もつかないが、なんとかなるだろう。
「そこで応援していて?」
「……うんっ」
抱きついた身体をそっと離し、俺は扉に振り向く。
さぁ、ご対面だ。
ドアノブを回し扉を開ける。
その部屋は書庫のようだった。
左右には大きな本棚が壁に寄り添うように配置されており、正面には本を読む為の椅子と机が置かれていた。
そこである違和感に気づく。
この屋敷の床は歩くだけで足跡が付くくらいに、ほこりが溜まっていた。
だが、この部屋は明らかに違う。
綺麗に掃除されているのか、床にはほこりなど一切無く、今誰かが読んでいただろう本が机の上に置かれていた。
「んーと、これはもしかして……」
幽霊じゃない?
「忠告してあげたのに」
声の主は本棚に隠れていたようで、俺の目の前に姿を現した。
「……えっ。君もしかして……サキュバスじゃない?」
「はぁ……大人しく帰っておけばよかったのにねぇ?」
桃色の髪にツンと尖った耳。
頭には二本の角があり、背中にはサキュバス特有の黒い翼。
そんな彼女は、豊満な胸元があらわになっている刺激的な服を着ていた。
「ゆ、幽霊じゃないじゃない! 何よっあなた!」
「えっ? 幽霊って……おチビちゃんは幽霊を信じているの? ふふっ。可愛いわね」
「う、うるさいっ! 討伐してやるわ!」
いや、シャルそれはダメでしょ。
サキュバスは魔物じゃないんだから……
「それは嫌ねぇ」
「覚悟しなさい!」
俺の後ろで話しているシャルはやる気満々のようだった。
闘気を放つシャルに続いて、セリアとロイも続く。
「あ、あのシャルたち少し落ち着いて?」
「どうして!? 私たちも戦えるわ!」
「いや、一度落ち着こう? ね?」
「レオン……顔が少し赤いわ……まさか……」
「い、いやいや、シャルの勘違いだよ! いくら刺激的な服をしていて、珍しいサキュバスに会えたからって……お、俺が動揺するわけないじゃないか」
シャルの言葉に俺はまるで浮気現場を見られたかのように、身振り手振りであたふたとする。
「ふふっ。貴方も可愛いわね」
「き、君のせいで、あらぬ疑いを掛けられているところだよ」
サキュバスに殺気などは何も感じられない。
どちらかと言えば、シャルの方が……
「それはごめんなさいね。私は本当にこの場所から離れる気がないの。だから……言いなりになって?」
「へ?」
「魅了」
サキュバスの目が怪しく光ると共に、俺はその魔法を無防備に受けるのだった。




