第53話 ギルドへの報告②
物音一つしないギルドマスター室で、俺はマスターの言葉に愕然としていた。
な、何故ルナがエルフだと分かった……?
心臓の鼓動はどくどくと、時が進むごとに速まっていく。
「やはり……か。君がその子を抱き上げる際、特徴的な耳が少し見えてな……」
何か上手い誤魔化し方を考えようとするが、思考が追い付いていかない。
「な、何の話ですか?」
「もう誤魔化しは通用しないぞ。君の反応を見れば分かる」
「ちっ」
マスターに対して、あまりにも無礼な態度。
だが、今もなお少しだけ震えているルナの事を考えれば、無礼など考える余裕はなかった。
「……それで? ルナがエルフだと分かってどうしようと?」
冷めた口調でマスターを威圧する。
ルナとゼオ。二人は俺が守ると誓った。
神様でもなんでもない……ブラック本人に。
再び静寂が訪れる。
マスターは何かを考えるように、顎に手を添えていた。
「ふむ……別にどうこうしようとは思わんよ」
「……はい?」
「何を勘違いしてるのか知らんが、私はその子と話したいだけだぞ?」
マスターの言葉を疑っているわけではない。
ただ、その言葉の真意があまりにも見透かすことができずに、俺は少しの間固まっていた。
「レ、レオン?」
いつの間にか塞いでいた耳を離していたルナが、俺のことを心配そうに見つめている。
「ル、ルナ。話しちゃダメって……」
「で、でも……あの……その人間がルナとお話ししたいって」
「ルナちゃんって言うのかい?」
「う、うん」
「私とお喋りするのは嫌?」
「ううん……でも、レオンがお話ししちゃダメって言ったの」
いや、もう話してるけど……
俺は抱っこしているルナを解放して、床に立たせる。
もうこうなったら投げやりだ。どうとでもなれ。
「レ、レオン……お顔怖い……怒った?」
「う、ううん。大丈夫。でも……ルナが約束破ったから」
「……ごめんっなさい」
ルナが俯いて、身体を震わせている。
そんなルナに俺はできるだけ優しい声色を作った。
「一つ聞かせて? どうしてお話ししたいって思ったの?」
「えと……その人間が……あの……」
「うん」
「魔力が綺麗だったから……」
外套の袖をぎゅっと掴んでいるルナは、涙目になりながら俺を見上げた。
あぁ、なるほど。
確かにマスターの魔力は洗練されている。
大国ランド王国の王都のギルドマスターを担っている存在だ。
並の魔力や闘気では、血の気が多い冒険者に舐められてしまう。
それでも綺麗……か。
以前も俺にそう言っていた。
もしかしてルナは善悪を魔力を通して見抜けるのかもしれない。
そう感じた俺は、ルナを安心させるように頭を撫でる。
「そっか、ごめんね、怖い思いさせちゃって」
「ううん。ルナが悪いからっ」
「ふむ。二人とも話し合いは終わったか? 私も早く混ぜてくれ」
普段と違って少しだけワクワクしているのか、マスターは席を立ち、ルナと目線が合うように屈んだ。
「ルナちゃん。フードを取ってもらっていいか?」
「う、うん」
「……レオン」
「な、なんですか?」
「すまない。少しだけ耳を塞いでもらっていいか? いや、耳を塞げ。決して聞くんじゃないぞ。それと後ろを向いていろ。これは命令だ」
「は、はぁ……」
きりっとした表情のマスターにそう言われて、仕方なく後ろを向き耳を塞ぐ。
だが、どんな言葉をルナと交わすかは聞かなくてはいけない。
エルフは人間から軽蔑されているからだ。
マスターはそんな人間ではないと信じているが、それでもルナが傷つくような言葉を発したらすぐに引き離せるように、俺は塞いだ手を少しだけ緩めて、耳と手の間に空間を開けた。
「レオン聞こえていないな? ……ふむ。ルナちゃん、嫌だったら言ってくれ」
「うん」
「か、かわいぃ。な、なんだこの耳は! 反則だ! 可愛すぎる……なんだこの生き物……あぁ……本当に可愛い」
「きゃっ。ふふっ……くすぐったいよぉ」
え、えぇ……
最初からマスターを信頼して、耳を塞いでいれば良かったと後悔した。
後ろを向いていなくても何をしているのか分かる。
マスターがルナを抱き寄せ、髪を撫でながら頬をくっつけているのだろう。
いつも凛としていて、女の子らしい行為など微塵も感じさせなかったあのマスターが、今は感情のままにルナのことをこれでもかというほど可愛がっている。
ごめんよ。マスター。
で、でもそんなマスターもす、素敵だと思う。
俺は心の中で謝罪を繰り返す。
「ルナちゃん、私と友達になろう」
「うん! なる。えっと、お名前は?」
「ルーネと呼んでくれ」
「じゃあ、ルーネはルナのお友達第一号だよっ!」
「おお、それは嬉しいことだ…………あぁ、ルナちゃんの笑顔が尊すぎてもうどうにかなってしまいそう……はぁ……持って帰りたい」
えっと……これほんとにマスター?
別人格が乗り移ったとかじゃないよね?
「よしっ、堪能したぁ。おいレオン、もう振り向いていいぞ」
「はいはい」
俺は何も考えずに塞いだ耳を離し、マスターを見下ろす。
「……おい」
「……? はい」
「何故……貴様……」
俺の行動に何か違和感を持ったのか、マスターは突然ぷるぷると震えだし、頬をものすごい勢いで紅潮させていく。
「な、何故、耳を塞いでいたのに……わ、私の声が聞こえているんだ?」
「えっ? ……あっ」
完全に忘れていた。
俺は何も聞こえない振りをし続けなくてはいけなかった。
だが、今更後悔しても時すでに遅し……だ。
「す、すみません……あ、あの……ふ、普段とは違うマスターもす、素敵ですよ?」
つい適当な事を口走った俺を、マスターは視線を逸らして再びルナを抱き寄せた。
「ルナちゃん……もう私の威厳も無くなったようだ」
「? いげん?」
「い、いや! そんな落ち込まないでくださいよ! 今のは俺の記憶から消すので大丈夫です!」
意気消沈したマスターを慰めるように言葉を繋ぐ。
「そ、そうだ! 俺がここに来る時はルナを連れて来ますから。友達でしょ? ね?」
「……レオンが来る時だけか?」
「ほ、他のメンバーが来る時も言っておきますよ? ルナはどう?」
「うん! 来たい!」
「ほら? ねっ? ルナもマスターに懐いているようですし……ね?」
「……ふむ。ならいい」
キリッといつもの表情に戻ったマスターを見て、俺はふぅと胸を撫でおろすのであった。
「それでレオン。<迷いの森>の詳細な状況を教えてくれ。龍の件ではなく、転移の件だ」
「はい。まず、ルキースに言ったことは、本当は少し嘘を混ぜているんです」
「ほう? それは?」
「龍ではなく、本当は邪龍でした。でも、その邪龍はとてもいい奴で……今は<迷いの森>で眠っています」
「……なるほどな」
眠っている。
この言葉の意味を察してくれたんだろう。
マスターはそれ以上追及してこない。
「それで? その邪龍が転移を行使していたと?」
「え、えぇ。そうですけど……あの……マスター?」
「ん? なんだ?」
「膝にルナを乗っけて話すの止めません?」
そう。
マスターはこんな大事な話を、愛おしそうにルナを見つめながら聞いていたのだ。
「何故だ……?」
「い、いや、マスターが聞いてくれてるのは分かるんですが……その……」
「なら、いいだろう。ね? ルナちゃん」
「……うん」
ブラックの話をしたからだろうか。
ルナの表情からは先程までの笑顔がなくなり、瞳には暗い影を落としていた。
「ふむ……その龍はルナちゃんのお父様だったのかい?」
「……っうん」
「そっか……でも、そのお父様は悲しんでいるかもね」
「えっ? なんで?」
「だって、ルナちゃんの笑顔はすごく可愛いから……そんな顔されちゃ天国で困ってるかもしれないよ?」
俺はマスターの言葉一つ一つを、聞き逃さないように耳を傾けていた。
この人は……人の心を読む天才だと思う。
ブラックの話をしたが、ルナがブラックに育てられた子供ということは一切話していない。
なのに、マスターは邪龍の件とエルフの子供。そして、そのブラックが眠っているという話をした時のルナの表情から、全てを読み取ったのだ。
点と点を頭の中で線にする。俺でも一生真似できないものだと尊敬の念を抱く。
「ブラックっは……天国まで行けた?」
「もちろん。ルナちゃんに愛情を目一杯注いでここまで育てたんでしょ? 天国に居るに決まってる」
「……っうん。あのね? ル……ナっね……言えなかった……のっ」
「何を言えなかったの?」
優しい表情でルナを見つめるマスター。
「っ……ブラックに……おとうっ……さんって」
その言葉と共にルナの大きな瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ルナねっ……あの時ねっ……こと……っばにできなくって……っ。ブラ……ックが天国に……いっちゃうのに……伝えられなかったのっ……っうっ……うぅっ」
ルナはずっとその事を……
涙を必死に拭いながら泣いているルナを見て、俺の胸がズキズキと痛んでいく。
マスターはそんなルナに対して、とても優しい声色を作り頭を撫でた。
「……そっか。じゃあ、今ちゃんと伝えよう?」
「……えっ?」
「今もお父様はルナちゃんのこと、あのお空の上から見ているよ……今なら伝えれるでしょ?」
「……でもっ……でもっ」
「大丈夫だよ、ルナちゃん。レオンも私も居るから……ほらっ、笑って」
マスターのその言葉にこくりっと頷いたルナは、一度深呼吸をして屈託のない笑顔を浮かべた。
「大好きっ……お父さんっ。ずっと……見守っててねっ」
窓から見える空を見上げて、天国にいるはずのブラックに言葉を送る。
その様子はとても儚く、とても尊いものであった。
「んっ、これで届いたよ。お父さんも笑顔になってるはずだ」
「本当っ?」
「そりゃそうさ。さぁ涙を拭いて? ルナちゃんが笑顔じゃなきゃ、レオンも悲しんじゃうよ」
マスターはハンカチをルナの頬に当てて、赤子をあやすように身体を揺らす。
「……ありがとうございます」
「いいよレオン……君も大変だったな」
マスターの心の底から出た声が暖かすぎて、俺は天井を見上げることしかできないのであった。




