第49話 不安
「ルナ、起きて」
自室に入った俺は、背中に背負っているルナを揺さぶりながら声を掛ける。
「……んっ。あれ? ここは?」
「ここは俺の部屋だよ。ルナが寝ている間に王都に着いたんだ」
「……そっかぁ」
前屈みになり、まだ寝ぼけているルナを地面に下ろす、
さて、これからどうしようか。
<迷いの森>の件をマスターに報告する事や、ルナやゼオをみんなに紹介する事。
ブラックの件の言い訳も考えなくてはならない。
問題は山積みだ。
「とりあえず、みんなが帰ってくるまで待つしかないか……」
ぼそりと独り言を呟き、俺は久々のベッドに倒れる。
「みんなって?」
「あぁ。俺の仲間たちだよ。帰ってきたら紹介してあげる」
「……うん」
ルナは背負っている荷物を起き、俺の隣にぽすっと腰を下ろす。
「ねぇねぇレオン。これからルナはどうしたらいいの……?」
倒れ込んでいる俺の視界からは、ルナの表情は見て取れない。
だが、その声色から察するに、どこか不安そうであった。
俺は上半身を起き上がらせ、ルナの頭を撫でる。
「今は何も考えないでいいよ。ただ言えることは、今日からこの家がルナとゼオの帰る場所ってこと」
「帰る場所……」
「そう。だから、安心していいんだよ」
俺はできる限り精一杯の優しい声色を作る。
カルロスは<魔の刻>のメンバーが納得するかどうか怪しいという風な口調で話していたが、俺が必ず説得するつもりだ。
ルナとゼオの帰る場所が、もうブラックが居ないあの場所なんてのは、あまりにも悲しすぎる。
「ルナね、もう少し寝たいの。レオンは離れないで居てくれる?」
「うん、いいよ。じゃあ、昼寝でもしようか」
「うん!」
ルナの表情が柔らかくなり、微笑んだのを見ると、俺たちはそのまま同じ布団で眠った。
俺も相当疲れていたんだろう。
ルナの寝息が聞こえる前に、俺は眠りへと落ちたのだった。
「んー」
身体を伸ばし、薄暗い部屋の中で目が覚める。
そのまま置時計に目をやると、時刻は午後七時を回っていた。
「レオン、おはよう」
「あっ、ルナ。起きていたんだね」
「うん」
いつから起きていたんだろう。
隣を見ると同じ枕で寝ていたルナが、じっと俺を見つめていた。
この光景をレティナに見られたら、どう思われるだろう。
そう考えると、ゾッとした俺は上半身を起こす。
「ル、ルナ。一緒にダイニングまで行こうか」
「うん」
ルナの返事を聞いた俺はダイニングに向かう為、自室の扉を開く。
すると、後ろにいたルナは俺の空いていた左手を握ってきた。
ふむ。まぁ、今は仕方ないか。
俺たちは手を繋ぎならがら階段を下っていく。
「みんないい人だから安心してね」
「うん!」
よく寝たお陰だろうか、ルナの表情は今朝よりも明るいようだった。
ダイニングへと近づくに連れて、夕食のいい匂いが漂ってくる。
そのまま俺はルナの手を握りしめて、ダイニングの扉を開けた。
まず、視認できたのはレティナ、カルロス、マリーの三人。
本当ならば和気藹々と他愛のない話で、盛り上がっていてもおかしくはない。
だが、目に映る光景は全く違っていた。
誰も言葉を発しておらず、ダイニングに来た俺とルナをみんなが見ている。
俺は普段とはあまりにもかけ離れている雰囲気に、思わずたじろいだ。
「あの……みんなどうしたの?」
「レンくんおかえり。とりあえず座って?」
「う、うん」
レティナの指示に従い、俺はいつもの席に座る。
「ルナ。隣の席使っていいよ」
「うん。あ、あの初めまして。ルナって言います」
なんと礼儀正しい子だろうか。
俺がこの光景を見たら、まず逃げ出したくなるに違いない。
頭を下げたルナに対して、マリーが笑顔で返事をする。
「ふふっ偉い子ね。私はマリーよ。ルナちゃん……ちょっとごめんね。ゼオ君がカルロスの部屋に居ると思うの。今から私たち大事な話をするから、少し席を外してもらえるかな?」
「えっ……は、はい」
「ル、ルナ。カルロスの部屋分かんないよね? 俺と一緒に行こうか」
マリーの少しだけ高い声色から違和感を持つ。
これはもしかして……怒ってる?
俺は下ろした腰をすぐに上げ、逃げなくていけないと直感で思った。
今は落ち着く時間が必要だ。
何がとは言わないが……この雰囲気はまずい。
「レオン。俺が案内するわ。お前はとりあえずそこに座っとけ」
カルロスも俺と同じように席を立ち、ルナの手を引っ張ってダイニングから姿を消した。
去り際にルナの表情が、悲しみに満ちていたのを俺は見逃さなかった。
「……マリー。どういうこと?」
「いやいや、レオンちゃん。どういうことって聞きたいのはこっちなんだけど?」
「今から話す内容は別にルナが居ても構わないよね? なんで遠ざけるようなことしたの?」
少しだけ強めの口調になってしまう。
でも、これは仕方がない。
ルナのあの表情からは離れたくないという意思が、ひしひしと伝わったから。
俺の言葉にマリーではなくレティナが口を開いた。
「レンくん。大体の話はカルロスさんに聞いたよ。ルナちゃんとゼオ君を拠点に住まわせるんだよね?」
「うん。そのつもりだけど」
「んー、でも、部屋が無いよ?」
「無いって……一つ空いてるでしょ。そこでーー「それは嫌」
思わず、びくっと肩が震えた。
いつも優しいレティナが、俺の言葉を遮って拒絶したのだ。
今までそんな態度をされた事がなかった俺は、ただレティナを見つめるしかできない。
……カルロスがあの部屋を二人に使わせたら、レティナが怒るという話をしていたが……これはいくらなんでも……
俺は冷めた口調を放ったレティナと向き合う。
「……どうして嫌なの?」
「ごめんね、それは言えないの。でも、あそこは……あそこだけは誰であっても使わせない」
レティナの瞳には様々な想いがあった。
悲しみ、苦しみ、怒り、そして言葉には、有無も言わさぬ迫力があり、俺がこれ以上追求しても絶対に無意味だという強い思いを感じた。
あの開かずの間には、一体何があるんだろうか……?
ただ、今はそんな事考える余裕はなかった。
「……分かった。とりあえず、落ち着こうか。マリーは二人をここに住まわせる事は反対?」
「う~ん、別に反対ではないんだけどねぇ」
指を唇に触れながら考えるマリーは、何か引っかかるような表情をしている。
ふむ。
あんまり賛成って感じじゃないな。
ここまでルナとゼオが暮らすという件について、賛成意見がないとは思わなかった。
俺は顎に触れながら思考耽る。
すると、レティナはいつもの優しい声色に戻り、俺を真剣な表情で見つめた。
「……ルナちゃんとゼオ君の話を聞いた上で、条件付きなら賛成できるかな」
「条件って?」
レティナはそのまま言葉を続ける。
「まず、あの部屋を使わない事。それとレンくんの隣の席じゃなく、新しく椅子を買ってくる事かな。ゼオ君はカルロスさんの部屋で。ルナちゃんは私の部屋で我慢してくれるならいいよ」
「えっ……? レティナの部屋でなら、ルナがここに暮らす事に反対じゃないってこと?」
「うん……もしレンくんがあの部屋を使うって言うなら反対だったけどね」
なるほど。
正直なところ、開かずの間をルナとゼオに使ってもらうのが一番良かった。
落ち着ける場所が欲しいだろうし、何より二人が一緒じゃなくては、不安になるかもしれないから。
ただ、それが一番の壁というのならば、この妥協案を呑むしかないだろう。
「分かった。それでいいよ。ゼオはカルロスの部屋で良いって言ってるから、ルナの方は俺から言っておくよ。ちなみにマリーは? 最初怒ってたように見えたけど?」
何かを思考していたマリーに話を振る。
ルナから見たマリーは、きっと優しそうなお姉さんという第一印象を受けたかもしれない。
ただ、俺が聞いたマリーの声色はいつもと違ったのだった。
それは長年一緒に過ごしていた<魔の刻>のメンバーなら、誰でも分かるものだろう。
マリーは俺のことをじっと見て、はぁとため息を一つ漏らす。
「んー、別に怒ってたんじゃなくって……レオンちゃんが勝手に決めてるのが少し嫌だったわ。まぁ、レティナがその条件で賛成って言うなら私もいいわよ」
「そっか。ありがとう。あと、何も言わずにいきなりでごめんね。これからはちゃんと相談してから決めるよ」
マリーの言っていることは正論でしかない。
<魔の刻>のリーダーである俺だが、拠点に全く知らない子を暮らすという事を、相談もせずに一人で決めるのはまた別の話だ。
「えぇ、そうしてくれると嬉しいわ」
マリーはぱっと笑顔になって言葉を続ける。
「まぁ、カルロスも必死でお願いしてきたからね。あんなに頭を下げられちゃ、断る気にも起きないって」
ほう、カルロスが先に……ね。
きっとカルロスはルナの事もそうだが、ゼオの事も気に入っている。
もはや弟子にするのではないかと思っているくらいだ。
「あっ、それとレオンちゃん」
「ん? 他にも何かある?」
「ううん、それとは違って……おかえりなさい」
マリーのその言葉で、この拠点に本当の意味で帰ってきたような感覚がして、思わず笑みが溢れる。
「ただいま。マリー、レティナ。あれ? あとミリカは?」
「ミリカちゃんはレンくんが来る前には居たんだけどね? その……じゃんけんして負けたから、今は椅子を買ってきてもらってるの」
「あー、ルナとゼオのか」
「うん、そう。ミリカちゃんも二人が暮らすことに賛成って言ってたよ」
なるほど。
つまり元からあの開かずの間を使わなければ、全員賛成だったということか。
俺はルナとゼオがここに暮らせることができて、心の底から安堵した。
「おう、レオン。話し終わったか?」
丁度話が纏まったタイミングで、カルロスがダイニングに顔を出す。
「ちょっと……遅くない?」
「すまねぇ。ルナが少しぐずっちまってな。マリーの所為だぞ?」
「えっ!? なんで?」
「おめぇの顔が怖いからだっての」
「はぁ? なにそれ?」
マリーがカルロスの言葉に腰を上げる。
「キレてるのがあからさますぎだっつーの。もうちょっと優しくしねぇと男にモテねぇぞ?」
「えっ? 何、こいつ。もしかして喧嘩売ってる? ねぇレオンちゃん、私別に嫌な感じ出してなかったわよね?」
「う、うん。出してなかったよ?」
カルロスはルナがぐずった理由をきっと勘違いしているのだと思う。
この部屋から悲しそうな顔で出ていったのも、その後ぐずってしまった理由も明白だ。
それは昨日ブラックと永遠の別れをしたばかりなのに、今日ずっと一緒にいた俺とも離れるのが単純に寂しかったのだろう。
まだ勘違いしてるカルロスは訝しげな表情で口を開く。
「あぁ? レオン。お前もマリーに甘過ぎるだろ。あの二人と一緒暮らすつーことは、もう俺たちの仲間だ。分かるか? マリー」
「はぁ、本当にうっざいわ。あんたさぁ、人の気持ち分からないんだから、少し黙った方がいいわよ?」
二人の言葉はとどまることを知らない。
「あ、あの二人とも……」
俺は話を止めようと声を掛けるが、無駄だった。
「は? それどういう意味だ?」
「そのまんまの意味だけど? そんな事も聞かないと分かんないとか頭に何入ってるのかしら」
「うしっ。表出ろ。捻り潰す」
「捻り潰すとか笑える。あんたがそう言うなら別に私は構わないわ。レオンちゃん、レティナ、少し待っててね。すぐ終わらすから」
二人は椅子から立ち上がり、この拠点から出ようとする。
ルールその2 この拠点内での喧嘩は禁止。
だが、室外では関係ない話だ。
このままでは本当に喧嘩になると考えた俺は、勢いよく席を立ち、二人の間に割り込んだ。
「はい、そこまで。カルロス、ルナがぐずっちゃった理由は、マリーじゃなくて他の理由だと思うよ」
「……ふ〜ん。まぁ、レオンがそこまで言うならそうなんだな」
「何それ。気分悪っ」
「二人とももう落ち着いて? そもそもカルロスの勘違いから始まったんだから、ちゃんと謝りなさい」
俺の言葉にカルロスは怪訝そうな顔を浮かべる。
そして、気まずそうに頭を掻きながら頭を下げた。
「まぁ……悪かったな」
「……はぁ……まぁ……うん。こっちこそ熱くなったから……ごめん」
顔を背けながら謝る二人を見て、ほっと胸を撫で下ろす。
カルロスとマリーの喧嘩は別に珍しいものではない。
大抵はカルロスのこういう勘違いや空気の読めなさで喧嘩になるのだが、最終的にはカルロスの謝罪で事は収まる。
もしカルロスが変な自尊心でも持っていたら、今頃彼は<魔の刻>にいないだろう。
パーティーがギクシャクする不安要素を入れておく程、俺たちは甘くないのだから。
二人の温度感が下がったところで、俺はマリーとカルロスを席に座らせ、ルナとゼオを呼びに行くのだった。




