第46話 残された時間②
「レオン、起きろ」
昨日と同じように、カルロスの声によって目を覚ます。
「……あぁ。おはようカルロス」
「朝食の準備すっから、用意できたらキッチン来いよ」
カルロスはそう言うと、すたすたとキッチンに向い姿を消す。
今日が最後の日。
眠気を覚醒させて、起き上がろうとした。
だが、
「んん〜」
お腹をぎゅっと抱きしめられ、俺の行動が遮られる。
そっか。昨日はあのまま寝ちゃったんだっけ。
布団の中を覗くと、ルナが心地よさそうに眠っていた。
このままルナを起こすのも悪いし……どうしよう。
朝といってもまだ大分早い。
どれくらいかというと、朝食を作り終わってもルナとゼオが起きてこない時間帯だ。
ルナの頬をつんつんしながら思考に耽るが、いい案が思い浮かばない。
「……んっ」
小さな声で反応するルナは、寝息をすぅすぅと吐きながら、俺のお腹を抱きしめている。
仕方ない。起こさないように拘束を解くか。
俺は高難易度の任務を遂行する。
横向きで寝た為か、ルナの右手が俺の背中を掴んでいる。
その掴んでいるルナの右手の指を、一本一本優しく剥がしていく。
あと一本で任務完了だ。
そう思った時だった。
予想外な事に俺の動きが止まる。
俺は確かにルナの右手に集中していた。
全意識をそこに注いでいたと言っても過言ではない。
そのせいだろうか。
「お、おはよう。ルナ」
「おはよ……う。レオン」
ルナの大きな瞳が俺を映していた。
「起こしてごめん。ちょっとキッチンに行きたくて」
「……じゃあ、ルナも行く」
「ブラックの側に行かなくてもいいの?」
「うん。今、ブラックを起こしちゃうの可哀想だから……」
昨日の寂しさが残っているのだろうか。
ルナは少しだけ元気がない。
「そっ……か。じゃあ、一緒に美味しい料理作ろうか」
「うん」
ルナの手を引き、俺たちはそのままキッチンへと向かう。
このままルナの気分を落としたままじゃ、最悪の日になってしまうかもしれない。
よしここは!!
「レオン。お前は野菜でも切ってろ。俺とルナで料理つくっから」
「う、うん。分かったよ」
いや、まぁね?
べ、別に作ってやろうかな、なんて思ってなかったし……
俺は意気消沈したまま野菜を切る。
その様子にルナはクスクスと笑った。
うん、笑ってくれたし、これでいいか。
そんな事を思いながら、三人で仲良くゼオとブラックが起床するまで料理を作るのであった。
「いただきまーす!」
みんなで朝食を食べていると、カルロスがふと耳打ちしてくる。
「なぁレオン。お前が言った魔法……あれ本当に効くのか……?」
「えっ?」
「いや、もし耐性が付いているなら、多分効かねぇんじゃないかと思ってな」
「いや、ブラックは俺の魔法初めて見たって言ってたから……多分大丈夫だと思うけど」
カルロスの言葉に少しだけ不安がよぎる。
確かに今考えると絶対という保証はない。
龍というのは人間と違って別の生き物だし、もしかしたらカルロスの言う通り効かないことも……
そう想像するだけで背筋に冷たい汗が湧く。
ブラックは本当に喜んでいた。
ここ三ヶ月以上この場に居て、外に出ることもできなかっただろう。
自分からルナとゼオに近寄ることもできずに、ただ見守るだけ。
何度やりきれない思いを抱いた事だろう。
「まぁ、今考えてもしゃーねえな」
「うん。きっと……いや、必ず成功するよ」
神様なんかには祈らない。
自分の魔法を信じているからだ。
そのままゆっくりと時は過ぎていった。
終わりが近づくに連れて、ルナとゼオの口数が少なくなっていく。
その瞳には涙が滲み始め、拳をぎゅっと握る事でそれを必死に耐えていた。
「もうそろそろかな」
時刻は午後七時を回ったところ。
俺は少し早いが、立ち上がり話を切り出す。
「よし。じゃあ、ブラック……心の準備はいい?」
「…………うむ」
初日とは打って変わって、ブラックはか細い声を出す。
俺はそんなブラックを解放する為に、最後になるだろう魔法を行使した。
「痛覚遮断」
頼むぞ。
俺の想像通りなら触れた途端にブラックの表情は変わるはず。
臆するな、大丈夫。
ゆっくりとブラックに近づき、頭に触れる。
その様子をみんなが固唾を飲んで見守っていた。
「ぐがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ」
けたたましい叫び声に思わず耳を塞ぐ。
失敗したのか!?
でも、失敗したところで痛みが増すなんて効力はないはずだ。
後ろにじりじりと退き、俺はブラックに対して臨戦体制を取った。
叫び声を上げたブラックは俺に焦点を合わせ、口を開く。
「な、なんと言うことだ。レオン。これは久々の感覚である」
「……えっ?」
「うむ、痛みが完全に引いておる。確かに意識は多少気になるが、問題なかろう」
「うわ〜! ブラックが立ち上がってる。凄い凄いっ!」
「レオンさんの魔法、本当に凄いや……」
いや、そんな紛らわしい声出さないでよ……心臓飛び出るかと思った……
どうやら俺の痛覚遮断は成功したらしい。
立ち上がっているブラックにルナとゼオが抱きつく。
その二人をブラックは両の手の平で包み、背中に乗せる。
きゃっきゃっと喜んでいる二人を見て、やっと俺も少しだけ安堵した。
「レオン、やるじゃねぇか」
「いや、内心ドキドキだったよ……カルロスが不安にさせるようなこと言うからさ」
「あぁ、悪かった。でも、まぁ……信じてたぜ?」
「どの口が言う」
「この口だ」
ニィっと歯を見せるような笑顔を浮かべるカルロスに、コツンッと拳骨を落とす。
「でも、本当に良かった。これならルナとゼオに最高の思い出を残せるね」
「レオン感謝する。一刻だろうが、今この瞬間を無駄にはせぬ。さぁ、早くゆくぞ」
「……ん? どこに?」
「無論、外しかあるまい」
ふむ。
まぁ、散歩くらいなら大丈夫か。
「よし、分かったよ。じゃあ行こうか」
「うむ、背中に乗れ」
「えっ!? いいの?」
「無論だ。カルロスも早くするのだ」
「おう! じゃあ……よっと」
カルロスが地面を蹴り、そのままブラックの背中に乗る。
俺もカルロスに続いて、硬い鱗の上に座った。
「ブラックとお外行くなんて久しぶりだね」
「今日は特別だ。ルナ」
「ブラック、何処行くの? 僕は散歩がしたい」
「うむ。なら、まずは散歩をしよう」
ブラックは俺たちを乗せて、のしのしと大きな扉目掛けて進む。
王国の門のような扉をブラックは頭で押した。
すると、ズズズッとその扉が開かれ、真っ暗な森が目の前に現れる。
「ブラックはさ? 死霊ってどうしてるの? やっぱりブレスで焼いてる?」
「ふっ。そんな脆弱な魔物、息を吹けば消し飛ぶ」
流石邪龍だ。
言うことが違う。
「すげぇなそりゃ。俺も息を吹く修練でもすっか。レオンも一緒にどうだ?」
「いや、普通に考えて人間の俺たちには無理だから」
本気で考えてるのかただの冗談なのか……
あっ……この目は本気だ。
……はぁ。
ブラックが言ったように、俺たちに近寄る魔物は全て息を吐いただけで吹き飛んでいった。
こんな龍と俺が一緒の強さなんて、やっぱり有り得ない。
そんな事を思いながら、暗い森の中をブラックはゆっくりと歩く。
「月が見たい! ブラック!」
ルナが見たいと言えば月を見せたいに決まっているだろう。
ブラックはルナの言葉に翼を羽ばたかせて、宙に浮く。
そのままゆっくりと上昇した俺たちは、深い霧を抜けて空に浮遊した。
「これは……綺麗だな」
思わず感嘆の声が漏れる。
夜空を見れば満点の星空が見え、地上を見れば小さな村や王国の城さえも見渡せる。
「ねぇねぇブラック。僕もっといろんな所が見たい!」
「うむ、よかろう。今日は特別だ」
雲に近い高度を維持しながらブラックは進んでいく。
ルナとゼオが振り落とされない程度の速度だ。
「風が気持ちいい〜」
ルナが髪を押さえて、大きな瞳を細めている。
「一生に一度の体験だな。こりゃ」
「うん、そうだね」
この世界に空を飛べるような魔法は存在しない。
地面に風を発生させて宙に浮かせる浮遊という魔法はあるが、それは単純に浮くだけの魔法だ。
だから、子供に 「将来の夢は何?」 と聞くと、「空を飛びたい」 と答えるのもよくある話である。
そのままブラックは飛行して、村の真下を通る。
地上では村の住人たちが指を指しながら、ブラックを見ていた。
そこで、ある不安が俺を襲う。
いや、これまずくない?
「ブ、ブラック? あ、あの何処まで行くつもり?」
「ルナとゼオが満足するまで、何処までもだ」
「まだまだ足りな〜い」
「あっ! 僕、海が見たい!」
なるほどなるほど、いや、ちょっと待て。
俺は思考を巡らせる。
海までは……流石に行けないだろう。
魔法の効力もあるし、そこまで長い時間飛行することはできないと思う。
だが、海を見たいとゼオが言うならばブラックはその通りに動くだろう。
そうなれば、これは確実にまずい話になる。
邪龍が空を飛んでいるという目撃証言が多いほど、マスターは俺に疑惑の念を抱く。
それは何故か。
<迷いの森>であった出来事を、俺はマスターに報告をせずに隠した。
もちろんマスターも俺が隠し事をしていることは分かっているはずだ。
だから、<迷いの森>の方角から邪龍が飛んでいたなんて耳にすれば、俺がこの件に関わったという事がすぐに見抜かれてしまう。
……それだけは避けなくては。
俺は一度気持ちを落ち着かせて、ゼオの肩を叩く。
「ゼ、ゼオ? あのね? 俺の魔法は完璧じゃないんだ。だから、ブラックの飛行中に効力が切れる可能性がある」
「え〜」
「ごめんね。もう少し飛んでからまた戻ろう。あれからもう一時間は経っていると思うから」
「じゃあ、ルナはレオンたちが住んでいる王都見たい!」
「うむ。では、ゆこう」
少しだけ速度を上げたブラックは、王都目掛けて進んでいく。
俺はルナとゼオが振り落とされないように二人を抱きしめ、足に力を込めた。
ルナとゼオの身の安全も大切だけど……今さらっと何言った!?
「ま、待ってブラック!? 王都はまずい! 流石に俺の誤魔化しじゃマスターも納得してくれないと思う!」
「?? 何の話をしておるのだ」
くっ、ここはカルロスも味方になってもらおう。
流石に王都まで行けば市民が慌てふためき、冒険者や王国騎士団が黙っていないだろう。
俺は期待を込めてカルロスを見た。
が、彼は、
「ひゃっほう。すっげえなまじで。最高に気持ちいいぜ……お? レオンどした?」
もう誰か俺を助けてください……
「こんなにすげえなら魔の刻全員連れてこれば良かったな。最高の思い出だ」
「う、うん。そうだね……」
……よしっ!
後の事は未来の俺に任せよう。
俺は半ば投げやりになりながらルナとゼオを引き寄せ、両手で気持ちいい風を浴びるのだった。




