第44話 黒絶病
ブラックと俺がルナを見つめる。
ルナは呆然と立ち尽くしていた。
瞳に寂しげな影が宿し、ぽつんと立っているその姿は、まるで世界に一人取り残された子供のように感じた。
「ルナ……」
手を伸ばせば届く距離にいるルナに触れようとする。
だが、俺の手は空を掴むだけ。
どんな言葉をかけても……きっとルナには届かない……
そこで、ふとスカーレッドの言葉を思い出す。
(ごめんね。でも、現実は突きつけないといけないよ。レオン。)
知ってるよ……そんなこと……
俺はルナから視点を変え、意を決してブラックを見つめた。
俺の表情に何かを察したブラックは、一度だけ頷き話を切り出す。
「ルナよ……我が侵されている病は治らぬのだ」
ルナがブラックの言葉にぴくっと反応する。
しかし、表情は一切変わらない。
「黒絶病とは……死を意味する病なのだ。今まで言えずにすまなかった」
「……ぇ」
「もう……一緒におれぬのだ」
ルナはブラックを見上げる。
その顔には表情が消え、まるで夢でも見ているように口をぽかーんと開けていた。
「ルナよ、すまぬ」
「……どうして謝るの?」
「……」
「……お母さんとお父さんは死んじゃったんだよね? ルナにも分かったよ? でも、ブラックは生きてるよ?」
「……」
「なんでそんな悲しそうな顔してるの? ねぇ……ブラック?」
「……」
「今言ったのは嘘だよね……? そんなことありえないよ? だって、ブラックは一番強いもん」
「…………」
「なんで……なんで何も言ってくれ……ない……っの?」
「……すまぬ。我を許してくれ」
「いや……っ……そんなの……うそだっ……ねぇ、ルナっ……はブラックが……っ居てくれればいい……のにっ」
ルナの目からは大粒の涙が零れ、たどたどしい足取りでブラックへと近づく。
「ルナと……っゼオ……を……っおいて……いかないでっ」
「すまぬ……ルナ……すまぬっ……っ我も……っずっと一緒に……おりたかったっ」
「どうし……って? なんで……ブラックが死んじゃ……っうの? ルナが、ルナがっ……死んじゃえ……って言ったから?」
「違うっ違うのだ……ルナっ」
「謝るっから……神様に……っブラックにっ……謝るか……っら、お願い……ルナたちの……そばにいてよぉ……」
「すまぬっ……すまぬっ……ルナ」
「ブラック……いやっ……ブラックゥ……」
……どうしてこの子がこんな思いをしなきゃならないのだろう。
大広間に二人の泣き声が響く。
あまりにも痛々しい二人の姿に、俺は天井を見上げることしかできなかった。
ルナとゼオは両親を失った。
それは十年前での話であり、決して今ではない。
ブラックの存在が二人を支えて、二人の存在がブラックを支えて。
そんな関係がもうすぐ終わろうとしている。
ブラックが人を大勢喰い殺した罰だろうか。
十年という長さでは清算しきれなかった程のものだったのだろうか。
神がいるなら俺は心底落胆する。
この光景を見て、まだ……まだ償いが足りないというのならば……それは神の目が腐っているだろう。
俺の力では救いようがない現実に、俺は拳を強く握りしめることしかできなかった。
カルロスたちが指導から帰り、ゼオに事の真相を話す。
あの告白から今にかけて、ルナはブラックに抱きつき、ずっと離れなかった。
ブラックが黒絶病の真実をゼオに話し終わり、大広間に静寂が訪れる。
……ゼオはルナとは違い、涙を流さなかった。
「これが本当の嘘だよね? 僕は知ってるもん。ブラックは病なんかには負けないって。風邪なんて吹き飛ばすことなんて簡単でしょ? 僕は……僕は、お姉ちゃんとブラックの三人でずっと……ずーっと一緒に暮らすんだ」
「おい、ゼオ……目を背けるんじゃねぇ」
「カルロスさんは……いいよね。こんな話なんて関係ないんだもん。嘘つかれる身にもなってよ。お父さんとお母さんが幻影で……ブラックがもうすぐ死ぬなんて……そんな、そんなバカげた話あるわけないじゃないか」
「……確かにお前から見たら俺は関係ねぇ赤の他人だと思うかもしれねぇ。だが、残り少ないブラックとの時間をそんな風に思いながら過ごすのか? それでお前は満足できるのか?」
「……うるさい、うるさいよ……僕は信じない。だってこんなことあるわけない。なんで……なんで僕たちから全てを奪うの……?」
ゼオの言葉にカルロスが口を噤む。
そして、一度ため息を吐き、カルロスはゼオを見つめた。
「……まぁ、信じたくねぇよな。はぁ……ゼオ……それでも、てめぇがルナを守らなきゃ誰が守るんだ? ブラックが逝ってから、ルナが壊れたらどうする? それこそ……それこそ救いようがねぇだろうが」
ゼオはその言葉に顔を背け、全身で何かを耐えるように身体を震わせていた。
夕食は箸が進まなかった。
当たり前だろう。
今日一日色々ありすぎたんだ。
スカーレッドの事も考えないといけないが、今は何よりルナとゼオのことが心配だった。
ルナはブラックを抱きしめたまま離さない。
ゼオは夕食を一口も食べることなく、椅子に座っているだけだった。
時刻は午後十時過ぎ。
夕食を俺が片付け、カルロスはゼオの隣で腰掛けている。
残り少ない時間を……こんな悲しい結末で終わらせれない。
俺は席を立ち上がり、みんなの視線を集めるため手をパンッと打った。
「そうだ。みんな今日からここで寝よう」
俺の提案に各々が視線を向ける。
「ブラックと残り少ない時間。ずっと一緒にいたいでしょ? 俺がベッドを運ぶから、みんなはそこに居ていいよ。ちょっと待っててね」
俺はルナとゼオの部屋から、ベッドを大広間に持ち運ぶ。
ブラックの近くにルナのベッドを起き、まずルナを抱っこした。
「今日ずっとそのままの体勢だったから辛かったよね。ここならブラックが側にいるから安心して眠れるでしょ?」
俺の言葉にルナは小さく頷く。
そのままルナをそっとベッドに寝かせた。
布団を被せて頭を撫でた後、椅子に座っているゼオに近寄る。
「ほら。ゼオも」
「……行かない。僕は寝ないんだ」
「でも、寝ないと身体に良くないよ? ブラックが言ってたでしょ?」
俺の言葉に反応をしないゼオをどうしようかと悩む。
ルナと同じように抱っこをすれば、必ず拒絶されるだろう。
うーん。
「おいゼオ。今日も指導しただろ。さっさと寝るぞ」
「……行かない」
「ちっ、しゃーねぇな」
「えっ!? ちょ、ちょっと!」
「俺も隣で寝てやるから安心しろ。そのままずっといられるわけじゃねぇんだ」
カルロスはゼオを片手で持ち上げ、ベッドに運ぶ。
強引ではあるが、カルロスらしい優しさがその行為に溢れていた。
大広間の灯りを消す。
まぁ、灯りといってもここは王都ではないので、ブラックの灯りが灯り代わりだ。
灯りは消費する魔力が少なく、体力が底をつきかけているブラックにも使えるようで、非常に助かっていた。
ブラックの右にルナ。その隣に俺。
左にはゼオ。その隣にカルロス。
みんながこの部屋の天井を見ながら、思い思いに何かを考えているのだろう。
「ブラック……あと何日持ちそう?」
「二日……ほどであろう……」
半月も持たない……か。
ブラックの返答で、ルナが顔に布団を被せる。
聞かなきゃいけない。
真実をルナとゼオに伝えなくてはならない。
だから……ごめんね。
心の中でルナとゼオに謝る。
「そっか。じゃあさ……最後の一日だけは、ブラックに特別な魔法を掛けてあげる」
「特別な魔法……?」
「うん。これ本当は行使することがないと思っていたんだ。俺の魔法の中でも使い勝手が悪いし、対象に触れないといけないのが難点でさ」
ルナがもぞもぞと布団から顔を出し、潤んでいる瞳で俺を見つめた。
「その魔法……って?」
「痛覚遮断」
俺の手が紫色の炎に包まれ、暗闇を照らす。
「……我でも知らぬ魔法だ……もしやそれは闇魔法か?」
「まぁ、そうだね。これは秘密だよ?」
「……綺麗」
ルナの瞳に俺の炎が宿っている。
痛覚遮断は、対象者に触れると数時間、自身の痛覚が無くなるという魔法だ。
その代償として、効力が切れた時に襲いかかる痛みは、数時間分の蓄積された痛みが返ってくる。
昔拷問用に使ったことがあるが、行使した人間は蓄積された痛みに耐え切れず即死した。
何人かに試したが、効力が切れるタイミングは五時間程度。
今回は人間ではなく龍に行使するということで、効力が短いのか、はたまた長いのか想像もつかない。
ただ、感覚的には二時間は絶対に持つだろうと思っている。
「これを行使すれば、ブラックはまた動けるようになると思うよ。もちろん狂うという精神的なものは防げないけど、今の身体の痛みは無くなるはずだ」
「ほ、本当か!?」
「うん。俺は嘘をつかないからね」
ブラックは目を輝かせながら、鼻息を荒くさせている。
「あと、ルナとゼオには黒絶病の詳しい話をしてなかったかもしれないけど、罹った者はいずれ自我を忘れて狂ってしまうんだ。もちろん、ブラックも同様にね」
俺が話す内容にルナの瞳がまた滲んでいく。
ブラックの身体で見えないが、ゼオにも聞こえるように、少しだけ大きめな声で話を続けた。
「だから……二日後にブラックを俺が楽にさせる予定なんだ」
「えっ……?」
結末がどうなるか分からない。
ただ、これは伝えないといけないことだ。
ブラックがゆっくりと瞳を閉じる。
「ごめんね。俺を恨んでくれても構わない。それがルナとゼオの生きる道標になるなら、俺はそれでもいいと思ってる。でも、絶望しないで”生きる”という選択肢を……捨てないでほしいんだ」
うっうっとゼオのすすり泣く声が聞こえる。
ルナも俺の言葉に耳を傾けて、静かに涙を流していた。
「明日と明後日の二日間が、ルナとゼオがブラックと一緒にいられる時間。だから、残りの時間は大切に過ごしてほしいんだけど……ルナは嫌?」
俺の問いにルナは首をぶんぶんと振った。
俺はベッドから起き上がり、ルナの頭を撫でる。
「ゼオは?」
「大切に過ごすってよ」
カルロスが代わりに答えてくれる。
「ゼオは強い子だね」
「……まぁな」
ゼオはきっと返事ができないのだろう。
すすり泣く声が大広間に反響する。
「じゃあ、今日は疲れただろうしもう眠ろうか」
悲しみは二日間ではきっと癒えない。
だが、それでもこの二日間でルナとゼオの傷ついた心が少しでも癒えるようにと願う。
俺はルナの頭から手を離し、再びベッドに戻る。
ふかふかのベッドに身を預けた俺は、そのまま睡魔によって、ゆっくりと眠りに落ちていくのだった。




