第300話 ただ一つの問題
血濡れの襲来から二週間が経った。
あの事件をきっかけに、冒険者を完全に引退した俺は、皆が望む平穏な日常を送っている。
昔は夢にまで見ていた自堕落生活。
その頃の俺ならば、家で一人でいても特に何も思わなかっただろう。
だが、今の俺にはレティナとシャルがいる。
一人で二人の帰りを待つのも嫌いではないが、やはり職に就いていないというのは個人的に思うところがある。
そんな俺にマスターが新たなる職を用意してくれた。
その職とは冒険者の育成だ。
もちろんレオン・レインクローズとして表に出れば、冒険者活動はどうしたのかと変な噂が立つことが予想できる。
なので、ラリエルの姿で指導することとなった。
ギルドを屍人の群れから守った功績があるとは言え、たかだかEランク冒険者に指導を受けようとする者がいるのか。
誰しもがそう思うことだろう。
だが、その予想とは裏腹に初日で多くの冒険者が顔を見せた。
ただ、ラリエルの功績を聞いて指導を頼みに来た者は極少数で、大半がマスター公認の指導者をねじ伏せに来た者たちだ。
まぁ、冒険者というのは血気盛んな奴らが多い。
一つしかない功績でマスター公認だなんて、気に食わなかったのだろう。
そんな奴らをなぎ倒し、純粋に強くなりたいと残った者は十人未満。
最初に集まった人数を見て血の気が引いたが、ちょうどいい人数になったと思っている。
週二日で給料も悪くはない、正直最高だ。
職について、もっと前からマスターに相談すれば良かったな……
こうした生活を送れているのは、全てシャルとマスターのおかげ……いや、ラグラもだな。
ラグラと言えば、俺の正体に気づいた時、信じられない表情を浮かべていた。
だが、気づくきっかけは何度もあったはずだ。
たとえば、シャルが俺のことをレオンと呼んだり、少女たちが俺に対して感謝を述べたりと、明らかなヒントはあった。
それでも、俺の正体を見破れなかった理由は、単純に潜在意識が正常な思考を曇らせていたのだと思う。
俺とあいつは仲が悪い。
例え助け助けられても、素直にお礼を言わないような関係だ。
そんな相手を前にして、庇うような発言は死んでも言えない。
だが、奴はシャルに協力して、俺を庇ってくれた。
(なので、彼の身柄を騎士団が引き受けるのは遠慮しておきましょう)
俺の正体に気づけたタイミングは、あくまで俺を拘束しないと発言した後だ。
面と向かっては絶対に言えない台詞。
そんな台詞を吐いた後に、もしかしてこいつ……と思っても、素直に認めたくない気持ちは分かる。
ラグラの場合、無意識にその違和感を除外してしまったのだろう。
(君がいると知っていたら、ここへ来ることもなかったが……くっ、最悪だ)
ぶつぶつと呟きながら、後悔していたあいつの姿が今も目に浮かぶ。
まぁ、もしあいつが俺の正体に最初から気づいていたとしても、今の状況が大きく変わることはなかっただろう。
せいぜい、騎士団に一時拘束されたり、もっときつい言葉を投げつけられていたくらいだと思う。
でなければ、俺は今頃牢獄の中だ。
とりあえず、そんなこんなで色々と落ち着いた。
血濡れに破壊された街も元通りとはいかないが、徐々に修復されつつある。
ただ一つだけ問題があって……
「んで? 話ってなんだ?」
カルロスがジョッキを片手に、一つ眉を上げる。
「いや、その前に……なんでみんなもいるの?」
相談事をするためにカルロスを酒場に誘ったのだが、何故か七人でテーブルを囲んでいる。
俺、カルロス、マリー、ミリカ、ルナ、ゼオ、クロエ。
俺以外現在拠点で住んでいるメンバー全員だ。
「だって、カルロスがレオンちゃんと飲みに行くからって。そんなの付いてくるに決まっているでしょ?」
「ごしゅじん、全然拠点帰ってこない」
「な、なるほど……」
「レオン、聞いて聞いて? ルナたちアーラ王国に行ったんだよ!」
「えっ? なんで?」
「リリーナさんの護衛を任されたんですよ。専属冒険者なので」
ふむ、リリーナ絡みとなると、エルフの件か。
どのような経緯でそうなったのか定かではないが、表情を見るに悪い話ではなかったのだろう。
「もう戻ることなんてないと思ったのにな。人生って不思議だ」
クロエが物思いに耽る。
あの国では悲しい出来事ばかりがあった。
だが……
「悪くなかった?」
「あぁ、楽しかったぞ!」
満面の笑みを向けるクロエ。
言葉を尽くさずとも、この表情だけで全てを語ってくれている。
「ルナ、お城の中初めて入ったの! すごかったよ! リリーナちゃんのところよりもキラキラしてて、廊下を走っても誰ともぶつからないの!」
「お姉ちゃん……騎士さんに優しく注意されてたよね?」
「……あ~、楽しかったな~」
肩を落とすゼオを見ないように、ルナはちょびっと果実水を飲む。
みんなと会わなくなっても、何一つ変わらない。
ずっと話を聞いていたいくらい居心地の良い空間で……
「って、そんな話を聞きにきたわけじゃないんだ!」
「お、おう……」
「相談事があって……この際みんなにも解決策を一緒に考えてほしい」
「そ、それは一体どんな相談なんですか?」
言葉に詰まりながら、ゼオは口を開く。
俺の表情を見て、ただ事ではないと察したのだろう。
無論、今回の問題は俺にとって、人生の分岐点と言っても過言ではないほどの問題だ。
みんなの前で口にするのは情けないが、ここに集まった手前後には引けない。
「実は……」
ゴクリっと誰かの唾を呑む音が聞こえた。
「レティナが口をきいてくれないんだ」
「……」
酒場は活気づいているのに、まるでここの席だけが世界から切り離されたような静寂が漂う。
みんなも事の重大さを分かってくれたのだろう。
さて、そうなった経緯も話さないと。
「少し前にレティナと約束──「いや、レオン。俺はその事知ってるぞ?」
「えっ?」
素っ頓狂な声が出てしまった俺に対して、カルロスは話を続ける。
「お前がレティナとの約束を破ったんだよな? あいつが怒るのも無理もないだろ」
「約束ってなんですか?」
「色々とあるんだけど、一番は危ないことはしないっていう約束を破ったことね」
「え~、それはレオンが悪いよ~?」
「ミリカ、擁護できない」
「もしかして、こないだあった血濡れの件って──「クロエ、それ以上言うな」
「は~ん、なるほど。まっ、レティナが怒るってことはレオンが悪いな」
レティナが家に帰ってきたのは二日前。
マスターが血濡れの件で伝魔鳩を送ったとは思うが、どうやらそれは迷宮の濃い魔素にかき消されて届かなかったらしい。
まぁ、それは些細なことだ。
例え届いていたとしても、間に合わなかった可能性の方が高いだろう。
確かにみんなの言う通り、全て俺が悪い。
迷惑も心配もかけて申し訳なく思っているけど……みんなもうちょっとだけ言葉の棘を抜いてくれてもいいんじゃない?
せめて一人くらいは……いや、本当に俺が悪いんだけど。
しょんぼりとしている俺に、カルロスが 『はぁ』 とため息を吐く。
「だから、仲直りの仕方を聞きたいと」
「はい、その通りでございます」
「レオンちゃん、普通最初に声を掛けるのは私じゃない? 女心分かってないカルロスに相談しても何の意味もないわよ」
「あ? てめぇ、俺をなんだと思ってやがる」
「戦いにしか興味ない脳筋冒険者」
「はぁ? てめぇも大して変わらねぇだろ。つか、俺の方がレオンに信頼されてるってこと分かんねぇのか?」
「そんなことないわよね? レオンちゃん」
「う、うん。別にそんなことないけど」
「ぷっ。ほ~ら、あんたの勘違いだって。恥ずかしいわね~」
「てめぇに気使ってるだけだろ」
「ぷぷっ、恥ずかし~」
「うしっ、表出ろ」
「そういうところが脳筋だって分からないの? まぁ、いいけど」
「ちょ、ちょっと待って! 今日だけは喧嘩しないで!」
おい! この流れもいつもと変わらないのかよ!
ここだけは変わってくれ! 頼むから!
「話は分かったよ! 女心ならルナに任せて!」
「お、おぉ! ルナ! 何か案でもあるのか?」
「えっとね、プレゼントとかあげたらいいんじゃないかな? 絶対喜ぶと思うの」
「プレゼントか……」
「それは逆効果じゃない? お姉ちゃん。レオンさんが相談するほどレティナさんが怒っているなら、物で許してくれるとは思えないよ」
そうだよな……喜んでくれる想像がつかない。
むしろ余計に溝が深まりそうだ。
「あっ、レオン。果実水無くなったから頼んでもいい?」
「う、うん。いいよ」
女心なら任せてとはなんだったのか。
「ごしゅじん」
「おっ、ミリカ。何か思いついたか?」
「うん、レティナねーねにあれ使う」
「あれ?」
「そう、あれ。もう使った?」
漆黒の瞳を一心に向けてくるが、いまいちピンとこない。
あれを使う。
ここで隠語を使用するということは、あまり口に出せないことなのだろうか?
そう思った俺はミリカの耳元で囁いた。
「ごめん、あれって何?」
「前に渡した青い液体」
青い液体……?
「そんなの受け取ったっけ?」
「受け取った。アーラ王国に行く前に」
俺は目を瞑って思い出す。
リリーナの馬車を手配し、みんなが見送ってくれて、それで……
(ごしゅじん、これ)
(ん? これって……)
(惚れ薬。役に立つ)
(う、う、うん。じゃあ、一応……)
「っ!」
完全に思い出した。
ミリカが一度だけ俺に使用した強力な惚れ薬。
ほとんどの状態異常に耐性がある俺ですら、あの薬の作用には抗えなかった。
つまり、レティナに服用すれば、怒りなど一瞬で吹き飛ぶこと間違いなし!
そうこの子は言っているのだろう。
「ミリカは使って大丈夫だと思う?」
「薬の効力切れるまでは」
「切れたら?」
「多分ごしゅじん死ぬ」
「だよね」
いや、使うつもりなんて毛頭なかったが……
解決の糸口が見えず、思わず頭を抱えてしまう。
レティナがここまで怒るのは初めてだ。
それほどまでに、あの約束を信じていたということなのだろう。
「思っている以上に、だいぶ深刻そうだな」
「まぁね……」
「話を聞く限りでは、どちらの気持ちも分からなくはないけど……」
今でも街を守ったことに後悔はしてない。
だが、その前にちゃんと話をするべきだったと思う。
そうすれば、こんな悩みを持つこともなかったというのに。
「精神誠意謝ったんだよな?」
「えっと……謝ったのは謝ったんだけど、その……顔をあんまり合わせてくれないというか、話し出そうとする前に部屋に戻っちゃうんだ」
「なら、強引に話をつけるしかねぇよ。逃げるなら腕をとれ。部屋から出てこねぇなら、扉をぶっ壊せ。このまま長引いてもなんもいいことねぇぞ」
「まぁ、扉を壊すのは能筋すぎるけど、私もその方がいいと思うわ。というか、今のレティナにはそういう強引さが必要かも」
「……」
『逃げるなら腕を取れ』 だなんて、もうこの二日間で実行している。
だが、振り払われて、部屋に戻ってしまうんだ。
そうした状況もあって、誰かに相談しようと決めたのだが……
「そうだよな、扉をぶっ壊すつもりでいかないとな」
「いや……」
「おーう! その意気だぜ!」
「はぁ……」
まったく男って……というような表情をするマリー。
ただ、呆れ以外にも少し嬉しさのような表情が隠しきれないでいる。
「仲直りしたら、ちゃんとルナに報告するんだよ? ゼオと一緒に紙吹雪作って待ってるから!」
「お姉ちゃん絶対途中で飽きて僕にやらせるでしょ……」
「私はやらないからな~」
「ごしゅじん、赤い液体もある」
最近ずっとレティナと仲直りする方法を模索していた。
このままではいけないと思いつつも、この二日間はまったく進展がなかった。
だが、みんなに打ち明けたことにより、打開策が見つかった気がする。
どんよりとしていた気分も、少し軽くなったようだ。
よしっ、今日はシャルがレティナと一緒に過ごすって言ってたし、明日レティナが依頼に行く前に土下座してでも、話を聞いてもらおう!
そこまですれば、さすがに耳を傾けてくれるはずだ!
そう心に決めて、赤い液体についてはあえて触れないようにした。




