第296話 小さな手
街を囲っていた黒い帷は形を変えて、いつのまにか街を覆い隠す半球体状のものになっていた。
その中心から流れ出ているおぞましい呪物の塊。
人の怨念が終結されているようなそれは、まるで滝のように街を侵食していた。
その呪物を食い止めるために、多くの魔法が放たれているが、全く効力がないようだ。勢いは衰えない。
ラグラが言っていたのは……あれのことか。
時々、他の魔法とは別格の威力を持った光が目に映る。
おそらくラグラの攻撃だろう。
流れが一度途切れはするものの、焼け石に水のような感じだ。
完全に消滅させるには、きっと街を覆っている結界のようなものを破壊しなければならない。
(殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。)
「っ」
一瞬だけ思ってしまった。
あのまま放置すれば、多くの人間が死んでくれる。
この王都だけではなく、世界をも呑みこめば……どれほど面白い光景なのか、と。
そんな事を思ってしまう時点で、俺はラグラたちと合流はできない。
まだ自分の意識があるだけで、奇跡だと思っている。
それほどまでに、いつもの黒い感情とは別格の辛さがあった。
「血濡れの最期の仕事……ね」
秘術に消費するものは大きく分けて二つ。
魔力と闘気。
ただ、もう一つ代償として懸けられるものがある。
それは命だ。
命を消費しての秘術。
それは魔力や闘気とは比較にならないほどの力を持つ。
ベルティーはその命を懸けたのだろう。
俺には勝てない、逃げられない、そう悟ったかは定かではないが、確かにあれなら世界樹を破壊できていたかもしれない。
ここで奴らを食い止めた俺は、何かしらの賞を授与されてもいいのではないだろうか?
「報酬はレティナとシャルの二人からがいいな……」
今までずっと我慢してきた魔力を解放する。
すると、腕に付けていたビーズのブレスレッドが弾け飛んだ。
地面に落ちたそれは俺の身体から離れたことにより、破片となった魔法検知リングへと変化する。
期待はしてなかったけど、やっぱり壊れちゃうか。
ここにきて魔力を解放した理由。
そんなものあれを消滅させるために決まっている。
自分自身、仲間や家族のことを考えれば、見て見ぬふりが一番だっただろう。
だけど、思い出したんだ。
冒険者になった理由を。彼女の言葉を。
「秘術 深淵に帰す」
空間が歪み、家屋が悲鳴を上げるように軋む。
その中で放たれた俺の魔法は、流れ落ちる呪物の根元に直撃した。
命と引き換えに展開されたベルティーの秘術。
それは一瞬にして粉々に砕け散る。
国の宝具さえも消し去る禁断の秘術だ。
たとえそれが命を賭して放たれた秘術でも、相殺はできると確信していた。
できなかったらできなかったで、その時はもう終わりだと諦めていたことが、その自信に繋がったのかもしれない。
結界が砕けるのと同時に、断末魔のような叫びを上げながら、呪物が消滅していく。
その様子は、まるで悲願を達成できなかったベルティーの嘆きのように聞こえた。
「っ」
身体が重い。
それだけではなく、頭の軋みがより一層強くなった気がする。
このまま意識を失えば、マスターが派遣してくる冒険者に捕らえられてしまうだろう。
ローブで容姿を偽ってはいるが、あの人の目を二度も欺けるとは思えない。
目が覚めた時に牢獄など真っ平ごめんだ。
幸いにも意識を失う瞬間は分かっている。
それは空を覆っている闇が晴れた後。
血濡れとの戦いは終わった。
そう信じるしかない。
ガタガタの身体を動かし、人気のない路地裏へと向かう。
これからどうするか。
あの呪物によってどれだけの被害が及んだのか。
シャルは無事なのか。
思考がぐるぐると回りながらも、何とか身を隠せる場所に辿り着き、壁にもたれたままズルズルと腰を下ろす。
もう疲れた。
疲れに疲れきった。
俺はゆっくりと瞼を瞑った。
正直、早く意識を失いたかった。
身体の痛み、黒い感情、未来への不安、その全てから解放されたくて。
(殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。)
……黙れ。
(思い出せ、あの憎しみを。殺せ、欲望のままに。)
だから、黙れって。
(目を背けてももう遅い。貴様は深淵を覗いてしまった。)
……黙れよ。
(我を呼び起こした起因、忘却した過去。今こそ貴様の欲望を解放する時。)
ザッ……ザザッ
「……っ」
ノイズが起きようとするのを、歯を食いしばって耐える。
受け入れたくなるほどの苦痛。
だが、それを受け入れれば、全て終わってしまうと感じた。
思い出すな、何も。
こんな声は無視すればいい。
必死に無を意識しながら、秘術の反動が来るのを待つ。
だが、一向にその時は訪れない。
もう意識を失ってもおかしくない時間が過ぎたはずだが……
(殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。)
「はぁはぁ……」
視界がぼやけている。
いや、ぼやけているというよりかは、世界が歪んで見える。
ここはどこなのか、どうして俺がこんな目に合わないといけないのか。
全部が全部、理解できないでいた。
どうしたら……この辛さから逃れられるんだろう……?
俺はどうやって克服した……?
誰かを思い出したんだっけ? その誰かって……誰だ?
笑った顔が好きだった。
周りの誰よりも大人で、いつも仲間のことを考えてて、驚くほど真っすぐで。
そんな彼女が俺にだけ甘えてくれた。
それが何よりも嬉しくて、大切で……………それって誰だ?????
分からない。
頭が軋む。
思い出さなければいけない人。
この苦しみから救ってくれるのは……
誰? 誰? 誰? 誰? 誰? 誰? 誰? 誰?
ザザッ
ザザザザッ
ザザザザザザザザ──「やっと見つけた……」
酷くもやがかかった声が聞こえ、ゆっくりと顔を上げる。
視界が歪んで、うまく視認ができない。
声の主は俺の様子を見て、驚いているようだった。
こいつは人なのか?
もしも人じゃないなら何者になる……?
(殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。)
……悪魔。そうだ、そうに違いない。
あの占術師の予言通りに訪れたということか。
なら…………殺しちゃっても、いいよね????
手元に置かれていた剣を手に取る。
そして、俺は──
「レオン」
目の前の者はそうはっきりと口にした。
不安そうな、今にも泣き出しそうな……そんな声。
その声によって、まるで光が満ちていくように視界がゆっくりと晴れていった。
「……シャル?」
返事をした瞬間に、彼女は勢いよく俺に抱きついた。
「ばか! レオンのばか!」
シャルの温もりを感じる。
それはとても安心できるもので、先程までの苦痛も自分が何を考えていたかも、風のように吹き飛んでしまった。
「えっと……」
半分虚ろな状態であったため、まだ現状を把握できていない。
把握ができていないが……
「今の俺って俺じゃないよな?」
つい心の声が漏れてしまう。
よくよく考えれば、そうだ。
今の俺はラリエルという仮の姿であるはず。
自分の手を確認しても、やはり女の子の小さな手のままだった。
「シャル? 気づいてたの?」
彼女はこくりと頷く。
「いつから?」
この質問は俺が俺だと自白するようなものだ。
だが、少し震えながらにも強く抱きしめてくれるシャルの様子を見て、もう誤魔化したくないという気持ちが勝った。
「……助けてくれた時、確信したの。レオンだって。喋り方も雰囲気も全部そのままだったから……どうして何も言わずにいなくなったの」
「ごめん、ずっと閉じ込められてて」
「血濡れに……?」
「いや、とある店の中で。この姿を変えられるローブを作ってくれた店。まぁ、血濡れ関係と言われれば、そうなんだけど」
「……」
返事をしてくれない。
怒っているのも、当然だろう。
「本当にごめん、心配を掛けて隠し事をしてて」
「……隠し事?」
「この姿を見て、違和感を持ったよね。本当は俺、冒険者を続けていたんだ……この姿で。レティナにもシャルにも、マスターにも……みんなに隠してた。なんで一度引退して、元に戻ったのかっていうと……」
俺は冒険者を引退した理由を、ずっとうやむやにしていた。
何故なら、彼女の呪いが発端となり、闇魔法を行使ができることをマスターに知られてしまったなんて、責任感の強い彼女は絶対に自分を責めてしまうと思ったから。
だけど、気づいたんだ。
隠し事はいつか明るみになる。
それなら自分の口で伝えた方がいいと。
たとえ、それで傷ついたとしても……
「実は──「私のせい……だよね」
「えっ?」
唐突すぎる言葉に、思わず声が裏返る。
「知ってたの。レオンが冒険者を引退した理由も、魔法検知リングのことも」
「……もしかして、レティナに聞いたの?」
「違うわ。私がマスターに問い詰めたの。だって、レオンが突然冒険者を引退するなんておかしいじゃない。ずっと人のために動いてた貴方が自分から辞めるはずない。絶対私に言えない理由があるって」
あまりにも衝撃な事実に驚く俺に対して、シャルは続ける。
「呪いを受けた私のうわ言……それでマスターは確信に至った。そんなの言えるわけないよね……だって、私のせいでレオンの人生が狂ってしまったんだもの」
「それは違う! 狂ったなんて一切思ってない!」
「でも、こうしてレオンは魔力を解放しちゃったでしょ? 街のみんなを守るために、私を守るために」
「……」
「きっと街が落ち着いたら、マスターは貴方を探すわ」
捕まったら牢獄行きは免れない。
そんなの誰でも分かる事実だ。
逃げればいいという言葉は、現実に直面して初めてとても重い言葉だと実感した。
俺と一緒にシャルも逃げれば、彼女もまた共犯となる。
その時に、両親や仲間と再び会えることなどきっとないだろう。
「今度こそ私がレオンを守ろうと思ったのにな……」
シャルは涙混じりにそう呟いた。
会議の時も感じたが、彼女の強い決意は本物だった。
それは占術師の予言を回避するため。
ただそれだけだと思っていた。
だが、おそらく俺の事情を把握した上での発言でもあったのだろう。
人を殺せば殺すだけ、黒い感情……殺戮衝動が引き起こされる。
だから、自分の手で俺を守ろうと。
ふぅ、と一呼吸を入れる。
逃げるにしても、シャルに選択権を委ねてはいけない。
きっと彼女は断らずに受け入れてしまうからだ。
「……潔く捕まるか」
「えっ……?」
だから、この選択肢が一番だと思えた。
「血濡れを倒して、街も救ったなら、きっと情状酌量の余地はあるでしょ。そこに懸けようかなって」
「……一緒に逃げよって、言ってくれないの?」
「ごめんね、一緒に逃げても、多分罪悪感で俺は笑えない。だから、これは俺の我儘なんだ」
この街を救った事に悔いはない。
みんなに秘密で冒険者を続けていたことも、間違いではなかったと思っている。
多くの市民を救えた。
カレンを救えた。
冒険者を救えた。
(人を守れる力があるから……冒険者になりたいの)
あの言葉を思い出したことが、何よりもそう思わせているのかもしれない。
こちらをじっと見つめているシャルは、数秒経った後、パチンっと自身の頬を両手で叩いた。
「嫌、やっぱり嫌」
「シャル……」
「もう流されたくないの。レオンの優しさに甘えたくないの……もう弱い私にさよならしたいの」
未だにシャルの瞳は滲んでいる。
だが、心配など不要なほどにその瞳から強い想いを感じ取れた。
「私が何とかしてみせる。今度こそ絶対に。立てる? とりあえず、治療しなきゃ」
シャルが手を差し伸べてくれる。
いつかの日とは、真逆の立場だ。
……今は今だけはこの子を目に焼き付けておこう。
たとえ望んだ未来に辿り着かないとしても。
俺は差し伸べてくれた手を取った。
同じくらいの小さな手を。




