第295話 憎悪の声
濃い瘴気が膝の高さで漂っている。
おそらくこれは今もなお、広がり続けているだろう。
あの少女たちのように隠れ潜んでいた者が近くに居たとするのならば、もう全滅しているに違いない。
「良かった。ちゃんと死んでくれたんだね」
瘴気を溢れ出している元凶の元へと辿り着く。
そいつはグレイの亡骸を抱きしめながら、うずくまっていた。
「……まさかキルスだけじゃなくて、グレイも殺すなんて驚いたなぁ」
「……何のことだろう?」
「ずっと違和感があった。お前みたいな奴がなんで名も知れ渡ってないのか……それ、ロザリーが作ったローブだろ」
ふむ、これはもう確信を得ているな。
「レオン・レオンクローズ。一度じゃなく、二度までも神の意志を妨害してくれたな?」
顔を上げて、俺を見るベルティー。
その瞳に宿るのは無だった。
怒りや悲しむなどの人間的な感情は一切ない。
心が砕けて、死んでしまった。そういうものでもない。
思考が読める、感情が分かる、共感ができる。
それは人間同士なら、必ず感じ取れるものだと思っていた。
だが、彼女はどうだ?
人ではない別の何か。それこそ、邪神が宿っているかのような。
奴に負けるはずがないと分かっているのに、何度も殺すほど戦っていたというのに、ぞわぞわと肌が逆立つ。
「どうしてこの狂った世界を守る? 生命は生き続けるかぎり、苦しみ続けるっていうのに」
「はぁ……そりゃあ、生きていると悲しい事も苦しい事もある。だけど、それ以上に楽しい事も嬉しい事もたくさんあるんだぞ」
「死という永遠に辿り着ければ、その負の感情全てが無くなるんだよ」
「そんなの行ってみないと分からないだろ。死んだ人がそう教えてくれたわけでもないんだし」
きっとどれだけ会話を交わしたって分かり合えないだろう。
思い直して改められる人間であるのならば、今俺の前には居ないはずだ。
「それより、早く続きをしようよ。まだやるつもりなんでしょ?」
グレイが死んだからと言って、世界樹を破壊する使命を諦めるとは思わない。
これ以上瘴気を蔓延させないためにも、早めにケリをつけねば。
剣を抜き、ベルティーに向ける。
だが、奴はまるで戦う気がないように、座ったまま小さく笑った。
「お前は世界樹を間近で見たんだよね?」
「いきなりなに?」
「幾重にも張り巡らされた結界、世界樹に触れるのさえも許されない神の試練、ロザリーの魔道具じゃ、あれは突破できないとキルスに教えてもらった」
記憶が無いから、覚えていないんだよな。
まぁ、話している内容から察するに、あの店主の魔道具は世界樹の入り口に張ってある結界を破壊するものであり、世界樹本体に張り巡らされている結界は破壊できるものではなかったと。
なら、どうやって世界樹を壊し、世界を終わらせるつもりだったんだ?
「でもね、キルスならそれを破れたんだ。世界樹に触れたことで作り出せた秘術で」
「ふ~ん、そうなんだ」
あぁ、そう言えば、世界樹は神の守護を破る魔道具とキルスの秘術がないと破壊できないんだっけ。
「きゃはっ、呑気だね~」
「呑気って、そんな話を聞かされても、キルスは死んでるだろ。だから、もう──」
そこでふとある違和感を覚えた。
キルスの秘術でしか破棄できない世界樹。
奴が死んだことによって、それはもう叶わない願いとなったはず。
だが、ベルティーとグレイは再びその願いを叶えるために動き出した。
無策で行動しようとする馬鹿な奴らではないだろう。
つまり、キルスと同じような秘術を編み出した……?
そんな事を思った時、強く風が吹いた。
濃い瘴気で前が見えない。
ただその中でも、警戒は怠らない。
奴がこの瘴気に乗じて逃げないか、襲い掛かってこないか、その二点を意識して風が止むのを待った。
徐々に視界は晴れていく。
すると、眼前に映る光景は先程とは全く違うものとなっていた。
「キルス、グレイ、ババーリ、レイゼッド、見ていて。これが血濡れの最後の仕事だよ」
今まで見た棺とは一回りも二回りも大きい棺が立っている。
その周囲には、おびただしい数のドールたちが整然と立ち並び、こちらを無表情に見つめていた。
空気が重く、肌に纏わりつくような濃縮された魔力。
一般人がこの場に居れば、即失神してしまうほどである。
これはまずい。
強烈な危機感を覚え、地を蹴る。
何かをする予兆であるのは明白だった。
距離を詰めきり、ベルティーの首を狙って一閃放つ。
魔法の詠唱さえもできないほどの速さで放ったはずだった。
「秘術 世界再構築」
まるで時が止まったようなゆっくりとした時間の中、そう奴は口にした。
「っ!?」
剣が虚空を斬る。それと共に視界が真っ赤に染まる。
ベルティーの首を落としたわけではない。もちろん俺の身体に何かあったわけでもない。
何が起きたのか定かではないが、奴は魔法を放った瞬間、赤い霧状へと成り代わった。
棺もドールも全て。
「これどこかで……」
俺は茫然と立ち尽くす。
魔法を唱えたということは、何かしらの効力があるということ。
だから、一旦この場を抜けて、冷静に状況を確認することが先決だった。
だが、足は動かない。
この状況は初めてにも拘わらず、何処かで見たことのある光景だと思ったからだ。
赤い魔力の残滓……赤い……
ザッ
(ねぇ、レティナ……本当にこいつは秘術を使えないの?)
ザザッ
(うん、大丈夫だよ。レンくん)
ザザザッ
(レティナがそう言うなら、安心かな)
ザザザザッ
ザザザザザザザザザザザザザザザザザザッ
「うっ!?」
尋常ではない頭の痛みに、思わず膝が折れる。
レティナと会話をして……その後、何かが見えた。
大きな木に……誰かが……
(殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。)
「ぁぁぁああああああああああああ」
狂いそうになるほどの憎悪。
これまで体験した黒い感情とは比較にならないほどのものだった。
抗わないと持っていかれる。
それを自覚し、歯を食いしばって必死に耐える。
だが、それでも耐え難い憎悪は収まりが効かない。
血が出るまで拳を握り、頭を地面に打ち付ける。
それが今できる最善の策だった。
「おい!! 何をしているんだ!!」
そうしていると、突然肩を掴まれた。
振り向くとそこには、心配そうな表情をしているラグラがいた。
「呪いを受けたのか? それとも、別の──」
(殺せ!!!!)
「っ!?」
無意識に剣を振ってしまう。
それをラグラは危機一髪に受け止めた。
「ほ、本当にどうしたんだい?」
憎悪の声は収まらない。
むしろ、先程よりも強くなっている気がする。
「はな……れろ……っ」
精一杯出した言葉に、ラグラは身体を退かせた。
そして、俺の容態を察したのか、唇を噛み締めながら言葉にした。
「……すまない。あれを抑えるために、君に助力を頼もうと思ったが……必ず助けにくる。その時まで、耐えていてくれ」
あれを……抑える……?
走り去っていく足音が聞こえる。
ラグラの顔を見た瞬間、憎悪の声が強くなった。
あのまま側にいたら、きっと俺はこの欲望を抑えきれずにいただろう。
「はぁはぁ……」
一定に鳴り響く心臓の鼓動を意識する。
地面に染みていく血の跡を見つめる。
最後に口にした料理を思い出す。
頭を打ち付けることで消えてくれるのなら、何度だって続けた。
だが、その兆しが見えなかった。
あれは痛みによって、紛れていただけだ。
だから、他のことを考えながら、ただただ憎悪の声が消えるのを待つしかなかった。
レティナ、シャル……
笑っている顔。
嬉しそうな顔。
困り果てている顔。
不貞腐れている顔。
やはり二人は最強だ。
ミリカの口癖も少しは理解できたような気がする。
終わらないと思っていた憎悪の声が、小さくなっているような気がした。
もしも今誰かと遭遇してしまえば……また俺は同じことを繰り返すだろう。
次はきっと殺してしまう。
そうなる前に、人気のない場所に行かないと。
そう思って、重い腰をあげる。
そして、気がついた。
「なんだよ……あれ」
黒く禍々しい呪物が街の中央に降り注いでいたことを。




