第163話 隠し事
「ただいまー」
拠点まで帰ってきた俺は、ダイニングまで届くように声を出す。
「おかえり~」
そう返事が聞こえたかと思えば、ダイニングの扉が開かれ、ルナが無邪気な笑顔で駆けてきた。
そのまま俺の胸の中に飛び込んでくると、上目遣いで見上げてくる。
「ご飯にする? お風呂にする? それともルナ?」
顔を少し傾けているその様子は、とても愛くるしいものがある。
ルナはきっとこの言葉の真意を知らずに使っているのだろう。
だから、俺も何の邪念もなく答えられる。
「じゃあ、ルナで」
「やたー!」
手を上げて純粋に喜ぶルナを見れば、どんな凶悪な罪人であっても心が洗われるんじゃないのだろうか?
そうでなければ、きっとそいつは人間の皮を被っている心の無い魔物だと思うのだが……
俺は無邪気なルナを離して、口を開く。
「もうみんな帰ってきた?」
「ううん。レティナちゃんはまだだよ」
「そっか。マリーって部屋に居る?」
「あっ!」
何かを思い出したようにはっとしたルナは、自分の手で口を塞ぎ、きょろきょろと周りを見る。
……? どうしたんだ?
不思議に思う俺に、ルナはひょいひょいと手招きをすると、密かに耳元で囁いた。
「あのね? マリーちゃんがおかしいの」
「え?」
「なんか二人分の夜ご飯が欲しいって言って、そのまま部屋の中に閉じこもちゃって」
あぁ、マリーはネネのことをみんなに話さなかったのか。
ルナの言葉からそう察する。
「それもね? 一つは身体に優しいものがいいって」
「なるほど。確かにおかしいな」
「でしょ? それでね、ルナ分かっちゃったの」
「え、その理由が?」
「……うん」
俺が思考する時と同じように、顎に手を当てるルナ。
その表情はとても真剣だ。
ただ、身長が小さすぎて迫力は一切ない。
そんなルナは一呼吸間を置いた後、確信したように言葉を発した。
「多分マリーちゃん、動物を飼い始めたんだよ。ずるい! ルナだって、可愛がってあげるのに!」
「……」
「ご飯の量も少なかったし、小さな動物だと思う」
「な、なるほど」
「カルロスはほっとけって言ってたけど、やっぱり独り占めはダメだよね?」
「そうだね……」
ルナには申し訳ないが、とりあえずそういうことにしておこう。
……この自信に満ちた表情を崩さないためにも。
「よしっ! なら、レオン交渉してきて!」
「ん? マリーと?」
「そう。これから作戦を言うけど、誰にも言っちゃダメ。いい?」
「わ、分かった」
「じゃあ、まずレオンがマリーちゃんと話すの。それで、ルナに会わせる!」
「うん」
「……」
「……え? それだけ?」
「そうだよ!」
まるで極秘の任務を命令するように言うルナは、ふんっと鼻を鳴らし、腕を組む。
……言えない。
ゼオが後ろで聞いてるよ、なんて……
ひそひそと話しているのならまだしも、ルナの声量はもういつも通りだ。いや、いつもよりも大きいかもしれない。
なので、ダイニングから顔を出してこちらを見ているゼオには筒抜けの状態である。
このままルナがその事に気づけば、せっかく考えてくれた作戦が水の泡になってしまう。
俺はルナの笑顔を守るために、ゼオに向けて言葉を発せずに、 「中に入ってて」 とジェスチャーを送る。
すると、申し訳なさそうな顔で、ペコリと一礼したゼオはそのままダイニングへと姿を消した。
ふむ。
よくできた子だ。
「ん? どうしたの? レオン」
「い、いや、何もないよ。じゃあ、今からマリーの部屋に行ってくる」
「うん! よろしくね!」
本当に動物がいると思ってるのか、ルナは期待の眼差しを向けてくる。
これはこれで罪悪感を感じるな……
ルナがダイニングに戻ったのを確認した俺は、自室にも戻らずにマリーの部屋に向かった。
そういえば、マリーがネネの分も夕食を頼んだんだっけ。
言葉の意味だけを考えれば、危機的状況ではないと分かる。
もしかして、話せる状態まで回復したのかな?
それならば、とてつもない生命力なのだが。
マリーの部屋の前まで着いた俺は、コンコンと扉をノックする。
すると、部屋の中から足音がしたかと思えば、扉がガチャリと開かれた。
「あら、レオンちゃん、おかえりなさい」
「ただいま、ネネの様子は?」
「どうにか峠は越えたみたい」
「そっか。良かった」
俺の反応を見たマリーは、少し微笑み大きく扉を開ける。
そのまま部屋の中に入ると、眠っているネネの側に寄った。
呼吸はまだ苦しそうにしているが、ナタリアの家で見た時よりも随分と落ち着いている。
はぁ、本当に良かった。
そう思うのと同時に、ふと近くにある机に視線を向けると、ルナが作ってくれた食事が手つかずのままに置かれていた。
「ご飯はまだ食べられなかったわ」
「まぁ、仕方ないね」
「……マスターからの呼び出しは大丈夫だったの?」
「うん、なんとか」
マスターとの詳細な内容は話す必要はないだろう。
マリーはスカーレッドを追っていないし、今はネネのことだけを考えてほしい。
そう考えた俺は、話を変える為に口を開く。
「そういえば、みんなにネネのこと話さなかったんだね」
「えぇ。一応、レオンちゃんに聞こうかと思って」
「そっか……じゃあ、スカーレッドの件が終わるまで隠そうと思うんだけど、どう思う?」
「私はそれでもいいわ」
「じゃあ、決まりで……ふわぁ、それにしても今日は疲れたな」
一日中身体や頭を動かしていた為か、無意識にあくびが出てしまう。
「もう寝た方がいいんじゃない?」
「うーん、もう少しだけここにいるよ」
「そっか」
マリーの透き通った声色が睡魔をさらに誘う。
自室はここからすぐだが、今はめんどくさくて動きたくない。
ネネはひとまず大丈夫そうだし、少しだけ仮眠でも取るか。
俺が邪魔になればマリーも起こしてくれるだろう。
椅子の肘掛けに頬杖をつき、ゆっくりと瞼を閉じると、俺はそのまますぐに眠りの中へと入っていくのだった。
コンコンッ
コンコンッ
ん……? 誰だ?
脳内に響いたノック音で、瞼を開ける。
体感的にそんなに長くは眠っていないはずだ。
ただ、いつの間にか隣に居るマリーも眠ってしまったようで、俺の肩を枕にさせて、すぅすぅと寝息を立てていた。
「……マリーちゃん? レンくんもいるよね?」
扉越しから聞こえてきた声に、思わずびくっと反応してしまう。
レ、レティナか!? ま、まずい!
そう思ったのも束の間で、
「入るよ~」
レティナはガチャリとドアノブを回した。
「……何してるの? それに……その子誰?」
冷たい視線でネネに目線を移すレティナ。
その目には光が宿っていない。
「えっと……と、とりあえず落ち着きなよ」
「? 落ち着いてるよ?」
た、確かに。
落ち着き過ぎて怖いくらいだ。
いや、そんなことより今はこの状況をどう切り抜けるか考えなくては。
急激に冷や汗を掻いてきた俺は思考を回す。
すると、隣で寝ていたマリーがぴくりと動き、瞼を擦りながら瞳を開けた。
「あっ、レオンちゃんごめんなさい。私、気づいたら眠ってて……」
「い、いや、別にいいよ。それよりーー「マリーちゃん、おはよう」
「え……レティナ?」
マリーがレティナに視線を移し……止まる。
ふ、ふむ。
そうなるのも仕方のない話。
先程ネネのことは隠そうと話したばかりなのだ。
それなのに、拠点の中で一番知られてはいけなかった人に知られてしまった。
動揺するのも無理はない。
「ねぇ、マリーちゃんその子誰?」
「……」
マリーが俺をチラリと見る。
なんて答えればいいかと俺に求めてるようだ。
だが、生憎俺も良い回答が思いつかない。
そうなれば二人して無言になるのは当然のことだった。
マリーもレティナとは、付き合いが長いのだ。
だから、理解しているのだろう。
何も考えずに出した誤魔化しなど通用しないことに。
俺たちの反応を見たレティナは、不満気に口を開く。
「ふ~ん。ねぇ、レンくん」
「……なに?」
「その子がレンくんの隠したかったことだよね?」
「……っ」
もうこうなれば腹をくくるしかない。
そう決心した俺は素直に答える。
「……そうだよ」
マリーはレティナから視線を逸らして、物憂げな表情を浮かべている。
俺がちゃんとしなければ、レティナがネネに何をするか分かったもんじゃない。
何やら思考に更けているのか、レティナは次の質問をしてこない。
こんな事になるなら、自室に戻っていればよかった。
マリーひとりなら居眠りをすることなく、レティナを部屋に入らせずに、扉の前で対応をしていたかもしれないのに。
少し後悔する俺に、レティナは間を開けた後、ふと口を開いた。
「ネネちゃんかな?」
「!?」
「やっぱり」
くっ。
マリーに続いてレティナまで……
きっとレティナは、マリーと同じような考えでその結論に至ったのだろう。
スカーレッドの仮拠点を見つけたその日に、知らない女の子がマリーの部屋で眠っている。
何も関係がないただの一般人なら、わざわざここに連れてくるはずがない。
つまり、この子はネネだと…………
??
おかしくないか?
どうしてレティナはネネだと断定できたんだ?
(貴方はスカーレッド? それともネネ?)
マリーでさえも、このベットに眠る子がスカーレッドかネネか判断がついていなかった。
なのにも関わらず、レティナの中でスカーレッドの可能性を消すことができたことが違和感でしかない。
……もしかして、エクシエさんが言っていた憶測は当たっているのか?
レティナがスカーレッドの正体を知っているという憶測が。
「それで? その子から全部聞いたことを教えてくれる?」
「えっと……」
「……もしかして、まだ何も聞いてないとか言わないよね?」
「……」
俺の様子を見て確信したのか、レティナは、はぁとため息をつき、ネネに向けて近づく。
「ま、待って! 何する気?」
レティナの様子に尋常じゃない何かを感じた俺は、立ち上がってレティナの手を取った。
「? 叩き起こして、スカーレッドの住処を吐かせるんだよ?」
「そ、それはせめてネネが起きてから……」
「……どうして?」
そんな疑問を投げかけるレティナ。
ネネの様子を見れば、誰だって体調が芳しくないと分かるはず。
それでも一切関係がないというように、本当に不思議そうな顔を見せるレティナを見て、俺の動揺は高まった。
「み、見れば分かるだろ? 話せる状況じゃないんだ」
「……おかしいね。いつものレンくんだったら、私と同じことしてるはずなのに……もしかして、何かこの子に同情しちゃってる?」
「そ、それは……」
言い淀む俺は考える。
ネネの過去の話をしたところで、きっとレティナの考えは変わらない。
俺より先にスカーレッドを見つけることが、レティナの目的だからだ。
そしてそれは、結果的に俺のことを守ろうという意図に繋がっている。
だから、どんな手段も厭わないだろう。
なら、どう説得すれば……
そんな時、ふと今まで黙っていたマリーが口を開いた。
「レティナ。今、この子は声を出せないの。だから、後数日待ちましょ?」
「マリーちゃんまでそう言うんだ?」
「しょうがないでしょ。事実なんだから」
「そんなのいくらでもやりようがあるけどね……」
マリーとレティナがじっと目を合わせている。
俺はその様子をただただ見守っていた。
すると、
「じゃあ……私のお願いを聞いてくれるならいいよ?」
レティナの突拍子もない発言に、マリーはぴくっと眉を顰める。
「何かしら?」
「明日行きたい所があるの。そこまでついてきてほしい。時間はそんなに掛からないし、午前中には終わるから」
「……そんなことでいいならいいけど」
「それとレンくんはマリーちゃんが帰ってくるまで外に出ないでね」
「い、いや、それは無理だよ。レティナも知ってるだろ? マスターとの期日がーー「出来ないならその子を起こすけど?」
ちっ。
この目は本気で言ってるな。
レティナの冷たい眼差しが、ネネを映している。
今その提案を飲まなければ命の保証はない、そんな意図が含まれている眼差しであった。
「……分かった。でも、午前中までには必ず帰ってくるんだよね?」
「うん。約束するよ。マリーちゃんと私で、”全て”終わらしてくるから」
レティナが小指を差し出してくる。
言い方は非常に気になるところだが、今はレティナに従うしか選択肢はない。
そう感じた俺は、レティナの小指に自分の小指を絡ませた。
「……もう大丈夫だから、安心してね」
とても優しい声色でそう呟いたレティナ。
先程までとあまりにも違ったその声色は、冷酷さや悪意などが微塵も感じさせない純粋なものだった。
聞こえない振りをして返事を返さない俺に対して、レティナは絡ませた指をそっと解く。
「じゃあ、約束もしたことだし、もう部屋に戻ろっか」
「……うん。そうだね」
「レティナ、レオンちゃんと一緒に寝るつもり?」
「そのつもりだよ?」
「だーめ。ちゃんと自室で寝なさい」
「むぅ~。マリーちゃんだって寝てたくせに」
「あれはただの事故。ほらっ、行くわよ」
「えぇ~。レンく~ん」
強制的に手を引かれて、部屋を後にするレティナ。
今日だけは一人で眠りにつきたいと思っていたので、マリーが居てくれて助かった。
<三雪華>から何を聞いた? だとか、レティナの思惑を教えてほしい。 だとか、それに答えてくれないと理解していても、二人っきりになれば聞いてしまっていただろう。
「はぁ……俺も戻るか。ネネ、おやすみ」
眠っているネネに布団を掛け直した俺は、レティナたちに続くようにマリーの部屋を後にしたのだった。




