第162話 方向性
「はぁ……疲れた」
マスターから解放された俺は、一旦<月の庭>の休憩スペースにあるソファに座る。
おそらくレティナはもう<三雪華>と会っている頃だろう。
俺が南の半分から西まで、<三雪華>がもう半分から東までを調査しているという状況で、レティナは一体何処から調査するのだろうか。
出来れば<三雪華>側に行ってもらいたいが……
気づけばもう雨は止んでおり、太陽も沈んでいた。
ネネのことに時間を使い過ぎてしまったのは仕方がない。
ただ、マスターと交わした期日は明後日まで。
それまでに隠されたスカーレッドの住処を見つけることができるのだろうか?
「はぁ……やっと見つけたと思ったのにな」
身体に力が入らない俺は、ソファにだらしなくもたれかかる。
ネネがまともに声を出せる状況なら、拠点に帰って聞けばいいが、おそらくそれは難しいだろう。
スカーレッドの仮拠点を見つけられたのは、正直な話奇跡だ。
あれが二度続くとは思わないが、情報を集めるにも、頼りになる知り合いはほとんどいない。
そうなるとやはり、二度目の奇跡を信じて、手当たり次第に探すしか方法はないのかもしれない。
このままここで居るわけにもいかないと思い、重い腰を上げた時だった。
「……レオン?」
唐突に名を呼ばれて、俺は声の主に視線を移す。
「あっ、シャル。こんなとこ出会うなんて奇遇だね」
綺麗な金色の髪をなびかせて、近寄ってくるシャルに俺は自然と笑みが零れる。
だが、俺の表情とは裏腹に、シャルは表情はどこか優れない。
「えぇ。凄く驚いたけど……その……怪我はないの?」
「ん? 怪我?」
「う、うん……噂で聞いて……」
あぁ、なるほど。
俺がスカーレッドに負けた噂を耳にしたのか。
事実とは少し違うが、弁明するのにも謎の女の子の声や、自分の抱えている悩みを説明しなくちゃいけない。
それはあまりにも時間が掛かりすぎるし、シャルにはこれ以上余計な心配を掛けさせたくない。
そう思った俺は、シャルの頭を撫でながら口を開く。
「心配してくれてありがと。怪我なんてしてないから安心して」
「そ、そっかぁ……良かった。レオンのお家まで行こうかなって思ったんだけど、マスターから忙しいって聞いてたから我慢してたの……でも、元気そうでほんとに良かった!」
ふ、ふむ。
なにこの笑顔……反則だろ。
心底嬉しそうな顔をするシャルから視線を外す。
最近になって、シャルにドキドキすることが増えているように感じる。
本当にこれは良くない傾向だ。
仮にも俺にはレティナがいる。
だから、今ここで抱きしめたいと思う感情も、ぐっとこらえなくてはいけない。
俺はシャルから視線を外しながら、よしよしとしていた手を離す。
「……っ」
「え」
「う、ううん。なんでもないわ」
そう言いながらも、名残惜しそうに両手を頭の上に乗せるシャル。
一つ一つの仕草が的確に胸を射抜いてくる。
は、話を変えなくては……
「え、えっと、ロイとセリアは今日いないの?」
「えぇ。先に帰ったわ。後は、納品を済ませるだけだったから」
「なるほどね」
会話がそこで止まる。
何か話さなくては、と思考を回した時、ふと先程のことを思い出した。
「あっ、そういえばシャルに聞きたいことがあるんだけど」
「ん? 何かしら?」
「スカーレッドの住処が見つかったってこと知ってる?」
「え? そうなの?」
全く知らなそうな表情でシャルは首を傾げる。
まぁ、今まで依頼に行っていたなら、耳にしてないのが普通か。
「実はそうなんだ。場所は王都周辺の森を抜けて、南西に向かった小さな森の中。ただ、そこは本拠地じゃなくて仮拠点だったらしくて……」
「へ~。つまり、まだ本当の住処は見つかってないってこと?」
「そう。だから、何か気になる話でもあったら教えてほしいなって。多分ここからそう遠くない場所にあると思うから」
「ん~」
シャルが頭をゆっくり揺らして、思考に耽る。
別に藁にもすがる思いで聞いたわけではない。
急な話だと自覚しているからだ。
何か気になる事があったとしても、思い出せないことの方が多いだろう。
それでも何も情報が無い現状で、聞いておくに越したことはない。
返答を待っている俺に、シャルは思案顔で口を開く。
「ちなみにその仮拠点って、白仮面たちが隠れていたような洞窟?」
「そうだよ」
「なら、本拠地も遺跡とか街の中じゃなさそうってことね」
「た、多分……」
俺の曖昧な返事にシャルが困ったような表情を浮かべる。
この辺りで遺跡と言えば、東にしか存在しない。
住処としては大ぴらにさらけ出している場所である為、可能性としては薄い。
それに、東は<三雪華>の調査範囲だ。
俺が探せる場所でもない。
だが、街の中というのは盲点だった。
もしもホワイトフラワーを魔法鞄に入れ、王都に潜んでいるとしたら、残り二日で見つけることなど不可能だが……
そんな不安に駆られている俺に、
「全く関係ないと思うけど……」
と、シャルはぽつりと呟きながら言葉を続けた。
「ここから西に向かった村にね? 水神様っていう神様が祀られている洞窟があるの」
……水神様?
確かそれってあの子も言ってたよな?
<月の庭>から一時間ほど掛けて、村に送ってあげた少女が。
(ねぇ、あれって何?)
(あー、あれは水神様が祀られてある洞窟です)
(水神様?)
(はい。水神様は村の守り神のようなものです。昔この村が飢饉に襲われた際、人間を哀れんだ水神様が、大雨を降らし小川を作ってくれたと言い伝えられています)
(へぇ~)
あの時は何の疑いもなく聞いていたが、シャルからその名前が出るなんて……もしかして何かあるのか?
疑問が浮かぶ俺に対して、シャルは続ける。
「そこ前までは、誰かが必ずお祈りとお供え物をしていたらしいの。でも、ある時から魔物が湧いて入れなくしたって」
「へぇ。ちなみにそれっていつから?」
「ごめんなさい。そこまで詳しくは……」
俺の質問に答えられないからだろうか。
シャルは少しだけ俯いた。
魔物が突然湧くのは不思議な事ではなく、よくある出来事だ。
どういった理屈かは判明されていないが、洞窟や遺跡、廃村や草原などにはそのようなことが度々起こる。
ただ、人が住んでいる村や街などには、その現象は起こらないといった傾向があった。
少し気になる、というか大分匂うな。
「そっか。全く関係ないって言ったけど、その理由って何かある?」
「……えぇ。<月の庭>の冒険者がその洞窟にいる魔物を見たらしくて」
「ほう」
「それで無暗に近づかせないように、柵も建てたって言ってたわ」
「……冒険者だって証拠は?」
「それも……ごめんね、聞いてないの。ただ、世間話をしただけだったから」
そう言って、シャルは申し訳なさそうな顔をした。
唐突な質問だったにも関わらず、何とか情報を出してくれただけでも感謝しかない。
俺は安心させるように笑顔を浮かべ、ついついシャルの頭を撫でてしまう。
「そんな顔しないで。俺この辺りのことあまり知らなかったから、助かったよ」
それにしても、水神様の洞窟か。
行ってみる価値はあるな。
そんなことを思ってる俺に、シャルは不思議そうに見上げる。
「? レオンの方が流石に詳しいでしょ?」
「なんで?」
「だって、私なんかより冒険歴が長いじゃない」
あっ……。
そういえばシャルには、俺がここ三年間悠々自適に過ごしていたことを告げていなかったんだった。
その事実に少しだけ冷や汗を掻くも、俺は何とか誤魔化すために平静を装う。
「まぁ、確かにそっか」
「ふふっ。変なレオン」
よしっ、とりあえずは疑っていないようだ。
柔らかく微笑むシャルを見て、ほっと安堵する。
やっぱりこの笑顔は癒されるな。
「レ、レオン……?」
「ん?」
「こうしてくれるのはすごく嬉しいんだけど……その……周りが……」
ずっと撫でていたせいか、ふと周りを見るとにやにやとしている冒険者たちが俺たちを見ていた。
ふむ。
もう少し撫でていたかったけど、顔を晒しているシャルが流石に恥ずかしいか。
俺は赤面しているシャルの頭から手を離し、不自然のないように口を開く。
「ごめんごめん。色々とありがと。もう帰り際だったよね? 送ってくよ」
「うん!」
満面な笑顔を見せるシャルと共に、そそくさと<月の庭>を出る。
今日はこのままシャルを宿屋へと送った後、ネネの様子を見に行こう。
先程の話が非常に気になるところだが、ネネの容体が急変しているとも限らない。
まぁ、情報は手に入れたし、探す場所も決まった。
期日が迫ってきてはいるが、現状は仕方がないと割り切ろう。
明日にでも調査する水神様の洞窟に、スカーレッドの手がかりなどが見つかれば、残り二日でもなんとかなると思う。
ひとまず手当たり次第に探すということがなくなったことに安堵しながらも、大通りの道を他愛のない話をしながら歩いていく。
何だかこういう空気も久しくなかったなと思いつつ、この時間を堪能しながらシャルの宿屋へと向かっていくのだった。




