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第159話 願い


 「これはアナービの毒だね」

 「アナービ?」


 ナタリアの家へと無事に辿り着いた俺たちは、すぐにネネをベッドまで運び、ナタリアの父親に診断結果を聞いていた。


 「そうだ。とても綺麗な赤い花だよ。その種子に猛毒があってね。おそらくそれを噛み潰したんだろう。正直生きているだけでも奇跡だ」

 「えっと、ナタリアが解毒(キュアポイズン)を掛けたのですが……」

 「それだけでは、体内の毒素は完全に浄化されない」

 「じゃ、じゃあ、どうすれば?」

 「……これ以上、手の尽くしようがないね。娘の解毒(キュアポイズン)で彼女は何とか一命を取り留めている状態だが、いつ心臓が止まってもおかしくはない」

 「……」

 

 つまり、もうネネは死を待つだけということなのか?

 最悪な結果に言葉が出ずにいると、ナタリアが口を開いた。


 「でも、お父さん。まだ、助かるかもしれないんだよね?」

 「……可能性はある。だが、それは彼女次第だ。今、出来ることは彼女の手を握ってやることくらいしかない」


 ネネの生存本能が勝つか、死の魔の手がネネを連れ去るか。

 いずれにしても俺にできることは……


 俺はネネの手をぎゅっと握る。

 洞窟を出た当初は、浅い呼吸であったにも関わらず、今は空気を欲するように荒い呼吸をしているネネ。

 俺は医者ではないのでどちらが良いか判断はつかないが、今のネネの方が生を実感できて、少しだけ安心できる。


 「では、私は失礼するよ。くれぐれも安静にしておくように」

 「はい」


 ナタリアの父親が部屋から出ていくと、入れ替わりでローズが顔を見せた。


 「その子どうでした?」

 「……とても危ない状態らしい。もうこれ以上、手の打ちようがないと」

 「そうですか……」


 それから数分間無言の時間が続いた

 いつの間にか雨が降ってきたようで、この部屋にはネネの呼吸音と雨音しか聞こえない。

 そんな時間の中で、ふとローズが口を開いた。


 「そ、その……レオンさんとその子の関係って……」


 二人は洞窟内で俺たちの会話を聞いていた。

 気になるから質問したのは分かるが、


 「ただの顔見知りだよ」


 そう返答することしかできない。

 スカーレッドの仲間のネネ。

 それを知っていたのに、何故報告しなかったのかと言及されれば、どう言い訳をしたらいいのだろう。

 正直頭が回らない。


 「そうですか……」

 「……それよりもう一人の男の子は大丈夫だったの?」

 「は、はい。今はすやすやと寝てます」

 「そっか。良かった」


 彼のことはあまり気にしていなかったが、話を変えることには成功したようだ。

 すると、ナタリアが横槍を入れるように俺の肩を叩いた。


 「レ、レオンさん。えっと……その……」

 「何?」

 「……あの場所を<月の庭>に報告しに行かなくていいのでしょうか?」


 この状況で???


 思わず口に出そうとしたその言葉を飲み込む。

 確かにスカーレッドがあの洞窟を訪れれば、何か起きたと判断してまた姿を消してしまうかもしれない。

 だとしたら、一刻も早くマスターに報告をして、あの場所で待ち伏せやらなんやらの対応を取るのが正しい判断だ。

 ナタリアは何も間違ったことを言ってない、と瞬時に納得した俺は重い腰を上げる。


 「……そうだね。じゃあ、俺行ってくるよ」

 「え? レ、レオンさんがですか?」

 「君たち二人だけで行かせるのも危ないでしょ」

 「そ、そうですけど……」


 何やら含みのある言い方をするナタリアを無視して、俺はネネの手を放す。

 俺が居ても状況は何も変わらない。

 手を握るだけなんて、彼女たちでもできるのだ。

 なら、俺は俺にできることをしよう。


 ネネに背を向けて歩きだす。

 すると、


 「……い……か……ない……っで」


 絞るように発したその声が鼓膜に届いた。


 「ネネ……?」

 「お……かあ……っさま……」


 閉じた瞼から流れる涙。

 何か悪い夢でも見ているのだろうか。

 もしかしたら、昔を思い出して……


 俺はぎゅっと拳を握る。

 本当に今俺がすべきことはこの少女を置いて、<月の庭>に行くことなのか?

 俺が来てくれることを祈っていたネネとその母親。

 その時は駆けつけることができなかったが、今は違う。


 「レオンさん、私たちが行ってきます」

 「……え?」


 何が正解か分からない中、ふとローズがそう言った。


 「私たちも一応は冒険者です。<月の庭>に辿り着くことなんてFランク依頼と一緒ですよ。ね? ナタリア」

 「う、う、う、う、うん。そ、そ、そだね」

 「えっと、物凄く心配なんだけど……」

 「だ、大丈夫ですよ~……ロ、ローズちゃん、私緑肌鬼(ゴブリン)を目にしたら逃げていい?」

 「ば、ばか! 今そんな話する必要ないでしょ」


 小声でひそひそと話しているが全部筒抜けだ。

 見たところ二人とも魔術師のようで、接近されたら緑肌鬼(ゴブリン)といえど、太刀打ちできないだろう。

 それにナタリアはもうへっぴり腰になっている。


 「やっぱり、俺が……」

 「いえ、本当に大丈夫です。レオンさんはその子の側に居てあげてください。ほら、ナタリア行くわよ!」

 「ふぇぇぇん」


 ナタリアの首根っこを捕まえて、ずかずかと扉から出て行こうとするローズ。

 そんな二人に向けて、俺は咄嗟に口を開いた。


 「あっ、二人ともちょっと待って。行ってくれるのは有難いんだけど……その……この子ことはマスターに言わないでほしい」

 「え?」

 「ふぇ?」

 「マスターは優しい人だけど、立場がある。この子のことを話せば、きっと騎士団や警備隊にも教えなくちゃいけないと思うんだ」


 そうなれば、ネネはどんな状態でも連れてかれるだろう。

 それは所謂(いわゆる)ネネの死を意味していた。


 「だから、頼む。黙っていてほしい。君たちを殺そうとしたことは消せないけど、必ず罪を償わせるから」


 これで首を縦に振らなければ、もう俺がネネを連れ去るしか選択肢はない。

 下げた頭を上げずにいる俺に、


 「そういうことなら分かりました! 断片的ですが、その子の過去も知ってしまったので、私はもう許してますよ」


 ローズが明るくそう言った。


 「わ、わ、私も全然気にしてないです! ただ、この後が……」

 「よしっ! ナタリア行くわよ」

 「ふぇぇぇん」


 今度こそ二人揃って部屋から出ていく。

 その様子を見た俺はほっと安堵した。


 もしローズやナタリアではなかったら、断られていたかもしれない。

 二人が血の気の多い冒険者じゃなくて本当に良かった。


 そう感じた俺は、ナタリアの父親が用意してくれた椅子に腰かけて、再びネネの手を握るのであった。



















 もう何時間経ったのだろうか。

 ネネの容体はなおも変わらない。

 ローズとナタリアも帰って来ず、時間だけが刻々と過ぎていく。


 もうこのままネネは目覚めないんじゃ……


 そんな不安が募っていく俺は瞳を閉じる。


 きっとこんなにもネネのことを心配しているのは、家族を救ってやれなかった自分自身に罪悪感があるからだろう。

 そして、境遇は違えど、この少女はミリカに似ているからだとも思う。

 ミリカには俺が、ネネにはスカーレッドが。

 生きる道しるべとなった俺たちが、もし逆の子と出会っていたら、俺の目の前にはミリカが寝ていたのかもしれない。

 だからだろうか、荒い呼吸で生きようとしているネネを、他人事のように思えないのは。


 俺はネネの手をぎゅっと握る。

 その時だった。


 「……ネネ?」


 俺の手を握り返したかと思えば、ネネの瞼がゆっくりと開かれる。


 「……レ……オン……さま?」


 意識がまだ朦朧としているのか、視点がはっきりしていない。

 それでもネネは俺の顔を何とか視認したようで、


 「……どう……っして……しな…せて……く……」


 声を出すのも辛そうな表情で俺に訴えた。

 そんな質問なんて、答えは決まっている。


 「死んでほしくなかったから」


 自分の本心を伝えて、俺は苦笑いを浮かべる。


 「まぁ、ネネを助けたのは結果的にナタリアなんだけどね」


 仮に俺が一人であの洞窟を訪れていれば、ネネはあそこで命を落としていたかもしれない。

 今は何とか目を覚ましてくれたが、いつまた危篤になるか分からない状態だ。


 「とりあえず、医者を呼んでくるから、ちょっと待ってて」


 俺はそう言ってネネの手を放そうとした。

 だが、


 「えっと……ネネ?」


 弱弱しい力で俺の手を掴むネネ。

 行かないでといった表情で、俺のことを見つめてくるが、少しの辛抱だ。


 「すぐに帰って来るから待ってて」


 安心させるように笑顔を見せるも、ネネは俺の手を放さない。

 こういう時に普段の俺なら、放してくれるまで側に居てあげるのだが、今は状況が違う。


 「俺にできることはないし、ネネも苦しいだろ? 本当に一瞬で戻るから、少しだけ我慢してほしいんだけど……」


 困っている俺に対して、ネネは何とか声を絞り出す。


 「……あ……り……ますっ」

 「え?」

 「でき……っる……こと……」


 俺にできることがあると言いたいのだろうか?

 正直なところこの状況で、俺がネネにしてやれることなんて、ほとんどないと思っていた。


 何をしてほしいんだろう?


 疑問に思う俺に、ネネは言葉を続ける。


 「……いき……った……い」

 「いきたい?」


 俺の返事にこくりと頷くネネ。

 行きたい。生きたい。逝きたい。

 その言葉だけでは、意味があまり伝わってこない。

 もしも早く逝きたいという意味なら、断固拒否するつもりだが……


 「つ……れて……いって」

 「何処に?」

 「レオ……ン……っさま……の……お…うち」

 「え?」


 その唐突過ぎる言葉に思わず動揺してしまう。

 この状況下でネネを俺の拠点まで連れて行くなんてできるはずがない。

 それはネネ自身も分かっているはずだ。

 なのにどうして……


 「うっ」

 「ネ、ネネ!?」


 胸を押さえて、苦しむネネ。

 どういう理由で、俺の拠点に行きたいなんて言ったかは定かではないが、もうネネの気持ちを汲み取るより、ナタリアの父親を呼びに行くのが最優先だ。

 そう思った俺は、ネネの手から手を放し、一目散に扉へと向かおうとした……が、


 「お……ね……がいっ」


 懇願するようにネネは俺のその行動を止める。


 どこからそんな力が……


 椅子から腰を上げた俺に、なんとネネは上半身を動かして、縋りつくように俺の服の袖を握っていた。

 そんなネネの行動に驚きが隠せずにいると、


 「おねがい……っ」


 潤んでいる瞳が俺の姿を映し出す。

 その瞳には、どんなことを言い聞かせても揺るがぬ想いを感じた。


 「わ、分かった。でも、それは今度だ。今は医者に診てもらってーー「おね……がいっ……さいご……だ……っから」


 絶対にここで安静にした方がいいのは理解している。

 外は雨が降っているし、医者を呼べば目を覚ましたネネに何かしたら処置できることがあるのかもしれない。

 だから、ネネの言葉なんて無視すればいいだけ。


 そう分かっているのに、どうしてこんなにも心が揺れ動くのだろう。

 思考は冷静になっているのにも関わらず、ネネの願いを叶えてあげたいと思う自分がいる。


 「レオン……様」


 声を出すのも苦しいはずだ。

 だが、目覚めた当初よりもネネははっきりと言葉にできている。

 俺の拠点に行くことがネネの渇望のようだが、常識的に考えれば断るのが普通である。

 そう……普通なはずなのに……


 服の袖を握っているネネの手が震えている。

 今もまだ痛みに耐えているように。


 そんな様子を見兼ねた俺は、ネネの痛みを拭い去るように、手を重ねた。


 「一つ約束してほしい。絶対に死なないって。最後のお願いにならないなら……連れて行く」


 馬鹿な判断だと嘲笑う者が大多数だろう。

 こんな口約束は何の意味もない。

 それでも、俺はネネに求めてしまった。

 死ぬからという後ろ向きな願いより、生きるという前向きな誓いを。


 「……っ」


 俺の言葉にネネがこくりと頷く。

 少し間があったのは気になるところだが、もう決心を決めている。


 俺は羽織っていた外套を脱ぎ、少しでも体温を下げないようにネネに着させる。

 そして、そのままネネを背中に背負うと、部屋から抜け出した。


 「レ、レオン君!?」


 急いで家から出ようとした俺は、ナタリアの父親に呼び止められて後ろを振り向く。


 「い、一体どうしたんだ?」

 「……王都に戻ります」

 「は!? 何故!?」

 「この子が戻りたいと言ったからです」

 「ば、馬鹿か!! 君は一体何を考えているんだ!! こんな雨の中で王都に向かえば、間違いなくその子は途中で死ぬぞ!!」

 「……いえ。この子は死にません。そう約束してくれましたから」

 「根性論でものを言うんじゃない!!」


 診察してくれた時は穏やかだったナタリアの父親が、今は怒りを露わにしている。

 そりゃそうだろう。

 人の命を目の前で捨てようとしているのだ。

 どんな医者でもこのような反応になるのかもしれない。


 「すみません。それでも自分は行きます」

 「レ、レオン君!! 待て!!」


 俺は申し訳ないと思いつつも、背を向けて玄関から外に出る。

 ザァーっと降りしきる雨の中、ネネを揺らさないように心がけながら、王都に向けて走っていく。


 「絶対に死なないでね」


 アナービの猛毒を浄化できないながらも生きていたネネを、ナタリアの父親は”奇跡”だと言っていた。

 その奇跡はおそらくネネの生命力が、一般人よりも強いからこそ起きたものだろう。

 だから、こんな雨ごときで死ぬわけがない。

 そう自分に言い聞かせながら、俺は一秒たりとも無駄にしないように、最短距離で王都まで駆けていくのだった。

 

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