第156話 運がいい
薄暗い部屋の中、眠りから覚めた俺は瞳をゆっくりと開ける。
「ごしゅじん、おはよう」
俺の胸の中にいたミリカが上目遣いでそう口にした。
いつから起きていたのか分からないが、昨日と違って明らかに顔色が良く見える。
そんなミリカに、
「おはよう」
と挨拶を返し、俺は布団から出ようとした。
だが、
「え、えっと、ミリカ? そんなに抱き着かれたら起きれないんだけど……」
ミリカは俺の胸から離れようとしない。
「もう少し寝たい。だめ?」
「う~ん……」
さて、どうしようか。
ミリカのこの行為は、俺がスカーレッドを追うことを止めてるわけじゃない。
これはただ甘えたいだけなのだと感じる。
もちろん俺も嫌な気は全くしないのだが、今日も調査に行かなければならない。
ミリカのことを優先させるか、調査を優先させるか。
少し悩んでいると、ふと背中に柔らかいものが当たった。
「もうちょっと寝ようよ。レンくん」
囁くようなその声に、思わず身体がびくりと反応してしまう。
「……レティナ。いつから居たの?」
「レンくんが起きる少し前かな? ミリカちゃんおはよ」
「おはよう。レティナねーね」
「ミリカちゃんはレンくんともうちょっと寝たいよね?」
「寝たい」
「ほらっ、こんなに可愛い女の子が二人でお願いしてるんだよ?」
ふ、ふむ。
確かに俺も用事が無ければ、このまま眠りにつきたい。
だが、俺にはスカーレッドを探す必要があるのだ。
このままぐうたらしているわけにはいかない。
そう思った俺は、甘すぎる誘惑を振り切るように上半身を起こす。
そして、 「今日はもう起きるよ」 と言おうとした。
これは嘘でも偽りでもなく、本当にそう言おうとしたのだ。
だが、その言葉は不意に扉を開いた者によって、発することができなかった。
「レオンちゃん、朝から何してんの?」
少し不機嫌気味なその声に、思わず背筋が凍る。
ミリカも同じなのか、身体をぶるっと震わせた。
「マ、マリーおはよう。今日もいい天気だね」
「カーテン閉め切ってるけど?」
「い、いや、大体分かるよ。今日は晴天だ!」
「曇りよ」
「うん。そう曇りだ!」
くっ、闘気も開放してないのに、なんて威圧だ。
ミリカの反応とは違い、レティナはくすくすと笑っている。
強心臓にも程があるだろ……
「はぁ……レティナがレオンちゃんを起こしに行くって言ってから、あまりにも遅いなと思ってたら……まさかこんな事になってるなんてね?」
「ま、待って。誤解なんだ! 俺は普通に寝てて……」
「ミリカの部屋で?」
「ぐっ」
「ミリカも寝たふりなんてしないで、起きなさい」
「っ! はい!」
布団をがばりと捲って、いい返事をするミリカ。
そんなミリカを見たマリーは、ふっと表情が柔らかくなった。
「……もう大丈夫そうね」
「……っ」
マリーもそうだが、拠点のみんなはミリカのことをとても心配していた。
その想いが通じたのか、ミリカはゆっくりと口を開く。
「もう……ミリカは大丈夫。ごしゅじんが補給してくれた」
「えっ……」
こ、この状況でそれはまずくないか?
マリーを恐る恐る見るも、俺には目が行ってないらしい。
「そう」
と淡白に切り返す。
「マリーは……ミリカのこと嫌い?」
「はい?」
「言ってほしい。ミリカ、馬鹿だからマリーの気持ち分かんない」
う、う~ん?
嫌いな人を心配するはずがないと思うんだが……
どうしてそう思ったんだ?
マリーはミリカの言葉に呆気を取られながらも、すぐに優しい表情に戻り、ミリカに近寄った。
「……ミリカが馬鹿ってことは、間違いじゃないかも」
「っ」
ぴくっと肩を震わせるミリカを抱きしめるマリー。
「だって、私はこんなにもミリカのことが好きなんだもの。そんな風に思ってるのは悲しいわ」
「……っ。ミリカはもう追わない。けど、ごしゅじんスカーレッド追うって。最強だから大丈夫って」
「そ……っか」
「マリー……」
「大丈夫よ。大丈夫だから」
マリーがミリカの頭を撫でている。
ふむ。
とりあえず、マリーの気持ちがミリカに通じたのは、素直に嬉しいことだ。
ただ、何故今スカーレッドの話が会話に出るのだろうか。
もしかして……ミリカはマリーにあの事を話したんじゃないか?
俺とレティナが盗み聞きしたあの話を。
「レンくん、もう起きるんだよね?」
「あっ……と、そうだね」
「じゃあ、朝食もう出来てるから一緒に行こ?」
いつの間にか起き上がったレティナが手を差し出してくる。
なんだか無駄に考えさせないような行動は気になるところだが、大人しくレティナに従うか。
俺はレティナの手を握って、ベッドから降りる。
スカーレッドの件が終わるまでレティナと触れ合えないと思っていたが、よくよく考えてみれば喧嘩したわけでもないし、敵同士ということでもない。
拠点ではいつも通りに接しても何ら問題はないだろう。
そんな俺たちの様子を見ていたマリーもミリカを離し、俺はみんなでダイニングへと向かうのであった。
「ふぅ。とりあえずここまで来たけど、どうしようか」
あの後、朝食を取った俺は、小一時間掛けて、南の森を抜けた先に来ていた。
スカーレッドが隠れ潜んでいるのは、王都からそう遠く離れていないはず。
なので、この辺から調査しようと思っているのだが、無暗に探したところで、洞窟はおそらく可変魔法によって隠されている。
「とりあえずあの村で聞き込みしてくるか」
俺は肉眼で確認できる距離にある一つの村目掛けて、歩き出す。
半年に一度、マスターの簡単な依頼を受けていた俺ではあるが、三年間ほとんど拠点に籠っていたのだ。
言い過ぎだとは思うが、今のFランク冒険者よりも情弱かもしれない。
「あの、すみません。聞きたいことがあるんですけど……」
村に入り、世間話をしていた老夫婦に声を掛ける。
「お~? なんじゃ、旅人さんかね?」
「まぁ、そんな感じです。最近何かこの辺で変わったことありませんでしたか?」
「はて、変わったことかのぉ。腰が悪くなったくらいじゃな〜」
「は、はぁ……」
うん。
これは他の人に話を聞いた方がいいな。
「そうですか。お体を大事にしてくださいね」
「あんた優しいのう」
「あぁ~、そういえば爺さん。最近森でえらい沢山の冒険者たちが、何かを探しとるっちゅうことを言っとったな」
「あぁ。確かにアルドとローズが言っとった」
ふむ。
まぁ、王都から近いこの村なら、スカーレッドを捜索していることくらい耳に入ってもおかしくはない。
ていうか、アルドって名前は聞いたことはないが、ローズという名前は何処かで……
「その二人はひょっとして冒険者ですか?」
「そうじゃよ。こんな小っさな頃から、冒険者に憧れとってのう。半年程前に村を出て行ったんじゃ」
「なるほど」
「昨日久々に帰って来たかと思えば、もうおらんなっとたわ」
「ちなみに、どこに行ったとかは?」
「知らんのう。婆さん知っとるか?」
「知らないねぇ。あそこにおるレイナに直接聞いてみるとええ。ローズの母親じゃ」
「分かりました。ありがとうございます」
俺はお婆さんが指を差した人物の元へ歩き出す。
洗濯物を干しているその女性は、俺が近寄ってくるのを見て、軽く会釈をした。
「突然すみません。ローズさんのお母様でしょうか?」
「え、えぇ。そうだけど、貴方は?」
「ローズさんと同じ冒険者をしている者です。詳細な内容は言えないのですが、ある人物を探しておりまして、最近何か変わったことはありませんでしたか?」
「変わったこと……」
女性は俺の言葉に、う~んと考え込む。
有力な情報は欲しいが、正直な話あまり期待はしていない。
一番最初に訪れた村で、運良くスカーレッドの足取りを掴めるほど、甘く見ていないからだ。
「あっ、そういえば!」
何かを閃いたように、表情を明るくさせた女性は言葉を続ける。
「変わったことじゃないかもしれないけど、うちの娘が昔隠れ家として遊んでいた場所に行くって言ってたわ」
「……隠れ家?」
「そう。アルドとナタリアの三人で向かったのだけど……」
「ふむ……その場所って詳しく分かりますか?」
「いいえ。ここから南西に向かった森の中ってことしか……」
森の中の隠れ家?
スカーレッドが好みそうな場所であるが……
「それってもしかして、洞窟とか……じゃないですよね?」
「そうよ。良く分かったわね」
「……」
俺は思わず口角を上げてしまう。
こんな偶然あっていいのか?
まだスカーレッドの住処と決まったわけじゃないが、その可能性は十二分にある。
エクシエさんから、スカーレッドの住処が周辺の森には無いと聞いたのは昨日のこと。
そして今日、タイミングよく冒険者三人組が、久々に帰った故郷から昔遊んでいた隠れ家へと向かったという話。
仮にスカーレッドの住処ではなくても、足取りを掴める証拠が見つかるのならば、今日の俺はついてるとしか言いようがない。
思考に耽て薄ら笑いを浮かべる俺を不気味だと思ったのか、女性が怪訝そうな顔で口を開く。
「貴方……ローズたちの友達じゃないの?」
「違いますよ。自分はただギルドから依頼を受けて、調査しに来た冒険者です」
「本当に冒険者? 見る感じ凄く怪しいんだけど……」
黒い外套を羽織り、フードを深く被っている為、女性の視界からは俺の口元しか確認できない。
確かに全く知らない人からすれば、俺は危ない奴だと思われても仕方がないだろう。
情報はもう得たし、話を聞くのはこれくらいで、南西に向かうか。
「すみません。自分忙しいので、この辺で失礼しますね。ありがとうございました」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
歩き出そうとした俺に、大声を張り上げる女性。
すると、その女性は近くにあった桑を手に取り、俺へと向けた。
「ロ、ローズに何の用!?」
「い、いや、だから調査の為にーー「貴方ローズに付きまとっているんじゃないでしょうね!? いい? ローズはアルドに惹かれているの。貴方が入り込む余地何てないのよ?」
……いや、そんなに敵意を剥き出しにしなくても。
俺ってそんなに怪しいか? ちょっとへこむぞ。
「あの子たちに変なことしてみなさい! 私が絶対に許さないんだから!」
女性の声に村の住人たちが集まってくる。
はぁ……めんどくさい。
と思いながら、女性の手元を見ると、少し震えているのが分かった。
まぁ、冷静に考えてみればそうだよな。
母親なんだから、過剰に反応するのも無理はないか。
あまり好きではないが、俺は女性を安心させる為にフードを取った。
「あ、貴方は……」
「Sランク冒険者のレオン・レインクローズと申します」
「は、はい。も、もちろん存じ上げています」
女性は動揺したのか、桑を地面に落とす。
「すみません。顔を表に出すのは少しためらいがありまして、こんな対応になってしまいました。貴方の娘さんに何かしようと考えているわけではないので、そこは安心してください」
「そ、そうだったんですね。すみません、私勘違いして……」
「いえいえ。子を持つ親としてはそうなるのも仕方ないと思います。気にしてないので、大丈夫ですよ」
顔を明かした為か、周囲の村人が騒めき出す。
ここで質問攻めに遭うのも、めんどくさい。
俺は早くこの場から出る為に、笑顔を貼り付けた。
「では、まだ調査の途中ですので、失礼しますね。ご協力ありがとうございました」
「は、はい! こちらこそお会いできて光栄でした」
ぺこりと一礼した俺は、女性に背を向けて歩き出す。
向かうのはもちろん南西の森だ。
情報が皆無なことに不安はあったが、本当にこの村を訪れて良かった。
行く道が決まっていれば、足も軽やかになる。
俺はこの先にスカーレッドがいるのではないか、という期待を持ちながら、歩みを進めた。




