第147話 見えない答え
「捕まえた」
「は、放して」
街の大通りから大きく逸れた道で、やっと追いついた俺はミリカの手を掴む。
周囲の視線は痛いほど感じるが、気にしてはいられない。
「放さないよ。ミリカ、本当にどうしたの? 俺ともっと早くに出会いたかったって言ってたけど、スカーレッドと何を話したの?」
「な、何も知らない!」
キッと俺を睨みつけるミリカ。
その瞳にはまだ涙が溜まっている。
「……俺にも話せないこと?」
「し、知らない」
「ミリカ……俺前に言ったろ? ミリカのことを家族みたいに想ってるって。だから、知りたいんだ。ミリカが辛い思いをしている理由」
「……っ」
俺の言葉にわなわなと震え出すミリカは、視線を逸らし俯く。
そして、独り言のように口を開いた。
「……分かんない。善と悪。ミリカ、分かんなくなった」
「どうして……?」
「スカーレッドは悪。フェルとポーラ悲しんでるはず。でも、でも……ミリカごしゅじんのこと知らない。家族なのに全く知らない」
善と悪が分からなくなった理由として、俺のことを知らないから。
理解できないミリカの言葉に、どう言葉を掛けていいか分からない。
スカーレッドとの会話の内容を知れば、多少力になれるはずだが、その詳細な内容をミリカは語ろうとはしない。
マスターの意思はミリカを連れて帰ってきて、情報を得ることだ。
スカーレッドという罪人の情報を隠せば、ミリカは共犯者という扱いになってしまうかもしれない。
それだけは避けなくては。
俺はできるだけ優しく、ミリカに言い聞かす。
「ミリカ。俺の事なら何でも話すけど、このままじゃミリカが捕まってしまうかもしれないんだ」
「……」
「だから、一旦マスターと話してみない? 俺もできるだけ協力するからさ?」
ミリカの目線と同じになるようにしゃがむ。
だが……
「……別にいい」
「え?」
「捕まっても別にいい」
スカーレッドから何を聞けばこうなるのか。
これではまるでミリカがスカーレッドのことを守っているようだ……自分の身さえも捨てて。
ミリカの意思があまりにも固いと気づき、動揺する俺に、
「放して……放してごしゅじん」
と、ミリカが震える声でそう言葉にした。
「ミリカ……」
「ミリカ、もう帰る。捕まえるなら逃げない。拠点に居る」
「で、でも……」
「ミリカ何も知らない。何も話してない。だから、ごしゅじん。帰らせて……帰りたい」
もうこれは……無理だ。
そう悟った俺はそっと掴んでいる手を放す。
すると、ミリカはそれ以上何も言わずに歩いて行った。
……マスターにこの事を伝えに行かなくちゃ。
そう考えても、俺の足は一歩も踏み出せない。
理由は単純明白で、ミリカを守りきれる言い訳が一切思いつかないからだ。
国家間で動くことになったこの件。
慈悲を乞いても、お得意の 「自分のことを信じてください」 と言っても、マスターが頷いてくれるとは思えない。
完全に詰んでいる状態だ。
ただただ立ち尽くす俺は空を見上げる。
そんな時、
「あれ~? レオンだー!」
無邪気なその声に、俺はぱっと振り向いた。
「ルナ……レティナ」
依頼帰りだろうか。
二人は俺の元へと駆け寄ってくる。
「二人とも……今日は早いね」
「うん! ねぇ、レオン聞いて聞いて! ルナね? こーんな大きい魔物一人でやっつけたんだよ!」
ルナは大きく手を広げて、俺にその魔物の凄さを伝えてくれる。
その仕草はとても可愛いものだった。
「そっか。凄いねルナは」
「でしょ~? レオンはここで何やってたの~?」
「えっと……」
先程まで深刻な問題を考えていたが、それを言ってしまえば、ルナのこの笑顔が崩れてしまう。
ミリカの辛そうな表情とルナの満面の笑顔。
まるで陰と陽を現したかのような状況に、戸惑っていると、
「……レンくん何かあった?」
レティナが俺の瞳を見つめて、心配そうな表情をしていた。
そして、俺の言葉が出るより先に、そっと手を握ってくる。
「言って?」
そんな真剣に見つめられては、断ることなどできやしない。
俺は一度深呼吸してから、口を開く。
「……ここじゃなんだから、移動しよ」
レティナが頷いたのを見た俺は、三人ですぐ近くの路地裏へと入り、先程までの出来事を話し始めるのであった。
「そっか……そんなことがあったんだ」
「うん。だから、どうしようかなって」
俺が話し終えると、レティナは何やら考え込む。
おそらく対処方を考えてくれているのだろう。
俺一人では浮かばなかったが、レティナは違うかもしれない。
そんな希望を持って、レティナの言葉を待つ。
すると、ルナが俺とレティナの服をちょんちょんと引っ張った。
「ねぇねぇ、ルナ先に帰ってもいい? ミリカちゃんが心配……」
「……そうだね。今日の依頼はもう終えたんだよね? レティナ」
「うん、そうだよ」
「じゃあ、ルナ。ミリカのこと任せてもいいかな?」
「うん! じゃあ、行ってくるね!」
気合の入った返事をしたルナは、タッタッタと走り去っていった。
その姿を見て、少しだけほっとする。
仮にレティナが対処法を思いつかなくても、ミリカの側にルナが居てくれるだけで少しは癒されるだろう。
「レンくん。私たちも行こっか」
「え? 何処に?」
突然のレティナの言葉に、俺は首を傾げる。
「もちろんマスターの所だよ?」
「まさかいい案でも浮かんだの!?」
「う~ん、案というか何というか……まぁ、大丈夫。レンくんはいつも通りにしていればいいから」
レティナは人間の姿をしているだけで、本当は女神様なのではないだろうか。
俺を安心させるように微笑むその姿は、とても可愛く、とても頼りらしかった。
「ほらっ、レンくん」
そう手を差し出してくるレティナ。
その手を握り、二人で一緒に<月の庭>まで向かう。
一人だったらきっと俺は歩み出せなかった。
でも、今はレティナが居る。
ミリカの事やこの後の事に不安はあるが、レティナと一緒なら乗り越えられる気がした。
数十分掛けて<月の庭>まで辿り着いた俺たちは、ギルドマスター室の扉をノックする。
「レティナ・レニクリーフです。レンくんと一緒に来ました」
「……入れ」
少し間がある返事を聞いたレティナは、ためらいなく扉を開ける。
「……レオン。ミリカの姿が見えないが?」
まぁそう聞かれるだろうと思ってはいた。
「ミリカちゃんは拠点に帰りましたよ」
俺の代わりにレティナが答え、すまし顔のままソファに座る。
焦りも戸惑いも一切ないその姿はできる女のような雰囲気だ。
俺もそのできる女の横に腰を下ろす。
「帰ったというなら、ちゃんと話は聞いたのだな?」
「いいえ? レンくんは何も聞けなかったようです」
「……レオン?」
ふ、ふむ。
物凄い重圧だ。
だが、俺にはレティナが付いている。
いつも通りにしていればいいよ、とレティナに言われたのだ。
ポーカーフェイスを装ってれば、それでいい……んだよね?
「ルーネさん。まぁ、少し落ち着きましょう」
「私はレオンに聞いているのだが?」
「ミリカちゃんの話は聞いています。なので、レンくんでも私でも問題ないでしょ?」
「いんや? レティナ。君は昔からレオンが何も言えない時ほど、話に割ってくる性質がある。つまり今のレオンは、私に何も言えない状況だと言うことだ」
お、仰る通りです。
俺は尚もポーカーフェイスを続ける。
「ミリカを法に則って捕らえても良いと言うことだな?」
「へぇ~。そんなことすれば、この王都に……いや、世界に多大な損害が及びますね」
「……何?」
え? どういうこと?
マスターと同じで、俺も疑問が募る。
「ルーネさんも知ってますよね? レンくんは仲間の為なら、命までも厭わないと」
「それがなんだ?」
「つまりですね、ミリカちゃんが捕らえられる前に、レンくんはミリカちゃんを連れて逃げてしまいます。もちろん私たち<魔の刻>全員も」
「……ふむ」
「罪人を手助けしたパーティーという汚名を着せられても構いません。ただその場合、私たちは表舞台からいなくなってしまうので、冒険者を続けることは出来ませんけど」
なるほど。
幼少期のレティナは天真爛漫な子だったのに、今ではここまで考えられる女の子になったか。
今の俺は不甲斐ないと自分自身で分かっている。
ただ、あまり自分を卑下するという気持ちは起こらない。
マスターさえ良い回答を出せない程に、レティナが凄すぎるからだ。
いつの間にか俺はポーカーフェイスを止め、無意識にうんうんと頷いていた。
「確かにそれは大きな痛手だな」
「そうですよね? なので、ミリカちゃんのことは一度放置して、レンくんを信じましょう」
「うんうん……えっ?」
つい間抜けな声を出した俺に対し、レティナは話を続ける。
「レンくんからあまり時間がないと聞いています。それでいち早く解決に向けたいマスターの気持ちも分かります。ただ、もう少しだけ待っててください。レンくんは一度も依頼を失敗したことがないので、今回も絶対すぐに解決出来ると思っています。ね? レンくん」
こういう時にいつも思うことがある。
いや、みんな俺のことを信じすぎじゃない?
そりゃ何とかしたいって気持ちは強いけど、今回の相手は相当な手練れだし、もしも失敗したら……
俺はレティナの問いに答えられず、ぶるりっと身体を震わす。
「……レオン」
「は、はい」
「できるか?」
「……問題ないかと」
「ふむ」
俺の言葉を聞いたマスターは身体の力を抜き、椅子の背もたれに身を預けた。
声は震えていなかっただろうか。
ちゃんと返答したつもりではあるが……
腕を組み思考に更けているマスターは、ふぅとため息をついたかと思えば、真剣な面持ちで再度口を開く。
「いいだろう。ミリカの件は一旦保留にしてやる」
「ほ、ほんとですか?」
「だが、猶予は付けさせてもらう。そうだな……一週間だ。一週間で、フェルとポーラを救い出し、スカーレッドを捕らえろ」
「分かりました。ありがとうございます」
俺はマスターに向けて、深く頭を下げる。
ミリカがスカーレッドと会話をした。
その詳細な内容を多くの者が、ミリカではなくマスターに聞きに来るかもしれない。
そんな事態を考慮してもなお、一週間という期日をくれたマスター。
もう頭を上げるどころか、足を向けて寝れない存在だ。
それにしても一週間か……
長いようで短いその期間までに解決しなければ、おそらく最終手段としてミリカは捕らえられてしまうだろう。
それまでには必ず何とかしなければ。
「あっ、あと、レオン。君が来る少し前にローゼリアが顔を見せたぞ」
「ローゼリアが?」
「うむ。部屋に入るなり、心配そうな顔でミリカと君のことを聞いてきたのでな。私が話せることまでは話したが、君からもちゃんと説明しておくように」
「……分かりました」
ミリカだけなら分かるが、ローゼリアが俺のことを心配ねぇ……あまり想像できないな。
「では、もう行って良いぞ。吉報を期待しておく」
「はい」
どうにか穏便に話を済ませれた俺は、レティナと一緒に<月の庭>を後にする。
「レティナ、本当にありがとう。おかげで何とかなったよ」
「ううん。別にいいよ。ミリカちゃんの為だもん」
屈託のない笑顔に、俺の心臓がドキッと脈打つ。
ここが街の大通りでなければ、今頃力一杯レティナを抱きしめていることだろう。
「それにしても、ミリカちゃん大丈夫かな……」
「……拠点に帰ったら、すぐに会いに行こう」
こくりと頷いたレティナと共に、俺たちは拠点へと向かうのであった。




