第100話 父と娘②
「……聞こえなかったのか? 帰ってくれ」
おじさんの声色は静かで、先程の怒気がまるで幻覚だったんじゃないかと思わせるほどであった。
「まだ話が終わってない。なんで……四人も斬ったの? 理由があるでしょ」
「……もう終わった話だろ。掘り返すんじゃねえよ」
「そうだね。でも、フェルとポーラは知りたがってる」
それに俺だって、本当のことを知りたい。
二人の名前を出したことで、ぴくっとおじさんの身体が反応する。
そして、こちらを振り向いたかと思えば、複雑そうな顔をして肩を落とした。
「……レオン。勘弁してくれ。もう何もかも……終わった話なんだ」
「俺はまだ事件があったことしか知らない。正当防衛って話は聞いた。なら、なんで医者まで殺したの?」
「……」
「おじさんの力を今見て分かったよ。おじさんなら襲われたとしても斬り殺すことなく、止められたんじゃない? なのに、なんで……?」
俺は真剣におじさんを見つめる。
理由を聞くまで退かない。
その思いが伝わったのか、おじさんは諦めたように首を横に振り、ふっと小さく笑った。
「レオン。お前には言ったな? ここの冒険者は礼儀を知らんと」
「そういえば、初めて会った時に言ってたね。レティナたちもこの国の冒険者に絡まれたって言ってたけど……それがどうしたの?」
「…………殺した三人はその冒険者だ」
「えっ?」
唖然とする俺に対して、おじさんはゆっくりと俺の横を通り過ぎ、椅子に再度腰掛ける。
「今同じ状況になっても……きっと斬っていただろうな」
「斬り殺したって話は……事実なんだね」
「……あぁ」
まぁこれはマーゼ王妃から聞いていた事だ。
おじさんが斬ったことを認めていたと。
ただ、斬った三人が冒険者だったという事実を知らなかった俺は、素直な疑問をぶつける。
「……どうしてその三人を殺したの?」
「俺はな、この国の冒険者が大嫌いなんだ。あいつらは自分よりも強い冒険者を見れば嫉妬し、少しでも印象を下げようと悪い噂を流す」
「……でも、それが全員とは限らない」
「あぁ、そうなんだろうな。だが、俺の周りにはそんな奴らしかいなかった。少なくとも好意的に話しかけてくる奴なんて、一人もいなかった」
表情はいつものおじさんなのに、どこか寂しそうに見えるのはきっと気のせいではないだろう。
「正直な……別にそれでも良かったんだ。俺には妻がいてポーラがいた。それだけで十分幸せだった……だが、フェルが産まれるのと同時に、俺の妻は亡くなった。不幸と幸福が同時に起きてな……それでも悲しみで日々が明け暮れることはなかった……全てはフェルとポーラのおかげで…………」
「……」
「ただそれでも色々と大変だったよ。家事はいつも妻に任せていたし、依頼に行こうにもフェルとポーラを任せられるような人はいない。だから、二人を安心して預けられる人を探した」
「……居たの?」
「あぁ。昨日もその人の店で食材を買ってきたんだ。優しい人だよ」
淡々と昔話をするおじさん。
その話の内容は全部事実だろう。
心の底から出ている言葉や、この表情を取り繕えるわけがない。
だから、理解した。
今もこの人は……フェルとポーラのことを……
「それから冒険者に復帰して、忙しい日々にも慣れてきた頃だ……冒険者の絵本を読み聞かせたポーラがな……言ったんだよ。お父さんも仲間がいるの? とな。
もちろんその頃にも仲間がいなかった俺は、そこで変わろうとしたんだ。フェルとポーラを預かってもらってるじいさんみたいに、もしかしたら頼れる冒険者もいるかもしれないとな……」
複雑な表情で口を開くおじさんを見て、話を聞いているだけの俺は少しだけ汗をかいていた。
……嫌な予感がする。
「一度だけパーティーを組みたいって言ってきた奴らがいてな。そいつらに同行した……」
その言葉で詰まったおじさんに、俺はカラカラに乾いた喉でなんとか先の話を促す。
「……同行して?」
俺の言葉ですぅと息を吸ったおじさんは、ゆっくりと言葉を発した。
「……薬を盛られた。それも強力な麻痺薬だ。まさか、依頼中に……それも洞窟の中でそんな事をしてくるとは予想できなくてな……やられたよ」
「それで……どうなったんですか?」
「なんとか脱出はできたが、俺を騙して魔物の餌にしようとしたんだ。もちろんその非道を許すほど俺は優しくない。事前にそのパーティーメンバーの宿屋は調べがついていてな。問い詰めて必ず牢屋にぶち込んでやろうと思った……それで見つけたんだよ。医者と話し込んでる三人の冒険者をな」
話が進んでいくにつれて、おじさんの表情が険しくなっていく。
「本当は……斬り殺すつもりはなかった。あくまでも捕縛してギルドに連れて行くつもりだったんだ。だが……」
ギリギリと歯を食い縛って何かを耐えようとするおじさんは、今にも暴れ出してもおかしくない様子であった。
「レオン……てめぇは言ったな? なんで医者も斬り殺したのかって」
「うん……」
「それはな……
……その医者が俺の妻に毒を仕込んだからだよ」
おじさんの言葉に、俺は声を出せずにいた。
だってそうだろ。
普通なら考えられないんだ。
いくらこの国の冒険者が強い冒険者に嫉妬しても、その妻を殺そうとは考えないなず。
おじさんが言っていることは、内容を聞いただけでは紛れもない嘘だと言える。
だが、目の前にいるおじさんの表情から、震えている声色から、全てが真実だと確信できるものがあった。
俺は事件の真相を淡々と話すおじさんに耳を傾けることしかできない。
「あいつらは俺が生きていたのがまずいと思ったんだろう……迷いも無く斬りかかってきたよ。生きる価値のない人間だ。その時は医者もいたから、正当防衛と主張してくれると思って斬り殺した。
だが、その後にそいつはぺらぺらと真相を話したんだ。 「自分は脅されていた」 とか、 「赤ちゃんには害が無いようにした」 とか……なぁ……お前はどう思う? レオン」
医者が最愛の妻に毒を盛り、死に追いやった。
それがどんな理由であろうとも……きっと俺も同じように殺していただろう。
聞かれた質問にどう答えようかと迷い、結局口を噤む。
「それが事の顛末だ。分かったならさっさと帰れ」
話し終わったおじさんは俺から目線外し、大黒柱を見つめる。
世の中にはこんな話がごまんとある。
深い悲しみの末、復讐の為に四人を殺したおじさんを非難しようとは思わない。
だが……
「言ってることは……きっと真実なんでしょう」
「……」
「四人を斬り殺した理由も分かりました。その四人は俺もおじさんと同じで許さなかったと思います。どれだけ懺悔されたとしても、大切な人は返ってこないから……ただ……」
俺は拳を握りしめ、フェルとポーラを思い出す。
二人がどれだけおじさんを愛していたか。
当時幼子であった二人には、きっとおじさんしかいなかった……
二人のことを考えた俺は、自然と言葉を繋いでいた。
「ただ……どうしておじさんは、フェルとポーラを迎えに行ってあげなかったんですか?」
「……っ」
「奥さんを愛していたのは分かります。でも、それと同じくらい二人のことも愛していたんでしょ? 二人がおじさんと離れ離れになってから、どれだけ大変な思いをして、どれだけおじさんと会いたがっていたか……」
愛しい子供を繋囚から解放されても、放置していた。
真相を話された後にもその事実だけが胸に引っかかっていた俺は、おじさんに詰め寄った。
「答えてください。何故迎えに行かなかったのか……それとも本当は会いたくなかっーー「っだろ」
「え?」
「会いたかったに決まってんだろ!!」
立ち上がったおじさんは俺の胸ぐらを掴んだまま、ぽたぽたと涙を落とす。
「俺が何千回……っ何万回願ったと思う。ずっと……ずっとずっと……牢屋でっ……この家で……俺が……俺がどれだけ……ポーラとフェルに…………っ」
「……っ」
「でも……でもよぉ……一緒に暮らせるはずがねぇだろうが……っ。俺は有名な元犯罪者だぞ……? そんな俺とよぉ……今、幸せに暮らしてるポーラとフェルに……っどんな面して迎えに行けばいいんだよ……っ」
優しいお父さんだったと、ポーラは幸せそうに過去の記憶を話してくれた。
その内容全てにおじさんの優しさが溢れていて、フェルとポーラを迎えにいけない理由だって、二人のことを考えてのことだった。
自分を犠牲にしてでも二人の幸せをただひたすら願って、この家で一人生き続けていたおじさん。
こんな寂れた地区で過ごしては、必ずと言っていいほど二人に会うことは叶わない。
目の前で大粒の涙を流しているおじさんを見て、俺の胸がぎゅっと締め付けられる。
その時だった。
「……お父さっ……んっ」
「……っうっ……うっ」
唐突に扉が開かれたと思えば、涙で顔をぐしゃぐしゃにさせているポーラとフェルが姿を見せた。
「……ポーラ……フェル。なぜここに?」
「……お父さっん。ごめんなさいっ。私のせいで……っ……私がっ……私が変な事っ……聞いたせいで……ごめんなさいっ。お父さ……っん。ごめんなさい」
「……うっ……うちが……うちがっ生まれなければっ……お母さんはっ……ごめんなさいっ……ごめんなさいっ」
「全部……聞いていたのか……?」
コクコクと頷く二人に、おじさんの震えが大きくなった。
「私のっ……言葉でっ……お父さんっ……っ……フェルも……っごめんなさ……っい」
「うちがっ……うちがっ……うっ……っうぅっ」
「なっ……何言ってるんだ……っ」
「お父さっ……ん。ほんとっ……うにごめんなさっ……い」
「うっ……うっ……うぅうぇぇぇええん」
「……っ…………お……お前たちのっ……せいじゃないっ。全部父さんが悪いんだ…………っ」
「うっ……うっ……お父さっん……お父さんっ」
「うぇぇぇぇぇええん」
「泣くな……っ。泣くなっよぉ……」
おじさんがポーラとフェルに近寄り、優しく抱きしめる。
「お前たちのせいじゃないんだ……っ。だから……泣かないでくれっ」
おじさんが必死に願っても、二人の涙は止まらない。
幼い時の記憶が曖昧だったポーラ。
そんな記憶さえもほとんど覚えていないフェル。
そして、その二人をずっとずっと想い続けていたおじさん。
長い時間をかけて再び邂逅できたそんな三人を、俺は涙を堪えながら静かに見守るのであった。




