第五話 奴隷が名前を教えてくれない
精力満点な朝食を作られた天才薬師。
思ったより美味しい料理に頬が緩むも、そんな平穏が長く続くわけもないのであった。
どうぞお楽しみください。
「ごちそうさま」
「お粗末様でした。いかがでしたか?」
「……食材の選択はともかく、その、美味かったよ」
「本当ですか? 良かった……!」
顔をほころばせて喜ぶ少女に、男も釣られて微笑む。
(市場では十一歳って言ってたけど、こうしてみると年相応の女の子だな……)
そんなほのぼのした気分は、
「ではご褒美に強めの蹴りをお願いします」
「もう少し浸らせてくれたっていいじゃないかよもう!」
あっさりと打ち砕かれた。
「私はまだ子どもですよ? よくやった時にはちゃんとご褒美をあげないと」
「美味しいご飯を作った人を蹴っ飛ばしたら、それ完全に人でなしだからな! ご褒美だなんて思うのはお前だけだからな!」
「当たり前じゃないですか。常識ですよ」
「くうー! 真っ当な言葉がやけに心をささくれさせる!」
「我慢はいけませんよ。ストレスは何かをがつーんと蹴るとすっきりしますから、さぁ!」
「ボール蹴りでもするかー」
両手を広げた少女の横を、男はするりと通過する。
しかし少女は諦める様子もなく、男の前に回り込んでしゃがんだ。
「じゃあ私ボールやります!」
「何でそのポジションに立候補!? ボールはあるからお前の出番はない!」
「ご主人様の蹴りを受けるなんて、そこら辺のボールに許される事ではありません!」
「俺の蹴りの価値を無意味に上げるのやめろ! どういう感情で反応すればいいかわからなくなるだろ! とにかく俺はボールしか蹴らん!」
「じゃあ私の名前は今からボールです! さぁ蹴ってください!」
「とんちか! 名前変えればいいってもんじゃ……」
そこで男ははたと気が付いた。
「そういえば、お前の名前なんだ? 奴隷市場では『本人に聞け』って言われたけど」
「ボールです」
「そうじゃなくて、もっとちゃんとした名前」
「サンドバッグです」
「ちゃんとしたって、造りがしっかりしているとかいう意味じゃねぇよ!」
「ならメス豚で」
「何が『なら』だ! 『おいメス豚』なんて呼んでたら精神の均衡が崩れるわ!」
「じゃあわんこで」
「ぐぬ……、ほんのり可愛いけど明らかに裏の意味があるところを狙ってきやがって……」
「呼んでくれたら犬のように従順になりますよ」
「うーん……」
「さぁ!」
「本当に?」
「はい!」
「お前のいい返事って何か信用できないんだよなぁ……」
「そんな事ないですよ! ほら早く早く!」
そんな少女の様子に、男の脳裏には悪寒と共にある考えが浮かんだ。
「……そういや犬によっては主人を見下して、全然言う事聞かない犬っているよな?」
「な、なぜそんな事を急に?」
「それ基準でいったら、お前の態度って今まで通りだよな?」
「……」
目を逸らす少女に、男はどっと冷や汗をかいた。
「あっぶねぇ! 犬呼ばわりさせられた挙句、態度変わらないとかどんな罰ゲームだよ!」
「二日目にして私の思考を読んでくるとは……。やりますね」
「助かったけど嬉しくない」
深々と溜息を吐く男に、少女が指を立てて提案した。
「じゃあご主人様が名前をつけてください」
「俺が?」
「そうです。私はご主人様の奴隷ですから」
「うーん、じゃあ……、ケミィで」
「……ケミィ……」
「良い名前だろ? 俺がカールだから、ケミィとカールでケミカル! なんちゃって……」
沈黙が流れる。
「おもしろーい。ごしゅじんさまおもしろーい」
「死んだ目で手を叩くな! くそう、スベった時に一番辛い対応しやがって!」
「笑い転げるのがお望みでしたら今からやりますけど」
「傷に軟膏と見せかけた辛子を塗り込もうとするな! 気に入らないなら別の名前を……」
しかし少女は、静かに首を振る。
「いえ、これがいいです。ご主人様の名前と合わせて一つの言葉になる名前……。私をご主人様の相棒として認めていただけたような気になります」
「そ、そうか? ならいいんだけど……」
照れる男に少女はにっこりと微笑んだ。
「ただ一つ付け加えていいですか?」
「ん? ファミリーネームか?」
「いえ、頭に『卑しくも哀れな』と付けて呼んでもらいたいです」
「呼ぶかぁ! 何で人からもらったものに負の魔改造を施そうとするの!?」
「ならば『選ばれしメス豚・』ならいいですか?」
「その『・』ってのは何なんだ! 地味に面倒くせぇ!」
「二つ名みたいで格好良くないですか?」
「『選ばれし』の格好良さを『メス豚』が食らい尽くしてるんだよ! 追加は許さん! お前はケミィだ!」
読了ありがとうございます。
投げやりじゃないよ!
投げやりだとしても『呼んでるうちに愛着も湧くだろう』という名の前向きな投げやりだよ!
ごめんなさい。
次話からは、ケミィとカールで表記して参ります。
次回の投稿は来週の月曜を予定していますので、どうぞそれまで覚えていていただけたら嬉しいです。