百目鬼家に家族が帰る
悔しい事に俺は妖怪に一言で納得させられ、それどころか、気分まで上向きになっているという体たらくに陥っていた。
俺に何かあれば、そこで玄人が死ぬ。
その通りだ、しょうがねえな、という感じだ。
「あ、そうだな。それじゃあ、俺を駒に使えないか。」
「そうそう。死なせないようにの計画なのに、殺してどうするの。確かに酷いやり方だったけれど、今回失敗すれば、本当にこの子は死んじゃっていたからね。そうでしょう。もう体に無理がきていたんだよね。」
玄人がこくりと頷いた。
楊はそんな彼を慰めるようにぎゅっと抱きなおす。
彼は命を手にして、愛を一つ失ったのだ。
新たな体になった彼は、恋人に全身を見せ付けた。
その姿を目にした恋人は「構わない。」と彼に答えたが、一週間経っても音信不通だ。
玄人を捨てるなら俺が買い与えた車を返せと言いたいが、物凄く大事な宝物のように車を扱っている奴から取り上げられるほど俺は人非人ではない。
淳平は帰京するや愛車が炎上したのは事実だったと知らされて半狂乱となり、実はそれが元井の車で、淳平の相模原ナンバーの愛車が世田谷の病院に置きっぱなしだと世田谷の警察から苦情を受けるや、深夜にも拘らず電車を乗り継いで車を取りに走ったのである。
それは仕方がない。
玄人には内緒だが、あれは、俺と淳平が一緒に販売店を見て周り、一緒にメーカーと車種を決め、オプションなど何から全部一緒に考えて作り上げたという新車なのだ。
あいつは玄人を捨てても俺への愛は捨てなかったのだろうと気付くと、急に哀れになった玄人をそっと膝に引き寄せて抱きしめた。
「あ。俺から取るなよ。」
「お前はさっさと相模原に帰れ。」
不貞腐れた顔を見せた楊だが、実は彼には帰るところが無い。
楊は今回のことで一人責任を取らされて、特別犯罪対策課の課長の任を解かれた。
彼は現在刑事課の一刑事でしかないのである。
それも謹慎中だ。
楊が不在となった特別犯罪対策課は葉山が引き続き指揮をとっており、半年後に彼が警部に昇格した後に復帰予定の今泉と交替して本部に戻るそうだ。
本部では情報部の一つの課を受け持つ予定と彼は聞いているらしい。
「特対課は来年には解体だね。あんなに嫌だと思っていたのに、いざ無くなると思うと悲しいよ。」
ポツリと楊は口にした。
「そうだね。なんだかんだで、かわちゃんは頑張っていたものね。」
「そう。解体する時は自分の手で解体したかったなって。」
俺は楊でしかない彼の返しに笑い、そして、婚約者にも去られた楊が哀れで彼の方に茶菓子の皿を動かした。
今日の菓子は彼の好きなカステラの切り落としだ。
彼は黄色の柔らかな部分よりも、粗目がついてべとべとの黒い部分が好きという貧乏性なのである。
「何?」
「いや、お前はカステラの耳が好きだろう。いいよ、耳だけ食え。傷心なんだろ。」
がくりと頭をふせた楊に対して、玄人が慰めるように手を伸ばして彼の肩を右手でぽんぽんと叩いた。
「かわちゃん。落ち込んだ振りは僕達の前でしなくていいよ。」
楊は眇めた目で玄人を睨むように顔を上げた。
「ばらすなよ。」
「何だ。婚約破棄を狙っていたのか。お前はろくでもない策士だな。」
「シー。大きい声で騒ぐな。真実を知ったら梨々子が可哀相だろ。」
梨々子は楊に婚約破棄の通告をしてきたのだ。
楊と結婚させたいと狙っていた彼女の祖母も母親も大騒ぎしているが、ヨーロッパ観光中の彼女が親友と見学して楽しんだドイツの工科大学に進学したくなったのだから仕方がないだろう。
滑り台が楽しいと喜ぶ彼女に、そこは大学ではなかったのか?と謎でもあるが。
「留学したら卒業まで何年かかるか分かりません。大好きなまさ君を待たせるのが申し訳ないので結婚を取り止める事にしました。」
楊が見せてくれたメールの文章が、相手の事を考えているようで自分本位なだけであり、俺は彼女が玄人と仲良しな理由が見えた気がしたと思い出す。
そして目の前の楊は前世では孫に当たる少女の羽ばたきに、肩の力が抜けたか気分を浮きたたせている表情だ。
「蜘蛛の巣脱出おめでとう。モンシロチョウ君。」
妖怪は大声で笑い、ぼっと顔を赤らめた楊は俺を怒鳴りつけようと口をあけたが、その口から怒鳴り声が迸ることはなかった。
「たっだいま!」
楊が怒鳴る前に能天気な声が玄関から響いたからである。
「あ。淳平君だ!淳平君!おかえりなさい!」
玄人はすくっと立ち上がると、物凄いスピードで玄関に駆け込んで行った。
玄関では玄人のキャーキャーと騒ぐ歓声で騒がしくなっている。
俺は正面でにやにやしている妖怪に水を向けると、彼は楊がよくする目玉をまわすおどけをしてから、「かんぬし」と口ぱくして答えた。
「神主?」
「うそ。あいつ刑事やめんの?」
「辞めないですよ。僕は良純さんと同じ二束のわらじになります。しばらくは白波が作った公園の祠の宮司というか管理人ですね。今迄も僕がそこを手入れしていたのですよ。」
右腕で玄人をがっしりと掴んでいる彼は、嬉しそうに居間に入って来た。
「お前はコイツを振ったんじゃないのかよ?今のこいつは女の子の穴は無いけれど、男の子のしるしも無いぞ。ケツの穴は変わらずにあるがな。」
妖怪はぶっと噴出して、部下だった男は楊を小馬鹿にした目付きで睨んだ。
「かわさんって下品。良いんです。俺は玄人の男の子の魂に惚れているから、彼がどんな体だって良いんです。」
「毛むくじゃらは受け付けないくせに。」
「かわさん!」
俺は脇に置いてある茶器で淳平の分の茶を入れて手渡すと、彼は嬉しそうに受け取りながら種明かしをした。
彼には謹慎の研修などは無く、彼が缶詰にされていた行き先は宮司の一番下の位を取得するための神職養成特別講習会であったというのである。




