師弟ともに生臭坊主
俺を養子にまでしてくれた俊明和尚の親友だという照陽和尚、俺が勝手にテルテルと呼んでいる奴のお供をして山を訪れるのは、一体何度目であろうか。
彼は照陽なんてテルテル坊主のような名前の癖に、頬骨のしっかりした顔立ちをした、老人とは思えない体格の良いごつい男だ。
年を重ねても中性的で美しかった俊明和尚と正反対な奴である。
また、俊明和尚が清廉に人生を終えたのと反対に、この男は神田の高級マンションで演歌歌手のような別嬪と仲睦まじく暮らしている生臭坊主でもある。
かっての彼は俺が山で修行している時は目もかけず、俊明和尚が亡くなった際には俺の振る舞いが許せないと、山に俺を干すように進言して実行した、俺にとっては敵でしかなかった。
しかしながら、俺と同期だった彼の弟子がしでかして被った彼の汚名を注ぐ手伝いをして以来、俺の師きどりで俺を良いように扱うようになったのである。
お山で四つの役職の一つを担っていたこの大将様は、前述した弟子の失態から役職を退き、現在は三十人の正大師の一人でしかないが、山においての彼の影響力という名の権勢は今だ衰えず、次代の大僧正と目されているお方なのだ。
そんな方が俺の後見ともなれば、俺の待遇が山でどう変わるかは想像がつくというものだ。
俺は手のひらを返されて優遇され、最近では僧としての仕事も頻繁に山から依頼されるようになっている。
それも、俺の本来の仕事の不動産業と、養子にした武本物産の御曹司の育成を第一に考えて良いという前提ありで、だ。
よって俺は彼の気持ちの変化と後押しを受けている証として、昨年の夏前に位が上がり一等僧士となったが、昨年暮れには奴の推薦によってもう一つ位が上がったのである。
異例すぎる異例の出世、今や俺は上僧士だ。
一等僧士の位は、他人の寺で住職の代わりに法事ができるというものでしかなく、普通の寺の住職であれば数年在職の上で申請でき、寺の無い坊主であれば数年間に一定額の上納金があるという証が申請に必要だ。
つまり、申請すれば得られるものなのだ。
けれども、上僧士以上の位は違う。
どう違うのかというと、それなりの人物の推薦が無ければ決して得られない位である、というものだ。
一匹狼の、この間まで干されていた俺には、決して得られない位だったものである。
「ありがたみがよくわからないです。」
これは玄人の頭が悪いのではなく、坊主の世界は宗派によって僧の階位も呼び名も違うから、一般人には理解が大変だというだけである。
旅支度の最中で面倒だったので、俺は玄人に軍隊階級で説明してみた。
彼はネットで戦争ゲームの類ばかりしている。
「三等兵から始まってな、本山での修行を陸軍学校と考えるんだ。二等兵から一等兵に上がるだろ。そこから戦場に出て、俺はまず軍曹になったんだ。そして軍功を上げてだな、今の俺は少尉になったといえばわかるだろうか。」
玄人は理解したという顔になるどころか、腕を組んでうーんと考え出した。
「どうした?」
「良純さんの宗派の階級は、一番偉い大僧正様まであと三つしか無いじゃないですか。」
俺は一瞬全部放り投げたい気持ちになったが、子供を持った親として子供に誠実であらねばと自分を律した。
「元帥であられる大僧正の前には三十名からなる正大師がいてだな、その中から選ばれる役職が四つあるんだ。それを大佐少将中将大将と考えてだな、後は権上僧師と権大大師で振り分ければいいだろ。」
俺はやはり面倒だったのかもしれない。
割合と適当な説明になっていた。
大体、僧侶を軍隊になぞらえること自体が間違っている。
そして、面倒な子供を親友に押し付けて、俺は浮き足立ちながら本山への旅へと繰り出したのだ。