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疑うらくは是、命が九天より落つるかと(馬終話)  作者: 蔵前
十六 君が帰って来るならば僕は何度だって言おう
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そろそろ思い切ってくれ

 楊は腕の中の玄人をひたすら愛おしいと思った。

 ずっと抱きしめていたいと思った。

 彼はどんなに抱きしめていても、楊に性的なもっとを望むことはなく、楊が自分を慰めたいだけ彼を抱き締めていられるのだ。


「別の人間になれたら君は生きられるんだ。その使い物にならない肉体ではあっちの世界では生きられない。別の世界で生きるのならば、意識の改革が必要だろ。頑張ってアグレッシブになろうよ。おいしいものを食べられる長生きの人生の為に。」


「かわちゃん。無理だよ。僕はかわちゃんを別の名前で呼びたくない。僕は別人になりたくないし、かわちゃんに違う人間にも成って欲しくない。良純さんや淳平君のいるところに帰りたい。もう二度とご飯が食べられなくてもかまわない。」


「シ、シー。」


 楊は指先で再び玄人の口を塞いだ。


「帰りたいは合格。でもね、願い事は考えてするものだ。駄目。そんな願い事は駄目。言ったでしょう。どうせ願い事をするのならばアグレッシブに欲望に忠実に、だ。」


 玄人はぽろぽろと涙を零し、それから楊の意図をようやく理解したのだと大きく目を見開いた。

 楊は玄人を別人として別の世界で囲うことが目的だったのではない。

 楊の腕の中で、玄人は開けたままの玄関の扉から空を見上げた。


 二つの月。

 どちらも本当で、どちらも偽物の世界。

 生き神と死神のルールを知った男が作り出した世界。

 そこに居た筈の人間がいない町。

 そこに居ないはずの人間がいる町。


「僕が昔彷徨っていたこの世界は、僕しかいなかったこの世界は、あなたが昔作り出したものだったのですね。同じだけど同じじゃない。」


「大事なものは二つ必要でしょう。楊家には俺と傑。俺が消えても彼が残る。君も本来は二人居た。過去の小さな少年。そして現在の君。家臣に殺されたあの少年は、長い長い寿命がありながらも切り刻まれて殺された。」


「過去と未来は一緒にできない。ですから僕は一人だけです。あなたもそう。あなたも傑も別々の本物。ただの双子。どっちもフェイクなんかじゃない。」


 楊はにっこりと玄人に微笑んだ。


「俺は君の嫌うフェイクだよ。今も昔も嘘しかない。俺は誠司で三條だ。人を恨んで世界を恨んで壊して来た三條なんだよ。居場所が無いからって別の世界を作ってもね、結局人殺しの殺伐とした世界しか作れない。何度もの襲撃も何もかも、俺の脳みそがでっち上げたフェイクだ。三文芝居だ。」


「違います。僕達を襲撃したあの嘘警官は、あの三人はあなたを裏切った友人だった。彼らを殺したのは彼ら自身だ。あなたは普通に罪悪感と後悔を抱えている普通の人です。」


「友人なのに俺は何度も殺せるじゃないか。幻影だろうが何度も殺した。俺はどうやっても変われない人間なんだよ。何度も同じ事を繰り返す俺に、お前だって飽き飽きしたでしょう。何度も何度も、ただいま、お帰りなさい、だ。いいんだよ。言っても。嫌だって言いなさいよ。頼むからもう嫌だって言ってくれ。俺を嫌だと思い切ってくれ!俺に男らしい覚悟を決めさせてくれ!」


 六畳間は消え去り、二人が立つのは楊邸の傍に植えられているダイダイの木の前だ。


「この木を枯らそうとしたのは俺だ。お前の前世を殺したハネトの名を持つ神木。俺に枯れかけさせられたこの木をお前は助けたからね、この木はお前を守ろうと枝を広げている。俺の命を吸って、お前に注ぐ準備は整っているんだ。さぁ、そろそろ決心はついたかい?簡単でしょう。俺と一緒は嫌だって、元の世界に健康な体で帰りたいって叫ぶだけだ。」


 しかし玄人は木の前でしゃがみ込んで泣き喚くだけであった。

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