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疑うらくは是、命が九天より落つるかと(馬終話)  作者: 蔵前
十五 二つの月のどちらかの世界
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髙、怒る

 髙が収容される部屋には、彼が探して会いたかった青年が安置されていた。

 窓一つ無い真っ白な四角い牢獄。

 山口はベッドに横になっているが、そこには髙の分のベッドはなく、それどころかトイレも何もない部屋であることに、髙は不安の慄きを隠しながら連行者に尋ねていた。


「何が起きたのか教えてくれるか?」


 山口の青白い顔を眺めながら尋ねる髙に、病室に案内した伊藤はそっけなかった。


「僕がわかるわけないでしょう。」


 前へ押し出された髙はよろめきながら進むと、後ろで病室のドアががちゃり閉まる音が響き、続いてカチンと鍵の掛かった音がした。

 髙は仕方が無いと諦めを持ってとにかく山口のベッドへと向かった。


 死人にしか見えない青白い青年の手を握り、これからを何も考え付かないとぎゅっと目を瞑り、自分の不甲斐なさを呪ったのである。

 しかし、山口の握り返してきた反応に目を開ければ、彼の瞼がびくびくと動いているではないか。


「生きていた?大丈夫か?」


 山口は開けたくとも開けられない瞼を開けようと暫く瞼をびくびく動かしたが、瞼をあけることをとうとう諦めたか、ため息だけをふうっと吐いた。


「山口?」


「はぁ。俺は、……失敗、しま…………した。」


「何をだ?」


「く、……クロトです。り、りょう、良純さんが正しかった。良純さんの言うことを信じて、警察官として動いていれば、よ、よかった、のです。」


 髙が耳を澄まして忍耐強く山口の途切れ途切れの告白を聞けば、髙までも自分の情け無さに頭を抱えるだけである。

 最初に百目鬼が「玄人でない」と断じた時に信じて動いていれば、今塚が玄人に成り代わっていたことを突き止められ、そして、おそらく今塚を唆したのが楊だと、あるいは長谷だと見破れていたかもしれないのだ。


 百目鬼が玄人の無事を信じてそれほど取り乱していないのは、楊も長谷も玄人を殺すことは絶対に無いという考えからだ。

 彼が倒れたのは山口の失踪だ。

 山口は簡単に自殺をしようとする馬鹿者であるから、百目鬼が恐慌に陥ってしまったのであろう。

 髙達は事が済むまで何もしないで構えていれば良かっただけの話なのである。


「それなのに、余計な動きをしたために、人外のものの虜囚となってしまったとは。」


 山口のベッドに腰掛ての無意識の言葉だが、言葉と一緒に涙も零れてしまっていた。

 虜囚となったことが悲しいのでも辛いのではない。

 長谷が何と言っていたのかを彼が思い出したからである。

 彼は楊が消えると髙に伝えたのだ。


「八方塞がりか。ここまできて俺も山口も囚われの身。かわさんを助けるどころか忘れてしまうそうだってさ。せっかく百目鬼さんが犯罪者になってまで俺をこの世界に送ったというのにね。俺は話を聞いて泣くだけの情けなさだ。」


 髙は情けないと自嘲の声をあげながら、窓ひとつ無い病室を見回し、それから立ち上がると何の気なしに病室の扉に手をかけた。

 ドアは簡単に開いた。


「うそ。」


 驚きに振り向いたそこは、普通の病室である。

 先程までの山口だけが横になっていたベッドがポツンとある四角い白い空間ではなく、六人部屋の騒々しい病室だった。


「山口は!」


 慌てて一歩を室内に踏み出して、彼はそこで下腹部の痛みに膝を折った。


「あぁ。痛い。そうだ、俺には刺し傷があった。」


「悠介!何をしているの!」


 妻の声に顔を上げれば、彼に向かって走ってくる身重の妻である。

 最近のぼさぼさの髪ではなく、バレッタで簡単に纏めているだけだがすっきりとしており、顔には泣いた後もあるが化粧した華やかさもある。

 余所行きのコートを羽織り、ベージュ色のストールをなびかせて、彼の美しい妻が、鋭角的な顔立ちをさらに必死の形相で強張らせて、久々に着飾ったその姿で彼の元へと駆け寄って来たのだ。


「こら!走るな!転んでお前に何かがあったらどうする!」


「あなたがどうかしたのに、私が落ち着いていられるわけないでしょう!」


 最近泣いてばかりだった妻は、数ヶ月ぶりに彼を怒鳴りつけた。


「もう!どうしてこんな所でこんな事になっているの!驚いたわ。一体どんな事件に巻き込まれてしまったの!昏睡のくーちゃんが行方不明なのに、あなたも山口君までも、こんな所で入院することになっているなんて!」


 妻の言葉の山口のところで髙は再び病室内に視線を動かし、おそらく彼自身の使用していただろうベッドの隣に、眠っている山口入りのベッドがあった事を確認して胸を撫で下ろした。


「もう!相模原は葉山君一人でてんてこ舞いだそうよ。一体、こんな所でどうしてあなたが刺し殺されかけているのよ!」


 くどくどと「こんな所」を連呼する妻を不思議に思い、髙が妻に意味を尋ねようと口を開きかけたそこで、妻の旅支度の服装と壁のポスターでその理由に納得がいったのだ。

 ポスターはインフルエンザの予防注射を呼びかけているだけだが、ポスターの隅に彼が入院しているらしき病院名の判子が押されてあったのである。


 日南白砂病院と。


 髙はどうして自分が宮崎県の日南市に来ているのか、自分の妻どころか神奈川県警をも納得させる話をこれから作らねばならないだろう事に眩暈を感じていた。


「あんの嘘吐きが。てげてげにせんか。」

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