天晴れと笑って退場するしか無いではないか
田辺が覚えてる誠司は、誰よりも優しく、友人達が手下になったと泣き、子供のように甘えて動物を愛する、この上ない馬鹿な男であった。
素晴らしい姿に優秀な頭を持つために、妬まれ裏切られ暴力を受け続けていた子供。
田辺は誠司の事を弟のように感じてはいたが、忘れられない哀れな赤ん坊の事も思い出していた。
癌に蝕まれていた妹が、命を懸けて生んだ甥。
生まれたてのあの子を抱いた時の嬉しさは、田辺には語り尽くせないぐらいの喜びであったのだ。
「あなたは、俺の妹の祥子も、祥子の生んだ敏朗よりも、大事なのが誠司なのですね。」
「敏朗はまだ元気で生きているよ。調べて知っているんじゃないの?今度一緒に会いに行く?会う度にいい加減に成仏しろと怒鳴られてさ、怖いところが君によく似ているよ。」
驚いた田辺は再びガバっと体を起こしかけたが、再び診察台に押し付けられた。
「動くな!死にたいのか!」
「廉ちゃん。あんたに怒鳴られて死ぬところだよ。それで、長谷さん。教えてくださいよ。あんたの嘘でなく、事実を。以前に語ってくれた敏朗の養子の話。赤ん坊だから養子にしたのだと俺は思っていたが、養子にするほど本当に危険だったのならば話が違う。三條英明があんただったというのは嘘だったのですね?」
長谷は答えなかったが、髙が前世の田辺大吉であった時代、田辺自身が長谷を裏切り見捨てた時と同じ目で見つめ返していたのである。
裏切りも何もかも知った絶望の目。
「……俺の中尉殿がそんなにもやりすぎた?」
「……違う。誠司だよ。三條の意識だけが残った彼は、霊安室で蘇った。彼は死人となって動いていたんだ。僕と竹ちゃんは抑えるだけ。そしてね、三條は雅敏が僕の息子だと知ると、僕に復讐するために雅敏を殺したんだよ。皮肉なことに、雅敏だった誠司が死ぬときに、三條の魂までも連れて行ってくれたけれどね。」
田辺は目を瞑った。
田辺は長谷の副官となり、長谷を自分好みの上官へと仕立て上げようとした。
下士官の命は上官が握っているのだ。
田辺は犬死など考えていない。
しかし、長谷は田辺にとって「いまひとつ」であった。
優し過ぎるのだ。
優し過ぎて決断が後れ、優し過ぎて敵を逃す。
長谷が三條英明となった死人を逃してしまったのは、誠司に対して後悔と罪悪感しかない長谷ならば仕方が無い事なのだ。
長谷にそっくりな楊も、優し過ぎて失敗ばかりではないか。
優し過ぎて痛いと言われれば拘束の手を緩め、優し過ぎて敵を逃した。
楊が手を離した暴漢は、要人の愛人の息子だった。
彼の母が外傷性の廃人となったのは、酔った要人に殴り続けられたからだ、という証言が取り調べの調書に残っている。
髙はしかしそこで気が付き、ようやくフフフと声を出して笑い出した。
楊の失態と榛名敏朗の身上で、榛名が殆ど無罪放免だった事に気が付いたのだ。
三か月目に榛名は暴行死させられたが、それでも榛名は母親の復讐をやり遂げた上に大手を振って社会に戻って来れたのだ。
「違う。違うじゃないか。かわさんは嘘吐きだ。なんて嘘吐きだ。俺を、周りを騙していたんだな。彼はわざと手を離して、榛名に復讐をさせたのか。杏子も暴行を受けたことのある、あの酒乱の松崎大臣に。そうだ、かわさんが失敗したあの事件は、酒乱の過去が暴かれて松崎が失脚したきっかけとなったんじゃないか。」
髙はハハハと騙されきった自分を笑い、自分を利用して特別な死人関係の課までも作らせた楊に裏切られたと感じるよりも、天晴れな気持ちが湧いていた。
楊は違う。
長谷とは違う、と。
素直に処刑台に登る人物ではないはずだ、と。




