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疑うらくは是、命が九天より落つるかと(馬終話)  作者: 蔵前
十二 不思議の国のオコジョ
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きっと君は大丈夫

「どうしたの?ほら立って。お腹が空いていない?ご飯は?」


「いらない。」


「俺がいなくて寂しいって不貞腐れているの?さぁ、誠ちゃんのお手製の夕飯をって。どうしたの?日名子?何を泣いているの?俺が嫌か?」


 僕が「嫌だ」と言っても大丈夫だと信頼できる微笑を浮かべる彼は、言ってしまったら壊れてしまいそうな脆さが目に浮かんでいた。

 僕が日名子になって彼を満足させたら、誠司は満足して昇華して楊だけが残る?


 答えられない僕を彼は抱き上げた。

 温かい体も心臓の音も楊のもので、でも、見かけも中身も別の男だ。

 僕は日名子になるどころか、悲しみばかりが込み上げて泣き出していた。


「シ、シー。泣かないで。いいんだよ。俺が嫌いで。俺が嫌いなままで良いから、ほんの少し、数日で良いから俺に付き合ってくれないかな?」


「僕は日名子じゃない。」


「シ、シー。それもなし。ここでは俺が誠ちゃんで君は日名子。いいでしょう?」


 僕は可哀そうな彼を抱き返し、楊の心臓の音だけを聞いていた。

 楊の、かわちゃんの存在を示すのは、その心臓の音だけだからだ。


 ダン、ダン、ダン、ダン、ダン、ダン。


「何の音?」


 僕を抱きしめる男はまた別の男に変わっていた。

 顔かたちは誠司であるが、目の色も表情もまるで違う。

 これは、誠司から切り離された三條英明、だ。

 死体を積み重ねて来たと有名な、テロリストの人格だ。

 僕はひゅうと息を吸い込んでいた。


 ダン、ダン、ダン、ダン、ダン、ダン、ダン、ガシャン。


 どこかでガラスの割れた音がして、そのすぐ後にドカドカと多勢が廊下を土足で走る音が家中に響いた。

 その音は一直線に僕達に向かい、僕はするっと三條から解放され、三條はその音の方向に数歩向かっていった。

 その後は数秒しないで、ぱん、ぱん、ぱんと紙袋がはじける音が家中に響いた。

 数歩だけなのは、彼が腰から引き出した銃で侵入者を次々と撃ち殺したからである。


 暗い廊下には三人の倒れている男達。

 彼らは大昔の警察官の制服を着ていた。


「ちっ。しつこい犬め。ここを出るよ。」


 彼は振り返り戻ってくるなり僕の腕をがっしりとつかむと、長い廊下を歩き出し、居間を通り過ぎ、奥の土蔵のような部屋へと連れ込んだ。

 鉄の扉と小さな窓が一つだけの空っぽの部屋という組み合わせに、僕は入ったら閉じ込められると、探検中には怖くて一歩も入れなかった部屋でもある。


 しかし、目の前で三條は部屋の隅にしゃがみ込むと、かぱっと半畳位の板を持ち上げてみせたのである。

 板の下には床下収納庫の様な扉が付いていて、三條はその扉も器用に開けた。


「ほら、ここから下に降りるよ。警察に捕まりたくなければ急いで!」


 僕は三條のわきにまで行って、彼が降りようと誘うその暗い空間を覗いた。

 ひゅうっと湿気た空気が吹き出して僕の頬を掠め、底のない暗闇の細い穴は僕を飲み込もうと口を開けている。


「だめ、無理。」


 稀代のテロリストで有名な三條に怯える前に、僕は深い穴の方が怖かったのだ。

 だが思わず出た抵抗のセリフだったが、彼は怒るどころかふっと優しく笑い、僕を抱きしめた。


「俺の首に両腕をかけて、足は俺の胴体にしがみつくように。俺が降りるから、君は落ちないように頑張るだけでいいよ。できるかな?」


 僕が三條の言うとおりに彼にしがみつくと、彼は僕に言ったとおりに僕を抱きかかえながらもゆっくりと深い深い穴の底に降りて行った。

 彼が望むならば、どこまでもいて行こう。

 沢山の人を殺す結果となった三條も誠司の一部であり、楊そのものなのだから。


「怖くない?」


「大丈夫。君は怖くない。」

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